ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 高橋昌明著 「平家の群像ー物語から史実へ」 岩波新書

2010年07月08日 | 書評
「平家物語」の描く平維盛と重衡のイメージと実像 第5回

 清盛は1160年参議正三位となり、内大臣、太政大臣に進んだ。後白河上皇は、二条・六条・高倉・安徳・後鳥羽の五代の天皇の時代に院制を主導し、源頼朝から「天狗」と綽名された。清盛は後白河の室建春門院(清盛の妻時子の姉平滋子)の子である憲仁親王(後の高倉天皇)即位を図るという点で、後白河上皇と利害が一致した。清盛は大病を患い出家したが回復し、六条天皇を降ろして高倉天皇を即位させた。そして娘徳子(建礼門院)を高倉天皇に入内させた。清盛は摂津福原に引きこもって法衣姿で六波羅を通じて政界を操った。平家一門の惣領となった六波羅に陣取る嫡子重盛は国の軍事警察権を司った。ただ平家一門の宮廷での発言権はあまり高くはない。それは朝廷内の有職故事や伝統的行事を司れないからである。天皇家の政治とは殆ど行事・祭式化していたからだ。したがって親平家の公卿を操って院に働きかける方式であった。著者はこの時期の福原と六波羅の二拠点で構成された平家の権力を「六波羅幕府」と呼んだ。鎌倉幕府に先行する史上初の武家政権である。こうして権力を一挙に握った平家が、反平家感情の集中攻撃を受けるのは当然であったといえる。反平家の乱が次々と計画され、1177年「鹿ケ谷事件」がおき平家と後白河院との暗闘が表面化した。1180年清盛は後白河院の政権を奪取し、院を無力化するクーデターに成功した。そして同年安徳天皇を即位させ、清盛は外戚という摂関家の地位を得たが、「以仁王の乱」が起きたので、京の反平家勢力の暗躍を嫌って遷都し天皇を福原に移した。これが「平家新王朝」といわれる。1180年8月には頼朝の挙兵となり源平合戦という内乱の始まりとなった。これで大体舞台背景の解説は終わり、平家一門の没落の歴史と維盛、重衡の実像に迫る準備が出来た。
 
 著者は平家の一族の実像に迫るというが、見てきたわけでもないので結局は実証的歴史学でいう文献の解釈となる。ただ著者が主張したい実像とは平家物語のイメージから逃れて迫りたいということである。すると文献としては文学作品「平家物語」以外の史実を猟歩することになり、なにが史実らしいかを推測することである。歴史を研究するためには同時代史料によるわけであるが、古記録、古文書という断片的な史料のお世話になる。またストーリーのある編纂された後世の歴史書も利点がある。
(つづく)

読書ノート 砂田一郎著 「オバマは何を変えるか」 岩波新書

2010年07月08日 | 書評
オバマ大統領就任後半年間の初期評価 第9回

世界協調外交へ(2)

 5月20日両院はグアンタナモ基地捕虜収容所の閉鎖と移送にかかる費用8000万ドルの支出を否決した。これで収容所に残っているテロ容疑者240人の国内移転計画は頓挫した。自由・人権というアメリカ的価値の擁護とテロからの安全の確保をいかに両立させるかがオバマの課題となった。米国民は容疑者の米国内移送を拒否しており、それでもオバマは6月前半の10名の収容者を移送した。容疑の薄い100名近い収容者を国外に移送する交渉を開始しているが、200名以上の残った収容者をアメリカで受け入れる環境づくりがオバマ大統領の課題である。

 オバマ大統領の外交方針はブッシュの戦争政策から外交の復権である。外交チームの首脳はバイデン副大統領、クリントン国務長官、アフガニスタン担当ホルブルック代表、中東担当ミッチェル特使である。クリントンの最重要外課題は中国との2国間外交である。1月下旬から3月にかけてこの四人は世界各国に飛びオバマ外交の布石を打って回った。オバマ大統領は3月27日にアフガニスタン新戦略を発表した。破綻国家と化したアフガニスタンにおける軍事力による攻勢と民生の安定化を組み合わせたところに特徴がある。アフガニスタン問題と切っても切り離せないのが、かってアメリカが侵攻基地としたパキスタン内のテロ勢力問題である。パキスタンはテロ養成所と化している。アメリカとパキスタンの謀略組織も絡んで複雑な状況で一筋縄では解決しない。NATOはパキスタンから手を抜きたがっているので、オバマ大統領は「ベトナム戦争」化を恐れている。8月20日のアフガニスタン大統領選挙不正疑惑でいまだに大統領は決まらず不安定要因は拡大しており、アメリカ国内の世論は半数が「価値のない戦争」と見ている。2010年10月までに撤兵するとしたイラク駐留米軍15万人のうち、5万人は治安維持のために2011年末まで残留すると発表した。イラクの現状は必ずしも良くなっていない。5月25日、核無力化検証法を巡って休会中の六者会議を横目に北朝鮮は第2回目の核実験を行った。原子力施設の凍結は一体なんだったのか。6月16日韓国をアメリカの核の傘の下にいれるということになり、オバマの「核なき世界」演説の逆に歯車が動いた。7月6日オバマ大統領はロシアを訪問し、核軍縮交渉は進展した。7月8日イタリアで開かれたG8に出席したオバマ大統領は2010年3月アメリカで核安全保障サミットを開催すると発表した。そして9月17日ブッシュ元大統領が推進した東欧諸国へのミサイル防衛システム計画を中止すると発表した。
(つづく)

読書ノート 徳永恂著 「現代思想の断層ー神なき時代の模索」 岩波新書

2010年07月08日 | 書評
ニーチェ は神を殺したが、20世紀の思想家達の模索は続く 第12回

ベンヤミンと「歴史の天使」 (2)

 ベンヤミンの文藝評論の方法論は良く理解されているとはいえない。ベンヤミンにとって方法とは失われた過去を回想し取り戻す言語行為、歴史の物語り作法その物であったという。追想というユダヤ教の律法に基づく独特の時間論はやはり晦渋であったようだ。著者はベンヤミンの1928年に出版された「ドイツ悲劇の根源」と1940年の「歴史の概念について」という二つのテキストを重ね合わせてベンヤミンの基本姿勢をうかがうという、ベンヤミンの方法そのもので迫る。「ドイツ悲劇の根源」において、ベンヤミンはプラトンの「イデア」やライプニッツの「モナド」をメタファー(陰喩)として援用しながらキリスト教的存在論を描くのではなく、ユダヤ教神秘主義な時間論であり、半異教徒的な星座論の視線であった。ヴァールブルグ学派のルネッサンス美術史研究「神は細部に宿る」という普遍と個別との論理的形式論に近い論である。「普遍的真理は多数の個別者(星座)を通じて、人間の経験に対して具体的に現象する」という「コンステラチオン」(星座)論を展開した。断絶した連続をつなぎ、空白を埋めるものとして、あるいは重なり合ったイメージを透視する者として、「アレゴリー(喩え、寓意)解釈」がベンヤミンの方法論的キー概念である。ユダヤ教の神は抽象的絶対者として「陰喩」でしか語らなかったが、キリスト教はそれを直喩化してキリストという人格(存在論化)で語るのである。ベンヤミンは哲学的著作の表現形式として「トラクタート」(断章)をあげる。体系や概念的総括に反発する彼の姿勢を示すだけでなく、それらの断章がアレゴリー解釈を通じて連関が見えてくるのである。「モザイク」というよりは星座配置「コンステラチオン」と呼ぶにふさわしい方法である。歴史哲学としては解体と再編という構造だけでなく、連続する流れを中断して過去と未来を現在の視点から見直すのである。この「中断」という手法がベンヤミンの歴史哲学の方法の第1概念である。過去を現在に引用する手がかりはアレゴリー的な表現と解釈である。一貫した時系列の意図を拒否し、自動的に進む論理の暴力(推論)を嫌うベンヤミンの「中断」は「静止状態における弁証法」と名づけられた。
(つづく)

月次自作漢詩 「尋訪禅寺」

2010年07月08日 | 漢詩・自由詩
日午冥濛人影空     日午冥濛として 人影空しく
  
寂寥香域緑陰中     寂寥たり香域 緑陰の中

梅天点点幽窓雨     梅天点点と 幽窓の雨
   
涼気依依一榻風     涼気依依たり 一榻の風

●●○○○●◎
●○○●●○◎
○○●●○○●
○●○○●●◎
(韻:一東 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)