ブログ 「ごまめの歯軋り」

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環境書評  天野明弘著 「排出取引」 中公新書

2010年03月10日 | 書評
環境と発展を守る経済的手法 第4回

1)排出取引制度の誕生と米国での発展 (1)

 公害問題への対応においては、各国政府とも排出企業に一定の義務を遵守させる直接規制政策が取られてきた。規制がますます厳しくなると、政府による規制を嫌う米国の企業風土から現代的な排出取引制度が誕生した。1963年に大気浄化法の汚染防止の枠組みが出来、1970年に米国環境保護庁(EPA)が発足して同法の改正が行われ全米に6つの汚染物質の環境基準が決められた。EPAが定める全国基準を達成・維持することが州政府の役割である。そのため州別実施計画はEPAに届けて承認を得なければならない。中でも新規排出源達成基準をEPAは事業所内の個々の排出点に対して適用しようとした。それに対して鉄鋼業界は、環境基準達成が重要なのであって、工場全体の排出総量で一定の限度内に抑えればいいのではないかという、いわゆる「バブル」(工場ひとつでひとつの排出口)ということを主張したが通らなかった。法施行初期から未達成の見込みの州が多く、達成困難という懸念が広がった。そこで1976年EPAは排出取引制度の原型となる「排出オフセット」プログラムを発表した。オフセットとは「相殺」ということで、同一地域内にある既存排出源において新規排出源の増加を相殺して余りある削減が確保できるなら、未達成地域においても新規排出源の親切を許可するというものである。その新規排出源装置は実現可能な最高の制御性能を有することなど新規排出源審査が行われる。既存の排出源において削減が規定以上に達成できた場合、その削減量1単位ごとに「クレジット」すなわち相殺可能な認可証が発行される。原則的には企業間取引も可能なのであったが、実際は同一企業内の取引であったという。次に同一施設内にある排出源でも新規または改修による排出増加は他の既存排出源の削減量と相殺でき、新規排出源審査を免除され方式が導入された。これは内部取引で「ネッティング」と呼ばれた。そして1979年末には既存の排出源について複数の排出源をひとつにまとめ、全体に対して総排出限度を設ける「バブル」方式を認めることに成った。また1980年には排出削減クレジットが売れ残った場合預託できて将来も使える「バンキング」という制度もスタートした。「バブル政策」に対して争われた一連の裁判は1984年最高裁で結審し、排出源の定義は工場全体を一括して扱い、全体として排出基準が遵守されればいいという判断が下された。こうしてEPAは排出取引の4つの制度(オフセット、ネッティング、バブル、バンキング)を整備統合して排出取引政策大綱と施行細則を1986年に発表した。
(つづく)


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