ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 白井 聡著 「戦後の墓碑銘」 (金曜日 2015年10月)

2017年03月10日 | 書評
永続敗戦レジームのなかで対米従属路線と右傾化を強行する安倍政権の終末 第11回

2) 「永続敗戦レジームの中の安倍政権」 (その3)

④ 3.11と戦後70年の歴史意識ー暴かれた平和と繁栄の欺瞞
2015年は戦後70年となるが、その戦後の体制が70年も継続してきたことは、世界を見ても尋常なことではない。70年も日本は戦争を行わず、平和な経済発展を続けたのである。これを安倍首相は「消極的平和路線」と蔑み、自分は「積極的平和」に変えると意気盛んなようだが、「積極的平和」とはアメリカンの虎の威を借りた戦争準備のことである。戦後物語の「平和と繁栄」はアメリカに依存する欺瞞に過ぎなかった。2011年3月11日の東電原発事故はこの戦後体制の欺瞞を露わにした。国民の安全や身体を守る事より、その場を取り繕い被害を過小評価することで、責任を回避し原発推進システムを温存するという行動様式は、先の大戦の指導者層の行動様式と全く同じであった。右傾化ということがを定義すると、「むき出しの権力の行使」のことである。つまり権力の暴力性が前に出ることである。それは権力の秘密が露呈した時に、権力側が追い詰められむき出しの暴力性を出さざるを得ないことである。彼らは強いのではなく、終焉を迎えつつあるのだという現状認識である。

⑤ 日本は近代国家なのか?
2015年5月安倍首相は訪米し、米議会で演説した。情緒的な言葉で飾られた異様なまでの片思い的な演説は、あたかも日本国家とは米国の傀儡であるかのような印象を与えたという。それは「尖閣諸島問題は日米安保条約の適用範囲内」という見解をアメリカと共有したいという思いをにじませている。もし米国の言質が取れれば、それが日中有事の確率を下げることができるという期待にたいして、オバマ大統領は「付け加える新しいことは何一つない」という冷たい対応であった。アメリカは尖閣諸島問題では「極外中立」を堅持してきた。また日米安保条約第5条の参戦規定に定められた参戦規定が義務付けているものは、「参戦を議会に諮る」でしかない。その結果が日本に組しないものであっても安保条約に違反することにはならない。なお尖閣諸島問題については、豊下楢彦著 「尖閣問題とは何か」(岩波現代文庫 2012年10月)は、米国の戦略を次のように述べている。1972年2月尖閣諸島の領有権問題についてニクソン政権が「中立の立場」を固めて米中和解交渉に臨み北京政府を承認した。この中立政策は国際政治では「オフショア-・バランシング戦略」と呼ばれる。すなわち日中間とりわけ沖縄周辺に領土係争があれば、日本の防衛のために米軍の沖縄駐留がより正当化されるという深慮があったといわれる。ニクソン政権に在っては劇的な米中和解に踏み出す一方で、1969年の佐藤・ニクソン共同声明において、日本の安全と台湾の安全を結びつけた「台湾条項」を組み込んだ。ニクソン政権は日本向けには「中国の脅威」を植え付け、中国に対しては軍国主義復活という「日本の脅威」を掲げて、米軍が沖縄と日本本土に駐留することが、日中の相互によって承認される構図を作り出した。1974年の日中国交回復における田中角栄・周恩来会談では、尖閣諸島問題は棚あげとしたのである。米国が日本に仕掛けた火種が「尖閣問題」、「北方領土問題」、「竹島問題」である。世界中で3方に領土問題を抱えた国はない。両手両足を縛られた日本、アメリカの財布の役目を背負わされた日本、これらが日本の閉そく状態を規定している。 果たして日本が近代国家なのだろうか。前近代国家では国民は権力者の私的所有物であって、法は権力者の恣意的な判断に任せられる状態だとすると、近代国家は主権は国民に在って、権力者より法が上位に立つ立憲主義でなければならない。これらが踏みにじられている日本の状況はとても近代国家とは言えない。その権力者とは君主のように見えるものではなく、政官財学メディアを支配する巨大な対米従属利益共同体である。

(つづく)