ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「妹の力」 角川ソフィア文庫

2018年05月20日 | 書評
我国の民間信仰・神話において、シャーマニズム(巫術)の担い手であった女性の役割を考える 第4回

4) 雷神信仰の変遷
 昭和2年「民族」に「若宮部と雷神」と題して掲載された巫女論であるが、重点は北野神社を始め雷神を御霊とする御霊信仰論と若宮信仰論である。本章は「道場法師の孫娘」、「霊安寺の縁起」、「天満大自在」、「老松と末童」の4節からなる。第1は奈良元興寺の道場法師が雷の子であったので、悪霊鬼を捉える力を持っていたいう話しである。第2は北野天神が、大宰府で亡くなった菅原道真の御霊で、化して雷神になったという。御霊が雷神となった話は、大和五条の宇智郡火雷神社の祭神が光仁天皇の廃皇后井上内親王と廃太子他戸親王の怨霊だったことに見られる。菅公の御霊は火雷天神となり、天満大自自在天に祀られた。第3に老松と末童は悪神とか呪詛神と呼ばれる荒みさきで、若宮であった。若宮は神の子であるとともに荒々しい御霊の神であり、神と人間の中間の人で、神の子にして巫祝の家(託宣者)の始祖であった。この巫祝(託宣者)の子孫を小子部とか若宮部と言ったのだろうという主張である。しかし若宮部は荒魂といわれ、巫祝(託宣者)までは含まないとされている。

5) 日を招く話
 「雷神信仰の変遷」に続いて、昭和2年7月「民族」に「日置部考」と題して掲載された。「日招ぎ部」と解して、田植えに際して日を招き返した因幡の湖山長者や、播磨の朝日長者、肥後の米原長者などを日置部として説明しているが、本論の眼目は心の清い働き者の嫁女が一日では植えきれない田植えを一日で済ますため、日の永きを祈って死んだという伝説から田植え女(早乙女)を田の神、水の神に仕える巫女として描いた。田植えの日に禁忌があり、これを犯した嫁ばかりが自殺に追い込まれる話が多いのは、死人田、病田、癖田と言って忌み嫌う田には嫁が死んだ伝説が重なっていることに注目して、もう少し日が長かったらと日を招き返す気持ちが籠っているので、過酷な重労働である田植えとそれを担ってきた女性の悲話を告発したかったのだろうか。日を招く話と身を投げた嫁の話は表裏をなしており、嫁が淵、嫁殺し池、嫁塚、日暮し塚などとつながる。日暮し塚とは日の永からんことを祈った祭場ではないかと推測する。日を招く話は田楽や田遊びに見られる殖女、養女が水の神に仕える巫女であったと同時に、オナリ・ウナリなどと呼ばれる早乙女であるという結論となる。

(つづく)


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