ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 白井 聡著 「戦後の墓碑銘」 (金曜日 2015年10月)

2017年03月12日 | 書評
永続敗戦レジームのなかで対米従属路線と右傾化を強行する安倍政権の終末  第13回

3) 「戦後に挑んだ者たち」 (その1)

① 抵抗者としての石橋湛山

「永続敗戦論ー戦後日本の核心」(太田出版 2013年)が石橋湛山賞を受賞した記念講演会が2014年10月17日経済倶楽部において行われ、その速記録から「自由思想」2015年1月号に寄稿した論文である。日本の場合1945年から今日にいたるまで戦後がずっと続いている。2009年政権交代があって民主党の鳩山由紀夫内閣が誕生しましたが、普天間基地移設問題で県外移転でつまずき退陣しました。日米は自民党内閣のときに辺野古移設で合意しているのに、ちゃぶ台をひっくり返すように白紙に戻ることに米国側は驚きを禁じ得ませんでした。つまりアメリカの国家意思と、選挙を通じて選ばれた日本国民の意志が衝突するような事態が発生したのです。結果はアメリカの意志の方が勝利したのです。実はこれまでアメリカが枠組みを作りその範囲内での日本のデモクラシーだったのです。本質的には米軍基地に関して日本の国民には選択の余地なるものは存在していなかったというべきでしょう。それを隠すために日本メディアは鳩山首相の個人的資質の問題にすり替えておしゃべりを続けていたのです。この問題に関してアメリカの意志はどこにあったかははっきりしません。おそらく外務官僚と防衛官僚がアメリカの意志を忖度していたのでしょう。鳩山退陣劇の後、2011年3月11日に日本に原子力震災という未曽有の危機がもたらされました。3.11によって姿を露呈したのは日本政治社会の「無責任の体系」でした。それは戦前の軍部政権だけではなかったのです。社会の中枢をこういった連中が未だに占拠していたのです。戦後「平和と繁栄」を達成し、民主主義的な社会を作ってきたという物語は全くの虚構だったのです。経済の停滞によって「失われた20年」で「平和と繁栄」物語は終わり、戦後は少しも終わっていないという側面があります。だから安倍首相は「戦後レジーム」からの脱却を叫んでいるのですが、反面教師よろしく安倍首相は脱却どころか、この体制を強化しつつあるのです。これは皮肉な事態です。戦後実に長い間続いた日本の政治の保守勢力の支配は「敗戦の否認」からスタートしてし、権力構造の基盤としてきた。「敗戦」と言わず「終戦」と他人事のようにいって、敗戦責任をうやむやにして権力を握り続けることで、政体が断絶せずにやってこられたのは冷戦構造があったおかげでした。日本はアメリカのパートナーを演じ続けてきました。最前線ではなく裏方役として微妙な立場で非常に得をしてきたのです。冷戦構造は1990年でソ連邦と共に崩壊しました。するとアメリカは日本をパートナーとして見るより、収奪の対象として日本を利用しました。アメリカも衰退の道を歩んでいますが、その付けを日本に回してきます。これからは大変なことになります。アメリカが日本を収奪にかかっても、日本政府は唯々諾々と貢物を差し出すことになり、永久に負け続けることを「永続敗戦」と呼びます。こういう形でアメリカへの従属が永遠化される一方で、それは日本がアジアで孤立化するということのコインの裏表関係になっています。権力層が固執する「敗北の否定」は国内的には戦後復興と経済大国化によって贖うことは可能です。しかしそれはかっての対戦国あるいは植民地国に対する対外姿勢の表れとなり、敗北の否認を行うことになる。後ろにアメリカというバックがあるから居丈高な態度がとれたのです。まさに虎の威を借りる狐であり、それが露骨に現れるのは、歴史っ修正主義でした。安倍政権は中国敵視政策をやればアメリカの支持と対米従属のバランスがとれると信じています。しかし今や中国は冷戦時代の中共ではないのです。中国は経済大国となり日本を追い抜いて世界の工場を自負し、アメリカのドルと国際の重要な買い手となっているので、アメリカはもはや中国敵視政策には乗ってこないだろう、いや乗れないだろうと思われます。中国とアメリカは経済的にパートナーシップを築いています。戦後レジームの支配層は戦後の政・官・財・学・マスコミの権力中枢を掌握している。アメリカに対する自発的隷属で自身の権力構造を維持しており、戦前の天皇が戦後はアメリカになったという権力関係です。官僚と政治家はアメリカの意志を輔弼することに心を砕いています。この対米従属のメカニズムに異変が来ていることが現在の特筆すべき事態です。それに対して支配層は権力を維持するために、さらに対米従属を深めようとしている。これが安倍首相の姿です。だから安倍首相は極右ポピュリズムに頼ろうとする。それほど安倍首相の内心は不安でいっぱいなのです。いい気持にさせてくれるのが極右のヘイトスピーチなのです。在特会や右翼ガールズがかわいくて癒しになるようです。こうした権力の危機に真っ向から正攻法で臨んだ人がいます。それが石橋湛山元首相でした。

石橋湛山が首相になってすぐ病に倒れなかったならば、日本の戦後史は随分違ったものになっていただろうとよく言われます。石橋湛山は、一貫して対米従属路線一辺倒ではいけないというスタンスをはっきり示していた。だから命を全うできたかどうかはわからない。戦後の混乱期には暗殺・謀略事件が多かった。民主党内閣の鳩山由紀夫首相が、普天間基地移設問題でつまずいて辞任するとき、「安保問題について勉強すればするほど、沖縄に海兵隊がいることによる抑止力の大事さを知った」と言ったそうだが、これは全面降伏の自己の足らぬことを反省させられた形である。残念な辞め方である。むしろ「約束を実行できなくて国民と沖縄県民に対して申し訳なかった。力及ばなかったその責任を取って辞める」といえば、国民はそのことから多くのことを学んだはずで、鳩山個人だけが変な奴という印象を免れたはずである。石橋湛山氏は他の自民党政治家、歴代首相とはっきり異なったスタンスを持っていた。敗戦直後近衛文麿が一度復権しそうになった時、メデァアは「近衛公、再び立つ」とはやし立てていたが、石橋氏は近衛公に「戦争責任を取って「、自決せよ」と迫った。このようなラジカルな戦争責任論は敗戦直後の一時期のことで、鳩山一郎や辻正信らと会派を組んで、果たしてこのスタンスが持続できたかどうかは微妙である。不徹底ではあるが、対米従属に対する批判という点で石橋氏の活動には定評があった。GHQと国家予算の30%におよぶ「終戦処理費」に関して大蔵大臣として石橋氏は抵抗を行った。アメリカと対立することによって公職を追放された例は皆無である。長い物には巻かれろ式の保守支配層の面従腹背のつもりだった姿勢は卑屈な隷従へとますます傾斜していった。石橋氏の姿勢は、日本尾戦後支配層の主流をなすところの親米保守とは対照的なスタンスを持っていました。親米保守主流勢力はGHQの権威に寄りかかることで自身の権力基盤を確保するという、永続敗戦レジームに入ったのです。アメリカの意志という装いの下に、日本の官僚や政治家はそこに自分の利害を持ちこむということです。占領期間が終わって公職追放が解除され、石橋氏は戦後保守勢力の中で冷戦構造に本気で挑戦するという特異な活動を再開した。石橋氏が追求したのは、アメリカ一辺倒はだめで、内閣として親米姿勢はは堅持するが、中国とも付き合うという脱対米従属路線の提唱です。日米二ヶ国同盟から日中米ソ四ヶ国同盟にしようという冷戦構造を無くする考えでした。ですから岸首相が60年安保改定の強行については石橋氏は批判的でした。「何も急ぐ必要はないのに、岸君は強引な手をつかう」といい、岸が退陣したあと池田首相が岸路線を引き継いだ時も「こんな姿勢では日本はアメリカの州の一つのようなものだ」と批判しました。石橋氏は独立ということを現実的に思考した思想家・政治家であった。ただし本書の石橋氏のやろうとしたことの分析は、極めてお粗末としか言いようがない。この辺から著者の資質に疑問が湧くのは私一人だけだろうか。つまり著者の断定的能書きが先行し(結論が正しいとしても)、石橋氏の業績への分析・立証が不十分で、私にはこの論文は納得できないのである。

(つづく)