ブログ 「ごまめの歯軋り」

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「文語訳 旧訳聖書 Ⅱ 歴史」 岩波文庫

2020年03月20日 | 書評
鬼怒川の夕暮れ(V.2) 2019年12月4日午後16時27分

イスラエル民族はカナンの地でダビデ・ソロモンのもと統一国家を形成し、後南北王国に分裂しアッシリアに滅ぼされバビロンの幽囚となる時代の歴史12書

1) 旧約聖書とは

旧約聖書といえば、私は岩波文庫で関根正雄訳の「創世記」(1956年版)、「出エジプト記」(1969年版)、「ヨブ記」(1971年版)、「エレミヤ書」(1959年版)、「詩篇」(1973年版)を現代語訳で読んだ。岩波文庫出版の関根氏訳旧約聖書はこれだけであり、膨大な全39書の現代語訳は日本聖書協会より「口語訳 旧約聖書」(1955年版)から発刊されている。今回私が読んだ岩波文庫「文語訳 旧約聖書Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ 全4巻39書」(明治20年)は敢えて文語訳である。文語訳といっても「源氏物語」を読むのではなく、明治時代の文章であるので、誰でも素直に読むことができる。宗教書としては文語調の方が格式が高そうだという効果もある。日本聖書協会の「口語訳 旧約聖書」が入手が出来なかっただけのことである。しかし電子書籍版で読むことはできる。電子書籍版は著作権フリーの「口語訳旧約聖書」から見ることができます。岩波文庫「文語訳 旧約聖書全4巻」hは、1887年(明治20年)に訳され、翌年刊行された文語訳の旧約聖書を四分冊として納めている。本書は第1分冊めの「律法」の部にあたる。明治時代にキリスト教と聖書を日本で広めるため、聖書委員会が設置された。翻訳委員会の新約聖書は1917年に改訳された。同時期に旧約聖書は改訳されなかった。本書の底本はこの明治版による。旧約聖書はもともとユダヤ教の聖典である。AD2世紀ごろにキリスト教においてはキリストの教えを新約として新約聖書が作成され、それまでの神の約束は旧約聖書と称した。旧約聖書はおもにヘブライ語で書かれている。そこに収められた文書は、「律法」、「預言者」、「諸書」の3部にわかれる。しかし紀元前3-1世紀の作成されたギリシャ語訳では「律法」、「歴史」、「諸書」、「預言」と四区分と順序が定められた。各部の文書は次の表に観る諸巻が収められた。「文語訳 旧訳聖書」岩波文庫に収録された文書を整理すると、以下である。全39文書である。
Ⅰ 律法: 創世記、出エジプト記、レビ記、民数機略、申命記
Ⅱ 歴史: ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記前後、列王記略上下、歴代志略上下、エズラ書、ネヘミヤ記、エステル書
Ⅲ 諸書: ヨブ記、詩篇、箴言、伝道之書、雅歌
Ⅳ 預言: イザヤ書、エレミヤ記、エレミア哀歌、エゼキエル書、ダニエル書、ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデア書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼパニア書、ハガイ書、ゼカリア書、マラキ書

2) 「文語訳旧約聖書 Ⅱ 歴史」(岩波文庫2015年)(その1)
第2巻「歴史」は、ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記前後、列王記略上下、歴代志略上下、エズラ書、ネヘミヤ記、エステル書の12書からなり、岩波文庫本では615頁の分量を占め、Ⅰ-Ⅳ巻の中では最大の分量である。「ヨシュア記」は内容上「律法」に収めることができ、「モーセ六書」ともされる。「前預言書」と称されて、「後預言書」(イザヤ書、エレミア書等)に対する分け方もある。「歴史」と言われる所以は、エジプトを脱出したイスラエル民族が神によって約束された地カナンに定着し統一国家を形成した後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し、アッスリアによって両国は滅ぼされ、両王国の民はアッスリアの首都バビロンでの俘虜生活を余儀なくされるといった歴史が主として描かれているからである。ヨシュア記、士師記、サムエル記前後、列王記略上下の書は紀元前6世紀ごろに成立し、その他は紀元前5世紀から4世紀に成立したとみられている。

2-1) ヨシュア記 (その1)
ヨシュア記は全24章(岩波文庫では56頁)である。モーセにより後継者に指名されたヨシュアに率いられたイスラエルの民が、ヨルダン川を越えて西岸の地カナンに至り、獲得した土地をその12支族に分割し、出エジプト以来の約束の地を得たことになる。これはほぼ史実とみなされ紀元前13世紀のころであった。いわば神話時代から歴史時代に入ったとされる。全体を一貫する思想はエホバがヨシュアに述べた言葉「我が僕モーセが汝に命じた律法を守り行えば、汝の道は幸いを得、汝必ず勝利する」ということである。ヨルダン川を渡るとき、出エジプトとおなじ水止めの奇蹟を経験し、各地の戦いに勝利を収める。ヨシュアは死を前にイスラエルの民に異教の神に仕えるなかれ、律法を厳守すべきことを説いて世を去る。ヨシュア記はシーザーの「ガリア戦記」と同じような息をつかせない緊迫感があり、「私は行った、見た、そして勝った」という勝利への道を描いた記である。
第1章: モーセが亡くなった後、エホバはヌンの子ヨシュアに次のように命じた。イスラエルの民とともにヨルダン川を渡り、我が与えし土地に往け、汝らが踏んだ土地はすべて汝らのものとなる。境界は東はレバノンから大河ユーフラテス川に至ってヘテ人の全地に及び、西は大海(地中海)に及ぶ。我はモーセにあったよう汝とともにあるので、向かうところ敵う者はいない。心を強くし励ましてモーセに命じた律法をすべて守り行え。悉く守り行えば汝らの福利を得、勝利する。敵に懼れる勿れ、戦慄勿れ。我汝とともに在る。そこでヨシュアは民の有司に命じて言う、食糧を備え3日以内にヨルダン川を渡れと。ヨシュアはガド人、マナセの支派の半の長に、モーセは先に汝らにこの地を賜ったが、妻子家族はこの地に置いて、軍団を率いてヨルダン川を渡れと命じた。この言葉に従わない者は殺すべしと釘を刺した。
第2章: ヨシュアは二人の間者にエリコの偵察を命じた。二人は妓婦ラハブの家をねぐらとしたが、エリコの王はこのことを知り妓婦ラハブの家を捜索させたが、ラハブは二人はすでに出ていったと返事をしたので、捜索隊は後を追った。偵察の二人は屋根の上に隠れていた。ラハブは偵察の二人に、父母兄弟親戚の命を守ってくれるならこのことは決して漏らさないと約束した。二人は約束を了解し親族をすべてラハブの家に集めて窓にしるしとして赤い紐を吊るしておけば、この国に攻め込んだとき親族の命は保証するといって、ラハブの指示に従いこの邑から脱出し、山で3日間隠れて追手があきらめて帰ったのを見届けてヨシュアのもとに帰還した。
第3章: ヨシュアはイスラエルの民とともにシッテムを出発し、レビ人が担ぐ神エホバの契約の箱を先頭にしてヨルダン川に到着した。ヨシュアは民に向かって明日奇蹟が起こるから身を清めよと言って軍を進めた。エホバはユシュアに語りて、カナン人、ヘテ人、ヒビ人、ぺリジ人、ギルガル人、アモリ人、エブス人を必ず追い払うことを見よといった。すると目の前のヨルダン川の水の流れが止まり、民は幕屋を出て祭司らの担ぐ契約の箱を先頭にヨルダン川を渡りエリコに至った。(出エジプト記の紅海の奇蹟と同じパターン)
第4章: 民が全員川を渡り終えたとき、エホバはヨシュアに語った。祭司らが踏みとどまった場所からイスラエル人の12支派の代表者一人づつ石を持ちより12個の石壇を作り、ヨルダン川を渡った記念にせよと。ルベンの子孫およびガドの半支派は鎧に身を包み、イスラエルの民の先頭に立って進んだ。おおよそ4万人の軍隊がエリコの平野に到着した。ここにヨシュアの権威が確立し、モーセのごとく民の指導者として畏れられた。戦闘の開始に当たり、祭司たちが担ぐ契約の箱(神輿)はヨルダン川の水辺に戻し鎮座させた。1月10日イスラエルの民はエリコの東の境界にあるギルガルに営を張り、ヨシュアがヨルダンから取りよせた12個の石の壇をギルガルに立てた。この記念の石を前に神への信頼の証しとした。 

(つづく)