ブログ 「ごまめの歯軋り」

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世界史の構造

2021年03月10日 | 書評
京都市下京区  「西本願寺 太鼓楼」

柄谷行人著 「世界史の構造」 岩波現代文庫(2015年)

第三部 近代世界システム (その9)

第4章 アソシエーション(社会主義論)

① 宗教批判
萌芽状態の社会構成体の交換様式Dが普遍宗教として現れたことは先に記述した。 このことは古代、中世、近代を通じて同じ形態をとることである。例えばイギリスのピューリタン革命1648年はブルジョワでない階層による社会運動として、鹿も宗教運動として開始された。急進的な諸党派は絶対王政を倒す過程までは大きな役割を果たしたが、クロムウエル独裁制によって排除され、王政復古を経て1688年の名誉革命によって立憲君主制が確立され、イギリスのブルジョワ革命は完結した。ピューリタン革命にあった社会主義的要素は宗教と切り離せなかった。19世紀以降も社会主義的運動はいつも宗教的な文脈に結びついており、サン・シモンの社会主義は濃厚にキリスト教的であった。1848年革命までフランス革命の宗教的社会主義は有力であったが、国家に主導された産業資本主義の発展が社会を根底から変えた。またプルードンやマルクスが登場し、科学的社会主義が宗教的社会主義を無効化した。プルードンは、交換様式Dの可能性を交換様式の実現すなわち経済学に求めた。カントはプルードンに先立って、宗教を批判しながら、なおかつ宗教の倫理的核心を救出する課題を追及した。彼は「他人を手段としてではなく同時に目的として扱え」(自由の相互性)という格率を道徳法則であると考えた。「目的の王国」では他者を自由な存在として扱い、他者の尊厳すなわち代替えできない単独性を認めることであった。カントは、教会あるいは国家・共同体の支配装置と化した宗教を否定し、他方で道徳性を救うことである。 自由の相互性は道徳である「内なる義務」であり、交換様式Dは外なる義務である。 カントの言う道徳法則は、資本主義経済における賃労働と資本の関係そのものの揚棄に言及するのである。資本は労働を商品として使う。人間の尊厳は失われざるをえない。カントはその時代の文脈において、商人支配を退けた小生産者たちの協同組合(アソシエーション)を考えた。大資本の前には小資本は破れるほかはなかったとはいえ、カントは以降の社会主義(アソシエーショニズム)の核心に触れた。社会主義とは互酬交換を高次元で回復することにある。それは分配的正義(再分配福祉論)ではなく、富の格差が生じないような交換的正義を実現することである。カントは世界史が「世界市民的な道徳的共同体」つまり「世界共和国」に向かって進んでいると考え、諸国家が揚棄されることである。ホッブスは共同体および国内的に平和状態が創設されると考えたが、カントは主権国家間に平和状態が創設されなければならない、それが世界共和国であると考えた。カントにとって、世界共和国はそれに向かって人々が漸進すべき指標としての、統整的理念であった。カントが構想したのは諸国家連邦である。今日世界歴史の理念を嘲笑するポストモダニストの多くは、かってマルクス・レーニン主義者であった。そこからシニズムやニヒリズムに逃げ込んだ者たちが、世界の文脈である理念一般を否定したのだ。社会主義は幻想だといって嘲笑しても、現実には悲惨な生活者が多くいる。1980年以降周辺部や底辺部では宗教的原理主義が広がった。そこには資本主義国家を超えようとする志向が存在するからである。彼らには「神の国」を実現するどころか、聖職者=教会国家の支配が待っているのである。

② 社会主義と国家主義
社会主義には、国家による社会主義と国家を拒否する社会主義(アソシエーション)の二つのタイプがある。前者は国家社会主義、福祉国家主義と呼ばれ、後者は厳密な意味における社会主義(アソシエーション)といわれる。フランス革命は「自由・平等・友愛」をスローガンとし、自由では市場経済、平等では再分配と福祉国家、友愛は互酬性を目指した。つまり3つの交換様式A,B,Cの結合である。そのような結合はナポレオンという軍人によって、革命というより祖国防衛戦争によって成し遂げられた。彼は友愛をイギリス資本に対するナショナリズムに変形したが、資本=ネーション=ステートの環として統合された。社会主義は交換様式Dである。それは「自由・平等・友愛」、あるいは資本=ネーション=ステートを越えることである。フランスの社会主義運動は、ジャコバン派の流れをくむものであった。サン・シモンからルイ・ブランに至る国家主義的社会主義の流れがそれである。 プルードンはこれに異議を唱え、自由を優先した。彼はルソーの人民主権思想に自由を犠牲にする危うさを発見した。プルードンは、ルソーについて個々人の意志を越えた「一般意思」を優先させ個人を国家に従属させるといって批判した。ルソーの社会契約には個人の自由は存在しない。プルードンはルソーの社会契約を双務的=互酬的にする民主主義を唱えた。これは「アナーキズム」と呼ばれ、国家によらない自己統治による秩序を意味した。友愛がしばしば狭い共同体(ナショナリズム)を形成することになるので、プルードンは共同体を越えた世界市民的なものを志向した。 プルードンの考えは、自由が優位にあるときのみ共同体を越えた友愛が成り立つという。共同体を一度絶縁した個人によってのみ真の友愛あるいは自由なアソシエーションが可能だということである。プルードンの社会主義、アナーキズムが目指すものは交換様式Dにほかならない。プルードンは平等を軽視したのではない。「分配的正義」は国家による富の再分配であり国家の権力を強化することになる。かれは「交換的正義」を唱えた。交換様式Cは資本主義的市場では等価交換のように見えて、実は不平等交換になっておりそれが資本の蓄積の源であった。 

③ 経済革命と政治革命
相互の合意に基づく資本制経済においてなぜ不平等が生じるのだろうか。それは労働者の協業と分業が個人の力を越えた大きな利益をもたらすからである。だがそれに対しては評価されず、剰余価値として資本所有者が蓄積するからである。フランス革命は自由をもたらした。それは旧来のもろもろの経済外的強制に基づく支配関係を退けたが、別の支配関係を創り出した。資本主義的生産関係である。資本家と労働者の雇用関係は確かに自由意思によっているが、支配関係がなくなったわけではない。この支配関係は貨幣を持つか労働商品を持つかによって決まる。貨幣と商品の関係に帰着する。プルードンによると、申の民主主義は政治レベルだけでなく、経済的なレベルで実現されなければならない。資本家の権力は貨幣の王権に基づいている。彼は代替え貨幣と信用銀行を創出することを提案した。代替え貨幣には特権的な力はない。それは経済革命である。資本制生産には疎外された形態ではあるが労働者の協業と分業によって個人の労働ではなしえない生産性の向上による「集合力」がある。そのような疎外関係を廃棄すればよいと考えた。プルードンの疎外論は19世中頃の青年ヘーゲル派でもてはやされた。プルードンが経済革命を主張したのに対して、マルクスは政治革命つまり権力を取る事が不可欠であると考えた。資本主義経済が法制度や国家政策によって守られている以上すくなくとも一時的にそれを停止する必要があるからだ。マルクスが国家権力の奪取を主張するようになったのは1848年以降の事である。ブランキ派の影響だといわれている。マルクスは経済的な階級関係が解消すれば国家は消滅すると考えた。マルクスは国家の自立性について認識が甘かったようである。

(つづく)



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