ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 読売新聞戦争責任検証委員会著  「検証 戦争責任」(中公文庫 2009年)

2015年08月18日 | 書評
日本はなぜ「昭和戦争」を引き起し、多大な犠牲を生むことになったのか、日本人自ら戦争責任を問う 第9回

4) テロリズム

 大正・昭和時代に横行したテロ・クーデター事件をまとめると、1921年安田善次郎(安田財閥創始者)暗殺事件(右翼団体)、1921年原敬首相暗殺事件、1930年浜口首相狙撃事件(右翼団体)、1931年3月事件クーデター未遂(陸軍橋本欣五郎ら急進派)、1931年10月事件クーデター未遂j(陸軍急進派)、1932年血盟団事件(井上準之介蔵相、団琢磨暗殺)(井上日召右翼団体)、1932年5.15事件(犬養首相暗殺)(陸軍将校)、1933年神兵隊事件未遂(右翼青年、軍人)、1934年士官学校事件未遂(陸軍皇道派将校)、1935年永田事件(永田鉄山統制派殺害)(陸軍皇道派相沢三郎中佐)、1936年2.26事件(斎藤首相、高橋蔵相、渡辺教育総監、鈴木侍従長、岡田首相、牧野内大臣襲撃 3名殺害)(陸軍皇道派)などである。こっれらの人以外にもテロの対象となった人は多い。天皇機関説の美濃部貴族院議員、牧野内大臣、東条英機暗殺計画などがある。大正時代は安田善次郎暗殺事件に象徴されるように①特権的富豪排斥、②既成政党粉砕が叫ばれた。つまりテロはいつも「造反有理」を持ち出す。テロが消し去ったものは何だろうか。それは人命を含む人権であり、民主主義であり、合理的精神であった。テロという凶器をまえにして人々は屈服し、戦慄から迎合へ向かった。昭和維新は天皇の政治体制は国是として、「君側の奸」を除くという形で行われた。テロは天皇を担いでやりたい放題の権力奪取レースを演じたのである。2.26事件は北一輝の「日本改造法案大綱」がバイブルとなっている。「天皇大権の発動により、3年間憲法を停止し、議会を解散し、全国に戒厳令を敷く」という国家改造計画である。ところが権力奪取の戦術は書いてあるが、その権力でどんな社会を作るのかという中身はまるでない。神国と言った情緒しかない恐るべき無内容な書である。政府や政党、財閥に対する国民的憤懣を背景にしたテロに対して世論(つまり新聞の論調)は許容姿勢を取った。テロは結果的に軍部独裁による戦争遂行体制を準備したのである。血盟団事件の首謀者井上日召は「支配階級全体に襲われるという恐怖心が起る。自分の生命以外には恐れるものを持たない彼らに恐怖心を植え付けることで彼らは変化してゆく」という恐怖の効用を述べている。こうして要人には暗殺というテロに対する恐怖が広がった。政治家や学者は言い分を少しづつ迎合する方向へ変えてゆく。財閥は襲撃を避けるため軍隊に莫大な寄付をするか、大東亜共栄圏構想で一儲けする1石2鳥の道を選ぶ。政治家は政党自体を解消し大政翼賛会へ向かった。軍隊に批判的な言葉を吐くと狙われるので反軍的言論は封鎖される。日独伊同盟に反対だった山本五十六海軍省次官も陸軍に襲われる恐怖から、海上(連合艦隊司令官)に逃げた。こうして国内からは陸軍に批判的勢力無くなり、海軍自体も親独派が支配し、英米協調派は発言力をなくした。こうして陸軍は反対派をテロによって沈黙させ全権力を掌握した。日本の軍部はいくつもの凄惨なテロ、クーデター未遂事件によって、満州事変をチェックしようとする政治家をテロで脅迫しながら、深く政治に関与を深めていった。1936年広田弘毅内閣は陸軍に迫られて、廃止されていた「軍部大臣現役武官制」を復活した。これにより陸軍海軍大臣の同意を得ないと組閣もできないので、政党内閣は崩壊したのである。

(つづく)