ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 服部茂幸著 「アベノミクスの終焉」(岩波新書 2014年8月)

2015年08月04日 | 書評
政府・日銀が語る異次元金融緩和を柱とするアベノミクスの検証 経済は本当に回復したのか 第7回

2) 「第1の矢」批判 異次元緩和金融政策 (その2)

現在のマクロ経済学はケインズから始まる。1970年代までマクロ経済学の主流であったケインズ派はインフレよりも失業を重視した。ところが反ケインズ派のフリードマン(ニューケインジアン)が主流となり金融政策の第1の目標が物価安定とされた。このインフレターゲット論の代表が前FRB議長のバーナンキで、物価安定という目標を損なわない限り、金融を緩和し失業率を引き下げるという政策を取った。2008年のリーマンショックに端を発する金融危機によって、大緩和時代は終わった。物価は数多い変数の一つに過ぎない。金融政策が物価を安定化しマクロ経済も安定するという理論は単純すぎた。バーナンキは2000年代のアメリカ経済は住宅バブルと家計の負債増加によったことを認めなかった。分かっていても認めたくないことは分かる。現日銀の黒田総裁も岩田副総裁も、低い経済成長を支えたのは政府支出と駈け込み需要であり、消費者物価指数の上昇は輸入インフレであったことは分かっていても認めたくないのであろう。中央銀行は銀行の銀行で、信用秩序の維持は日銀の役割である。日銀は最後の貸し手機能(バジョット)と言われる。2008年12月からFRBは量的緩和政策を実施した。バーナンキはこれを「信用緩和政策」と呼んだ。FRBは不動産担保証券MBSの購入を急増させた。金融システムの安定化政策には、①金融規制、②最後の貸し手機能、③預金保険制度、④公的資金の注入による金融機関の救済である。中央銀行はリスクを背負わないのが原則である。従ってリスクのある金融機関への融資、証券購入は政府の政策金融の仕事である。日銀政策と政策金融の間に明確に線を引くことはできないので日銀の財政政策化は避けられないのである。無担保翌日返済の銀行間取引金利をコールレートというが、金融政策はコールレートの調整によってなされる。1990年代中ごろ以降こ-ルレートはほぼゼロとなっている。ゼロ金利下でいかに金融を緩和させるかという方法として「量的案和政策」が考えられた。日銀は2001年から2006年まで量的緩和政策がとられ日銀当座預金のマネタリーベースの拡大である。こうして今の日銀黒田体制では日銀当座預金は128兆円も増加した。これもバーナンキの量的緩和政策の踏襲であった。短期金利はほぼゼロであるが、長期金利はゼロではない。日本の長期金利は0.6%を切っている。日銀が国債以外の貸し出しや証券購入を行うことを「ポートフォリアリバランス効果」という。しかし異次元金融緩和後に国債以外の証券保有の増加が速まったという傾向はみられない。むしろ日銀が買い取ったために銀行の国債保有が急減した。円安政策の重要な目的の一つが輸出拡大である。「ソロスチャート」とは、円ドルレートは日米間の真似たりベースに比率で決まるというものであるが、2001年から2006年の日本の量的緩和時代、日米の真似たりベース日は急上昇したが、円高となっている。量的緩和が終わると円安方向に進んだ。つまりソロスチャートが崩れていたのである。又いろいろな理屈をリフレ派はでっち上げるのである。金融緩和を行えばなぜインフレ期待が生じるのか明確な根拠はない。物価上昇が賃金上昇につながらない限りインフレ傾向にはならない。今回の物価上昇は円安による輸入インフレであった。円安が止まると物価上昇も止まるのでインフレ期待もしぼんでしまった。期待がインフレを起すという理論は資産価格の論理を消費財価格に持ち込んだものに過ぎない。2001年からの日本の金融緩和政策が金融安定化につながったことは事実だとしても、実体経済の効果については曖昧である。金融システムが立ち直っても破壊された実体経済がすぐに立ち直れるわけではない。日銀による市場からの国債の大量購入は国債金利を低下させた。これは借金漬けの政府財政を支える点で重要である。日本の異次元緩和はもともと長期金利の下げる余地がないところから始まった。それでも期待から一定の円安と株価上昇が生じた。異次元緩和が始まると日本経済は低迷した。期待はいつまでも持つものではない。そもそもケインズは金利が下限に達した「流動性の罠」のもとでは金融政策は無効であるという。

(つづく)