ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 丸山真男著 「文明論之概略」を読む 岩波新書 上・中・下(1986年11月 )

2014年11月17日 | 書評
福沢諭吉の最高傑作を、政治思想史学者丸山真男が読むと  第9回

4) 第2章 「西洋の文明を目的とする事」 (その2)

福沢諭吉著「文明論之概論」第2章「西洋の文明を目的とする事」(文庫本で25頁ほど)を、丸山氏の本ではかなり力が入っているようで、(新書本で)120頁を費やして第3講から第5講までの3つに分けます。第3講「西洋文明の進歩とは何か」、第4講「自由は多事争論の間に生ず」、第5講「国体・政統・血統」と題名をつけて論じている。この順にみてゆこう。まず福沢は「未開」、「半開」、「文明」の3段階論を提示しましたが、第3講「西洋文明の進歩とは何か」で丸山氏は「進歩史観」についてまとめています。冒頭において福沢は西洋文明を相対化しながら、今は西洋文明を目的とすると述べます。文明とは理想状態をいうのではなく、文明化という進化で捉えるのです。政治体制と政治過程の関係です。いろいろ勘案して相対的に日本にとって一番いいと考えられる西洋文明を取るのだという態度です。福沢の考え方の難しさは、常に条件付き、留保付きで論を展開します。したがって最後まで読んで文脈で理解しないといけません。片言双句で福沢はこういったといっても、それは文脈で正しいとは限りません。18世紀から19世紀にかけての欧州の文明史は「進歩史観」と不可分です。本書は同時に18世紀欧州の「啓蒙(理性)の進歩観」を反映しています。知性の進歩と社会の進歩が一体化しているということが啓蒙思想の特色です。完成へ向かうダーウィ二ズムの「進化の思想」とは異なる。この進歩の思想や啓蒙の思想は東アジア(中国)からは内在的には出てきませんでした。歴史のある段階に内在しているある契機が発展して次の段階が生まれるという弁証法が、19世紀のマルクス主義的発展史観ですが、日本には入ってくるのは遅れます。ダーウィ二ズムの適者生存説は、明治30年に加藤弘之が著した「国体新論」で強者優性論となっていきます。少なくとも福沢の時代には進化理論は主流ではなかった。福沢は無限のかなたに「文明の極致」を予想しているので、やはり啓蒙の進歩思想を受けているというべきですが、多事争論という言葉や競争や闘争という契機で人間は進歩すると考える福沢には進化思想もかなり混入しているです。幕末維新の時代の日本を「半開」の文明段階と呼ぶ福沢の日本批判の重要な命題がみられる。「猜疑嫉妬の心」は「学問のすすめ」で福沢が忌み嫌った「怨望」という日本人の閉鎖的心情に通じます。これを丸山氏は「御殿女中根性」といい、福沢は文明への害毒だといいました。前向きに捉えないですべてを人間関係のせいにする根性で、ムラ社会とか「引き下げデモクラシー」という形で日本社会にその残渣は残っています。丸山氏は福沢の「惑溺」というキーワードの言葉に注目し、「あるものが、その働き如何にかかわらず、それ自身価値があると思いこむ性癖」と解説します。陳腐化し形骸化した廃語に近い武士道や儒教精神や旧弊になぜかこだわり、価値があると思いこむことです。福沢はここでもうひとつの命題「他の恩威に依頼せず、自ら智を磨き」と自立の精神を提示します。さらに「学問の道は虚ならずして発明の基を開く」といって、懐疑の精神に裏付けられた実学を勧めます。アダム・スミスも「重商主義批判」で指摘したが、西洋文明には現実には植民地主義が強く、後進国(未開、半開国)の蹂躙が著しい。福沢が国権論で強く「独立なければ文明なし、文明なければ独立危うし」を主張するように、西洋文明は危険性をはらんでいるが、目下のところ見渡せば西洋文明が最善であるという相対論を述べます。苦渋の選択といえます。国が亡くなったり、征服されては元も子もなくなるので、早く西欧文明の精神を民衆が学んで民意を発揚し、活発な活動をして産業を振興させようという結論です。国を守るために文明化が必須だということです。福沢はまた「人間万事試験の世の中」という、とにかくやってみようという「プラグマティズム」に通じる実用主義を唱えます。ここで福沢は「ヨーロッパの文明を目的として議論の本位を定め、事物の利害得失を論じる」と宣言し、本書の方向を決定しました。さて文明化の道筋ですが、世間では「採長補短論」(和魂洋才論もそのひとつ)というご都合主義で、文明の事物や制度といった外形ばかりの輸入で事足れりとする風潮が主流ですが、福沢はここで一歩とどまり「難を先に易を後に」を主張しました。急がば回れ論です。むしろ文明の精神による民衆の成長が先だという論です。文明化は総力戦だということです。福沢は「人民の気風」と言って、「文明論之概略」の中核的概念の一つを提示して、維新政府の政府主導型の漸進論を批判しました。政府の外形はずいぶん改まったが、その専制抑圧の気風は旧態のままで、人民の卑屈政府不信の態度は改まっていないと指摘します。政府という智者(治者)がひとり良かれとしても全体が愚ではうまくゆかないという福沢の持論です。そしてこれは「一身独立して一国独立する」という命題に結び付きます。また圧倒的に民の力が弱かった時代の「権力の偏重」は福沢の基本的命題であり、このアンバランスは日本の伝統的疾患であるといいます。この命題は政治勢力の多元的権力論または権力分立論につながります。

(続く)