ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

文芸散歩 「孫 子」 金谷治訳注 岩波文庫

2012年08月20日 | 書評
中国最古の兵書は戦わずして勝つことを教える 第16回

第12篇 「火攻篇」: 「孫子曰 凡火攻有五 一曰火人 二曰火積・・・」
「五火の変」 火攻めには火人(人を攻撃する)、火積(兵糧の積荷を燃やす)、火輜(武器や軍備を焼く)、火庫(財貨倉庫を焼く)、火墜(敵の行路に火をかける)がある。敵の陣内で火が起きたらすばやく攻撃するが、敵が動かないなら様子を見ること、陣外から火を放つこともある。風上には立つな、夜の火は放つな。
「費留」 戦いで勝つだけで、決定的な功積を収めない無駄な戦いは経費のみがかかる。戦いは慎重にし戒めることが国家安泰・軍隊保全のための方法である。
(つづく)

読書ノート 荒畑寒村著 「寒村自伝」 岩波文庫

2012年08月20日 | 書評
老兵が語る、日本の労働運動・社会主義革命運動の失敗の歴史 第17回

8)労働農民党の10年ー昭和ファッシズムと太平洋戦争 (2)
 労農党は解散させられ半秘密組織となったが、無産政党の合同機運も高まった。12月には7党が合同して「日本大衆党」が成立した。この党内部で清党運動が起き分裂し、山川氏、猪俣氏らは脱退した。1931年(昭和6年)9月満州事変が勃発した。国内では国家主義的風潮が高揚し、赤松、麻生らの右派は軍部に迎合し「社会大衆党」を作り、河上肇氏らの「解消派」は合法政党を否定し脱退した。堺利彦氏は党の反戦委員長であったが、脳溢血で昭和8年1月ついに帰らぬ人になられた。無産階級の政治・労働戦線が圧倒的な国家権力の前に倒壊し、これを食止めることは誰にも出来なかった。1936年(昭和11年)盧溝橋の日支事変が起った。そして昭和12年旧労農党に対する治安維持法違反事件(いわゆる人民戦線事件)で突如寒村氏は検挙された。政府は一切の大衆的な反戦運動を弾圧する為に仕組んだ検挙・起訴であった。経済学者の大内兵衛氏も逮捕された。1年近く警察署で取調べを受け昭和13年12月巣鴨拘置所に移された。寒村氏の罪状ははっきりしなかったが、天皇制廃止を述べただけで治安維持法で起訴された。1939年(昭和14年)4月寒村氏は保釈され裁判に付された。寒村氏は当時の感慨をこう語っている。「昭和2年の暮に労農を始めて創刊されてから、12年の暮に逮捕されるまでの満10年、私たちのたたかいは反動の嵐の前に無残な敗北をとげた。そして孤影悄然として拘置所を放たれた私は、まさに旗を巻き傷を包み、秋風星落をうたう敗軍の1兵卒なのである」と。独ソ不可侵条約で平沼内閣は辞職し、ドイツとソ連はポーランドを分割した。1940年馬場氏、大森氏が相次いで亡くなった。9月には日獨伊三国同盟が結ばれ、ドイツのソ連侵攻が開始された。1942年、人民戦線事件の第1審で寒村氏は懲役3年の刑に処せられたが起訴した。この時期寒村氏は妻を喪い、生活は翻訳業で糊口をしのぐ様であった。人民戦線事件の裁判は1945年4月に控訴棄却となり上告中に終戦を迎え控訴破棄となった。終戦直前の対日ソ連参戦は千島列島をソ連領に編入する国際的合意の下に行なわれた。連合国は「北方四島」を了承していた。ソ連は社会主義という看板のもとに赤色帝国主義を実行し、列強の帝国主義と選ぶところのない不正に寒村氏は憤りを覚えたという。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「山中初秋」

2012年08月20日 | 漢詩・自由詩
高臥披襟気爽然     高臥し襟を披けば 気爽然

山亭床下聴流泉     山亭の床下に 流泉を聴く

満庭紫荻香和月     満庭の紫荻 香は月に和し
 
峰影松風色帯煙     峰影に松風 色は煙を帯びる


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(韻:一先 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

CD 今日の一枚 堀内孝雄 作品集2

2012年08月20日 | 音楽
堀内孝雄 作品集2
DDD 2006 アップフロントワークス

①竹とんぼ ②遥かな轍 ③ちぎれたボタン ④東京うさぎ ⑤東京発 ⑥さよならだけの人生に ⑦時代屋の恋 ⑧ガラスの女房 ⑨河 ⑩かくれんぼ ⑪あなたが美しいのは ⑫遠き日の少年 ⑬恋文 ⑭夢吹川 ⑮今日も最高やね ⑯永遠の夏