ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 丸山眞夫著 松本礼二編 「政治の世界」 (岩波文庫2014年)

2016年10月01日 | 書評
科学としての政治学の創造を試みた戦後初期の評論集  第11回

6) 「政治権力の諸問題」

権力は政治学にとって唯一の契機ではないにしろ,基本的な範疇の一つである。権力を扱えば政治が全面的に関係してくる。政治権力はいうまでもなく社会権力の一種であり、社会権力は人間行動の間に成立する関係である。すると人間行動の中に働く力関係の中には蓋然性がある。その法則を検証するのが社会科学の仕事である。つまり政治権力の法則性があるかどうかをこの章で考察しよう。実体概念としての権力があるなら、それがどの場で働くかは関係概念である。一般に体制が固定的で階級的流動性が乏しい国・時代には実体的権力概念がはっきりしている。コミュニケーションが発展し社会集団の複雑な相互関係が活発に行われていれば、関係的=関数的な権力概念が必要である。立憲主義や自由主義・民主主義の発展した西欧国家で、力関係の分析が進んだ。そこでは社会的権力の発生は、人格の抽象化・制度化と同時に起り、人間の自己疎外と一体化した現象であった。そこでの権力関係は個別的な相互作用関係から抽象される傾向を持っている。権力は相手の存在と相関的に働き、常に相対的に作用するので、威信の損傷は権力にとって致命的である。伝統的な国家論は法的制度を中心にして、その機能も法的に表現するので自然に実体論的な見方が優先する。ある意味で権力構造は常に動態的にして、権力過程を人格相互作用まで突っ込んで考察する必要がある。しかし権力は社会法則の無い人格の総和ではない。人間行動を最も基本的に規定するのは、生命の危機を左右する物理的強制手段(生殺与奪の権)から解析することが有効である。経済的価値の与奪、名誉の剥奪(社会的制裁)もまた古来権力的統制の目的や手段となってきた。人を個別に動かす権力の根源から考えるのである。こうして重大な価値を巡る紛争は集団間相互においても内部においても、早くから権力関係に移行しやすい。本来他の価値追求のために生まれた権力関係が自己目的化しやすい。現代において国際的国内的な政治闘争が結局国家権力の獲得・維持・配分・変革をめぐって展開される。政治的な権力過程は圧倒的に国家との関係において進行する。だから執行する権力(行政機関)よりも始動する権力(政府)のみが政治権力であるといわれる。政治権力をめぐる闘争に日常的に主体的に参加する主だった組織集団を権力単位と呼ぶ。組織された権力単位は内部に階層化された権力関係を持っているので、例外なくピラミッド的構成を持つ。政治権力が人間や他の権力単位を統制する方法は、ひろく社会的統制の諸手段と共通している。つまり暴力の行使よりは行使の威嚇に、威嚇よりは強制の方が勝り、強制よりは説得が効果的である。人は「しぶしぶ」から「積極的に協力」するのである。これが「合意による政治」である。物質的利益の供与も効果的である。「飴と鞭」政策である。人民にたいしては「パンとサーカス」の供与である。こういったことは「帝王学」に書いてある。人間行動の統制様式には、指示命令と、そう仕向ける操縦がある。大衆デモクラシーの時代に技術の進歩によって後者の操縦法が極度に発展した。現代の選挙はこのマスメディア操縦法で成り立っていると言っても過言ではない。メディアの統制には膨大なカネが必要なのである。企業と資本はCM料と称する膨大な操縦費を払って大衆支配を安定させる。大衆をステレオタイプ化し、服従の慢性化によってその自発性と能動性を奪い、公共的関心は私的消費の享楽に取って代られる。近代国家の発展とともに政治的支配は経済的生産から分離され、政治権力は独自の組織と構成を持つに至った。特に政治権力と経済的支配との間の関係は隠蔽された。政治権力は国家権力として物神化した。テクノロジーの進化と社会昨日の多様化は、それぞれの権力単位の機構を巨大化=官僚化し、ピラミッドはますます高くなった。政策の決定と執行が中枢に集中する傾向は国家権力において最も顕著であり、大統領や首相のリーダーシップが拡大強化された。それは少数支配(寡頭支配)の傾向となっている。「国民の将来に影響する重大な決定が、限定された責任しか持たない人々によって決められる」という「権力状況の無定形化(無責任化)」が進行し、かつ「少数有利の原則」や「寡頭支配の鉄則」で少数首相周辺のブレーン(官邸)が日本の将来を危うくしている。本来の議会政治、または議会そのものの実効的な決定参与者が後退しアウトサイダーとなってしまった。権力の寡頭化は権力者自身によっても自覚されていない。権力トップの権力感覚のずれは拡大し、彼ら自身もマスに過ぎなくなる。こうした「無責任の体系」は戦前の指導者の陥った陥穽であった。「あらゆる権力は腐敗の傾向を持つ。絶対的権力は絶対的に腐敗する」というアクトン卿の言葉があった。近代社会の技術的合理化に基づく社会的必然として出てきた権力集中が必然として陥った罠が「無責任寡頭支配」である。太平洋戦争で愚かな権力中枢は自滅した。

(つづく)
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