ブログ 「ごまめの歯軋り」

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アマルティア・セン著 加藤幹雄訳 「グローバリゼーションと人間の安全保障」 ちくま学芸文庫(2017)

2019年04月15日 | 書評
結城市鹿窪運動公園の池

グローバリゼーションを「厚生経済学」によって補完する   第1回

序 (その1)

著者アマルティア・センについてプロフィールを略記しておこう。1933年インドベンガル州に生まれ、カルカッタ大学を卒業後ケンブリッジ大学で博士号を得て、ハーバード大学、ケンブリッジ大学などの教授を歴任した。「社会的選択理論」や厚生経済学、開発経済学などの発展に寄与し、人文・社会科学全般に強い影響力を発揮した。1998年には「所得分配の不平等にかかわる理論や、貧困と飢餓に関する研究についての貢献」により、ノーベル経済学賞を受賞した。主な著書に、「集合的選択と社会的厚生」、「自由と経済開発」などがある。本書の収めらた4つの論文は、1998年にノ―ベル経済学賞を授与されたアマルティア・センが2002年2月に東京で行った3つの講演会の講義と、他の一つの論文から成り立っている。第1章と第2章は国際文化教育交流財団が主催する2002年でなされた二つの記念講演である。第3章は東京大学から名誉博士称号を授与された際の記念講演である。第4章はアマルティア・センの経済学を理解するうえで参考となる2000年7月掲載論文の一つである。これら4つの講演と論文は「グローバリゼーション」と「人間の安全保障」に焦点が当てられており、経済学に留まらず社会全般を対象とする広い視野で書かれている。著者アマルティア・セン氏の経済学思想をかいつまんで紹介する。セン氏は生まれたインドベンガル州で幼いころ大飢饉を経験し、それが天災ではなく人災であったという確信から経済学を学ぶことを決意したという。1998年にノーベル経済学賞を受賞したが、受賞理由は「厚生経済学への貢献」であった。「厚生経済学」とはセン氏が学んだケンブリッジ大学のアルフレッド・マーシャル(1842-1924)とアーサー・セシル・ピグー(1877-1959)が創始した分野である。マーシャルは経済学をあまりに強い倫理学から切り離し(昔の経済学は哲学であった。道徳感情論を著わしたアダムスミスが哲学教授であったように)、専門家科学として経済学を独立させた。マーシャルは経済学を「一面では富の研究であるが、他の重要な側面は人間の研究である」という。人間性を堕落させる貧困を除去し、人々に文化的な生活を送る機会を与えることこそ経済学の課題であるとみなした。彼が考えた貧困対策は、所得の再配分ではなく生産性を高めることによって人々の所得を増やす事であった。マーシャルの後継者ピグーは、厚生経済学を「人間生活の改良の道具を探求する学問」と定義し、「国民所得の大きさ、所得の再配分、その安定」が1国の厚生・福祉を増大させると考えた。その後経済資源の適正配分を中心とする「新厚生経済学」が提唱され、「社会厚生関数」という考え方が、アメリカのエイブラム・バーグソンやポール・サミュエルソンらによって導入された。これに対しアメリカの経済学者ケネス・アローが社会的厚生関数が、全体主義国家に通じるといって反対し、厚生経済学は衰退した。アローの研究方法は「パレート最適」(誰かの得は誰かの損)を中心とする社会的選択論と言われ、これにセン氏は猛反対を展開して、厚生経済学をよみがえらせるパラダイムを提唱した。セン氏は「人間生活の諸機能」、「潜在能力」という独自の物差しで厚生経済学を再興した。それは「我々が十分な理由をもって価値あるものと認めるような諸目的を追求する自由」を意味する。セン氏は「平等」の観念を所得の面だけでなく「各自の潜在能力を十分に発揮できることの公正さ」と再定義した。同様に福祉の達成とは「様々な機能が達成されてゆくプロセス」を意味した。アメリカのアフリカ系市民の所得水準が高くても、犯罪率も高く、栄養不良で早死する人が多い地域は福祉水準が低いとみなすことである。

(つづく)


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