ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート ポアンカレ著 河野伊三郎訳 「科学と仮説」 (岩波文庫)

2016年06月08日 | 書評
科学の諸分野で「仮説」の果たす重要な役割 第6回

第3篇 「力」

第6章 古典力学


イギリス人は力学を経験(実験)科学として捉えている。フランス人は演繹的(先天的)科学と考えている。実用的にはイギリス人が正しいが、科学という枠で考えるとはたして経験がすべてであろうか。実験とは何か、数学的推理とは何か、規約とは何か、仮説とはなにかについて十分議論してるとはいえない。それ以外にも、①絶対的空間は存在しない、②絶対的時間も存在しない、③二つの事象の等しさや同時性の直感を持っていないこと、④ユークリッド空間は規約に過ぎないことを議論していない。すると空間や時間や幾何学さえ力学を縛るものではないことが分かる。ただ絶対時間とユークリッド幾何学を暫定的に認めてもよい。「力を加えられない物体は直線的な等速運動しかありえない」という慣性の原理は先天的な真理であろうか。地球上で実験的経験的に知り得た真理なのだろうか。運動を止める力は限りなく存在する(重力、摩擦、衝突)のに、どうして等速運動を確信しえたのだろうか。慣性の原理を特殊な場合として含むもっと一般的な原理に帰結することができる。この一般的原理とは、「一つの物体の加速度は、この物体と近接する諸物体の位置及びそれらの速度にしか依存しない」ということである。宇宙の物質の運動は第2階の微分方程式に依存すると言い換えてもよい。これが慣性の法則の自然的一般化である。第 1階の運動の微分方程式は「物体の速度はその位置と近傍の物体の位置とにしか依存しない」、第3階の微分方程式は「物体の加速度の変化は、この物体と近傍の物体の位置、この物体の速度および加速度にしか依存しない」ということである。もはや実験はこれを確証しないし、矛盾もないからである。加速度とはその物体に働く力をその質量で割った者に等しいという。キルヒホッフの定義より力F=ma(m質量、a加速度)より、a=F/mということであるが、質量と何か、力とは何かというと、堂々巡りになり、力は運動の原因であると定義するのは哲学である。力を測定するには作用と反作用の法則(ニュートンの第3法則)を介在させる必要がある。もはや実験的法則ではない。ニュートンの作用反作用の法則は実験的法則とみなすことはできない。定義と見なして是認するしかないのである。天体の質量を求めるには引力(重力)をkmm'/r^2という中心力の仮説が必要である。宇宙全体のシステムの重心は等速直線運動だとしてもどうしてそれを測定できるのか。すなわち質量とは計算に便利なように導入された係数である。力学の原理は最初は実験的な真理と思われていたが、これらは定義に過ぎないとしなければならない。力が質量に加速度を掛けた積に等しいとするのは定義による。ニュートン力学は永遠不滅な実験的真理と考えられるのは、仮説という定義であるから原理と矛盾することがあり得ないからである。

(つづく)