ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

医療問題 日本の医療は本当に世界に誇れるのか?

2010年03月25日 | 時事問題
医療に関する提言・レポートfrom MRIC(2010年3月23日)「医療を成長産業に なんて夢のまた夢」 多田智裕 ただともひろ胃腸科肛門科(武蔵浦和)より

 2月11日中医協の診療報酬審議が終わった翌日、長妻厚労大臣は「日本医療は世界に冠たるものがある。省内に医療・介護・保育の成長戦略プロジェクトチームを作る」という発言をしています。本当に日本医療は世界最高水準にあるのだろうか。現実はお寒い限りだ。日本の医療技術で世界最高レベルにあるのは「内視鏡検査」だけでしょう(オリンパスの内視鏡の世界シェアーが75%)。ところが内視鏡による大腸ポリープ切除手術は今回の診療報酬改定で53600円から5万円に引き下げられた。これまで日本の医療政策とは診療費の増大を診療報酬と薬価の切り下げで対応する歴史であった。それが今の医療崩壊の最大要因となっている。「世界から見て最高水準の医療技術を培った」というのではなく、「医療を安く平等に提供する」点では確かに世界最高レベルにあるというべきであろう。医療崩壊と日本的医療の提供は表裏一体の関係にある。今求められているのは診療報酬の増額であり、全体的な底上げである。

田中克彦著 「ノモンハン戦争ーモンゴルと満州国」 岩波新書

2010年03月25日 | 書評
ソ連、日本に翻弄されたモンゴル民族の悲劇 第4回

1)これは事件か、戦争かーノモンハン戦争の概要 (1)

 1939年(昭和11年)5月11日から9月15日まで4ヶ月にわたる死闘が満州国とモンゴル人民共和国の国境近くの「ノモンハン」で行われた。敵対したのは日本・満州国軍、他方はソ連・モンゴル人民共和国軍であった。日本側ではこれを「ノモンハン事件」と呼び、ソ連側は「ハルハ側の会戦」と呼び、モンゴル側は「ハルハ側の戦争」と呼ぶ。日本国側特に満州に駐留した関東軍は、東京参謀本部の「中止命令」に反して、国境から130kmも離れたモンゴル領内の空軍基地を空爆したのだから、公然と戦争と呼ぶことは出来なかった。モンゴル人とはウイグル文字を使用し、ラマ教(チベット仏教)を宗教とする民族である。日本がノモンハンと呼んだ地は「ノモンハーニー・ブルド・オボー」(法王清泉塚)という草原にある塚の地名であった。関東軍はブルド・オボーから20kmほど西に北西に流れるハルハ河を国境と考えていたのに対して、ソ連・モンゴル側はブルド・オボーを結ぶ線を国境線と考えていた。いまでいえば双方の見解の相違は、当然ブルド・オボーとハルハ河の間の20kmの幅を緩衝地帯(遊牧民の共有地)とすることで解決するはずである。両軍はそこへ入ってはいけないとすればいい。満州国とソ連の国境はアムール河と明解であったが、モンゴル人民共和国との国境はハルハ河ではなく、草原地帯の塚を結ぶ線であるという遊牧民族間の境界であったことが紛争を招きやすい要因であった。
(つづく)

文藝散歩 加藤周一著 「日本文学史序説」上下 ちくま学芸文庫

2010年03月25日 | 書評
日本人固有の土着的世界観をさぐる日本文化思想史概論 第5回

序(5)
 次に文学の特徴を見て行こう。

 第1の特徴は、抽象的な思弁哲学は育たなかったが、具体的な文学作品のなかで日本文化は展開してきた。鎌倉仏教哲学と江戸時代の儒教だけが例外として、日本の文化は抽象的・体系的・合理的な秩序追求よりも、具体的・非体系的・感情的な人生の特殊場面に即した言語が特徴であった。日本文化は音楽的様式や哲学的思弁はまったく不得意であるが、仏教彫刻や絵巻物といった造形美術に才能が発揮された。すなわち日本文化の中心は文学と美術があった。西欧や中国の体系的学問を解体して実践的用途に還元するのが「日本化」の本質である。

 第2の特徴は、発展の型に持続性があり、新旧が交代するのではなく古いものに新しいものが盛り込まれる形で発展してきた事だ。日本語による文体と叙情詩の世界では短歌が綿々と今日まで続いてきた。古い文学形式や言語といえば紀元前3000年ごろのシュメル神話やラテン語のギリシャ文学などいくらでもあるが、今は途絶えてしまっている。日本文学は5,6世紀以来の歴史的一貫性が著しい。

 第3の特徴は、日本語の表現が中国の漢字を基に作られて以来、ずっと日本語の文学と中国の詩文が並行して存在したことである。漢字の造語能力はすばらしい。外来文明の翻訳で世界を日本化してきた技術は世界的にも珍しい能力である。日本語には具体的特殊的に成立する文脈・言語に頼るところがあり、主語の存在しない言語といわれる。そして言葉は状況から語られる。主語ー動詞ー形容詞ー名詞の順番が西欧や中国語とは逆になる。部分を繋いでいって文をなす事に専念し、主語が誰だったのかは当事者にしか分らない。「源氏物語」がその典型である。寄せ集め文学である「今昔物語」などは、ストーリーや全体構造などは殆ど気にかけないのである。

 第4の特徴は、文学を担う階層(貴族・僧、武士、町民)が狭い事、都会(中央)中心であること、文化を担う集団が小さく閉鎖的である事(藤原氏、五山、文壇)である。平安時代の文学は藤原氏の独占物であったし、室町時代まで文学の担い手は平安貴族と僧であり、江戸時代には武士階級となり、明治以降は都市中産階級と地方地主階級であった。総じて地方の文化が貧弱であったことは、生産様式と富の蓄積が不十分であった事の反映である。都がすべてを吸い取っていたのである。集団内でしか通じない感覚はすぐに月並みな表現に堕落し形式化した。ようやく徳川時代中頃から社会階層が分化したといえど、江戸文学の対象は遊里に限られていた。

 第5の特徴は、多くの外来思想の浸透によって上に述べた日本文学の本質は大きな変更を受けなかった事である。仏教、儒学、キリスト教、マルクス主義などは「日本化」によって無害なものに変質された。政治学者丸山真男氏はこれを「執拗な通奏低音」といった。日本化の執拗な繰り返しで政治機構が根本的な変更を受けないのである。「古い皮袋に新しい酒を入れる」ことで、日本文化は伝統を守ってきた。そのことを可能にした根本的な理由は、日本が東海の孤島で外国の武力占領を受けなかった事である。このことはアメリカ軍の占領を経た今日でも、政治的に二重構造を保っている事に現れている。これを日本化というか、暫定的妥協というかは分らない。今後世界の距離は狭くなるのでいつまで可能かは分らない。
(つづく)

月次自作漢詩 「春日郊行」

2010年03月25日 | 漢詩・自由詩
紅樹青山春物菲     紅樹青山 春物菲に

深深胡蝶共霞飛     深深と胡蝶は 霞と共に飛ぶ

田園梅老鶯始出     田園の梅老いて 鶯始めて出で
   
三月夭夭燕未帰     三月は夭夭 燕未だ帰らず

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(韻:五微 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)

CD 今日の一枚 シューマン「交響曲第2番、チェロ協奏曲」

2010年03月25日 | 音楽
シューマン「交響曲第2番、チェロ協奏曲」
①「交響曲第2番 ハ長調」作品61
②「チェロ協奏曲 イ短調」作品129
チェロ:ミッシャ・マイスキー
レナード・バーンシュタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー
DDD 1985 ドイチェ・グラモフォン

シューマンの交響曲第1番「春」、第3番「ライン」の較べると第2番は1846年の作で、暗い苦悩と諦めに満ちた曲想である。第1楽章の金管楽器の動機はハイドンの「ロンドン」から来ているらしい。チェロ協奏曲は1850年の作品で、美しいロマン的な叙情である。