ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 石橋克彦編 「原発を終らせる」 岩波新書

2011年08月26日 | 書評
原発安全神話は崩壊した、原発から脱却することは可能だ 第11回

8)「原子力安全規制を麻痺させた安全神話」(その1) 吉岡 斉 九州大学副学長 比較社会文化研究院教授 科学技術史

 筆者は今回の福島第1原発事故は基本的に人災であると考える。その理由として、①圧力容器破損にたいする準備とシュミレーションがなされておらず、安全審査をパスするための建前が支配して、対策がすべて泥縄式であった。②1999年にJOC臨界事故を教訓にして原子力災害特別措置法を制定して、原子力災害現地対策本部がオフサイトセンターに設けられるはずであったにもかかわらず、原子力災害現地対策本部は機能せず現場指揮はもっぱら首相官邸と経産省原子力安全保安院と東電の三者が進めた。中でも東電が主導権を握って東電の現地本部が司令部となっていた。操作ミス、情報隠しといった東電に都合のいい対策が先行して事故の規模を広げた。③今回の事故に対応するような原子力防災計画が立てられていなかった。半径30km以上の対策を実施すべき地域EPZ指定など全く一考だにされた形跡は無い。広域の住民避難・屋内退避・退去などの指示が遅れたばかりでなく、2転3転して住民は困惑した。想定外の事故ですべての責任が免罪されるなら、原子力防災計画は存在しないのも同然である。その根本原因は何かという反省に立つと、「原子炉などの施設が重大な損傷を受けて大量の放射性物質が外部へ漏れる事故が現実的に起こる確率は無限小でる」という思い込みを生んだのが、「原子力安全神話」であった。原発を推進するために「原子力安全神話」を流布させた当局にとって、原発に追加的安全審査や対策を求めることはもともとタブーであった。原子炉の安全性に不備があるというメッセージを社会に対して発信することはできないという「自縄自縛」のなせる技であった。これを可能にしたのが、経産省への原子力安全規制行政の集中独占体制の成立である。「国策民営」を原則とする原子力事業の安全規制行政は、1956年総理府に原子力委員会と科学技術庁が設置されたときに始まる。科学技術庁が原子力発電政策全体を総括し、通産省が商用原子力発電政策を担うという「二元体制」がスタートした。まがりなりにもチェックバランス体制が守られていたが、2001年の中央省庁再編により誕生した経産省は強い原子力行政の権限を獲得した。原子力委員会と原子力安全委員会は実働部隊を持たない内閣直属の審議会になり、経産省の外局に原子力安全・保安院が発足し、経産省が商用原子力の推進と規制の双方の実権を握ったのである。さらに原子力安全・保安院の下に原子力安全基盤機構JNESが2003年に設置された。
(つづく)


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