ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 白井 聡著 「戦後の墓碑銘」 (金曜日 2015年10月)

2017年03月03日 | 書評
永続敗戦レジームのなかで対米従属路線と右傾化を強行する安倍政権の終末 第4回

1)  「戦後の墓銘碑」 2014年2月から2015年7月までの出来事 (その2)

④ 改憲の道筋がはっきり姿を現した
2014年5月15日の首相記者会見において「集団的自衛権の行使容認」へ向けて内閣は強行突破を図るつもりであることを表明した。中国を仮想敵国としもしに日中衝突なれば、中国との経済関係を強めている米国から見捨てられる公算の方が強い。米国が中国封じ込めに転じる可能性は極めて低いと言わざるをえない。しかし戦前日本の軍部が独走して日中戦争が始まった経緯を見ると、米国が日本に引きずられる可能性は全くゼロとは言えない。憲法改定はハードルが高いと見た安倍首相は「閣議決定による解釈改憲」という立憲主義の観点からして狂気の沙汰というべき手法に訴えた。集団的自衛権の行使容認によって日本がアメリカの戦争に付き合わなければならなくなる可能性は、首相の二枚舌に惑わされるまでもなく明白な論理の帰結である。戦後初めて日本の軍事組織が他国と「殺し、殺される」関係になることは必至である。こうして改憲の道筋がはっきり見えてきたいま、終戦の両義性、憲法9条の両義性もまた問題にされる。敗戦は終戦と呼び変えられ、平和と繁栄のストーリが謳歌した戦後の虚構性は今崩壊の危機にある。平和憲法と天皇制存続がワンセットで取引された戦後の虚構は、戦前の権力者集団の続投を許した。第2次世界大戦後、米国は朝鮮戦争からベトナム戦争と冷戦を戦い抜いた。ソ連の崩壊後はわが物顔に世界の憲兵を演じ、湾岸戦争、対テロアフガニスタン戦争からイラク戦争、「イスラム国」戦争とほとんど休みなく戦争を続けている。国連を無視した、大義の無い有志連合の戦争である。そのファイナンスと沖縄基地提供によって米国を支えてきた。それが日本繁栄の裏付けであった。日本の平和と繁栄はアメリカの戦争と表裏一体である。なお集団的自衛権の問題については、本書には詳しく述べられていないので、豊下楢彦・古関彰一著 「集団的自衛権と安全保障」(岩波新書 2014年7月)を参考書としてあげる。

⑤ 揺らぐ象徴天皇制というシステム
2014年5月の「正論」に安倍首相のブレーンと目される八木秀次氏による平成天皇・皇后批判「憲法めぐる両陛下のご発言公表への違和感」が出された。ここで八木氏は「両陛下のご発言は安倍首相が進めようとしている憲法改正への懸念の表明となっている」と書いて、両陛下は安倍首相の憲法改正の邪魔をするなという内容であり、強い批判を招いた。この問題にはまず昭和天皇の戦争責任と戦後の天皇制維持のいきさつが深く関与しているので、そこから説き起こしてゆこう。天皇免責は日米支配層の効率的統治のための合意であり、優れて政治的措置だった。昭和天皇の戦争責任は追及しないというアメリカの政治判断である。昭和天皇が果たして大権を持っていたのかどうか、いや憲法上は天皇には無限責任があるという三島由紀夫氏は断じる。昭和天皇の免責と象徴としての生き残りは、戦後日本の従属国化と引き換えになされた以上、天皇制の復活はありえない。しかしまた天皇制を隠れ蓑として権力を恣にしようとする支配権力がいる限り、油断はならない。2013年12月平成天皇は「憲法の遵守」を自らの責務として強調された。美智子皇后も民主的原則に言及された。これらのご発言は戦後憲法への高い評価と信頼を表明する言葉であった。戦後派無頼を自任する文学者坂口安吾は「最も天皇を冒涜する軍人が天皇を崇拝するかのように見せかけ利用してきた。我々はこのからくりに騙されてきたのである」と述べている。これは日本人の深い虚偽意識であった。

⑥ 不穏さに慎重に応答する今上天皇
2013年10月園遊会での山本太郎参議院議員による天皇直訴事件があった。「天皇の政治利用はけしからん」という左右両派の非難があったが、この行為は戦後の終わり、つまり象徴天皇制の揺らぎという意味で捉えるべきではなかろうか。下村博文門科学大臣は「田中正造に匹敵する不敬罪」と批判したが、不勉強による誤解があったとして謝罪した。そして2014年5月天皇・皇后は栃木県佐野郷土博物館を訪れ。田中正造の直訴状を閲覧した。じつに113年ぶりに天皇が直訴状を読んだことになった。国民の歴史意識は、黒船による国難の発生→徳川幕府の無能の露呈→天皇を担ぎ上げて西南諸藩の勤皇攘夷運動→明治維新という動乱・大政奉還といった流れを再現するかのようであった。もう一度天皇制に戻ることは将来まずないであろうが、自身を戦前の権力集団の後継をもって任じる安倍首相がこれを利用しないとは言えない。山本議員の軽率なパフォーマンス的行動は、このアナクロサンディカイズム(時代錯誤性)を正夢に変える可能性はゼロとは言えない。

(つづく)