ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 江口克彦著 「地域主権型道州制」 PHP新書

2009年07月22日 | 書評
中央集権制を廃して、日本の新しい国のかたちを探る 第3回

日本の「地域主権型道州制」議論の始まり(1)

 政府では平成18月9月に道州制担当大臣が置かれ、平成19年1月に道州制担当大臣の下に「道州制ビジョン懇談会」が設置されました。道州制の導入に関する基本的事項について検討が進められています。 総務省道州制サイトにその議論の経過が示されている。2003年の衆議院選挙に始まる「マニフェスト」(政権公約)に、自民党は「道州制導入の検討」を掲げた。小泉内閣は骨太の方針「2004年」に道州制の検討を本格化させると明記した。2007年安倍内閣の時に道州制担当大臣に渡辺喜美氏を任命し、「道州制ビジョン懇談会」を立ち上げた。この諮問機関は福田内閣でも引き継がれ増田寛也氏が担当大臣となった。この道州制ビジョン懇談会は三年間継続する予定である(2010年まで)。自民党は党内に道州制調査会を設け、2007年7月に報告書を出して、推進本部に格上げした。ところが国政レベルでの道州制の議論は必ずしも活発ではなく、統一地方選挙でも取り上げられる事はなかった。国民の理解もいまいちである。
(続く)

読書ノート 坂井克之著 「心の脳科学」 中公新書

2009年07月22日 | 書評
「わたし」は脳からうまれる 第6回

1)外なる世界 認識と意識 (3)

 現在の脳科学では、脳活動とわたし達の意識の中味との因果関係が一番の問題となっている。見えたものを意識するメカニズムを考える。脳科学に「眼球間闘争」というおかしな名の実験がある。左目と右目に別々の像を見せると、意識せずに画像は交互に意識に上る。これを支配しているのが、画像が顔と建物であれば脳の「顔領域」と「建物領域」の活動の切り替えが起きているのである。右目と左目が闘争しているのではなく、脳の中で意識する領域のスィッチが切り替わっているのだ。切り替えの時に活動しているのが「前頭葉外側領域」であった。スィッチの司令塔はここだ。前頭葉は意識的に努力している時に活動するが、意識せずとも自発的に活動することがある。縦縞と横縞を左右の目に見せる時には、ここでもやはり眼球間闘争がおきる。この時の司令塔は視神経線維束の連結点であった「外側膝状体」が活動している。結合だけでなく信号のゲート役を担っている。意識に上らなくとも神経活動はある程度は自発的に別の脳領域につたわる。これを「サブリミナル効果」と呼ぶ。見ようとする意識がなければ何も見えたことにはならないが、見ようとする意識があると視覚にはない物を見ることがある。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」と云う言葉ある。思う我はどこにあるのだろうか。臨死体験とかてんかん患者は自分が肉体を遊離する姿を見る事があると云う。それは脳の「TPJ領域」の異常である。この部分に電流を流すとこの現象の誘発が出来る。「TPJ領域」は視覚、触覚、平衡感覚の情報が集まる場所である。自分の自我は絶対見る事は出来ない。自我は虚構である。自我は実在ではない。しかし「私という虚構」は脳という実態基盤を持っているのだから、それを科学的に明らかにする事は可能であろう。
(続く)

月並み自作漢詩 「夏夜片月」

2009年07月22日 | 漢詩・自由詩
扇頭能有幾多風     扇頭能く有るや 幾多の風

夜至依然午熱同     夜至るも依然 午熱に同じ

病骨尋涼遊物外     病骨涼を尋ね 物外に遊び
 
江西片月在城中     江西の片月 城中に在り

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(韻:一東 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

CD  今日の一枚 モーツアルト 「レクイエム」

2009年07月22日 | 音楽
モーツアルト 「レクイエム」 K.626
ペーター・シュラィアー指揮 ドレスデン・シュターツカペレルとドイツ放送合唱団
ソプラノ:マーガレット・プライス メゾソプラノ:トゥルデリーゼ・シュミット
テノール:フランシスコ・アサイアー バス:テオ・アダム
DDD 1982 PHILIPS

モーツアルト死の床での作曲で、最後のケッヘル番号がついた。半分くらいは完成していたが、未完でスケッチが残されていたので弟子のジェスマイヤーが夫人の依頼で完成した版である。レクイエムは「死者のためのミサ曲」といわれ、この曲はミサ曲として最高の傑作である。未来永劫に残る人類の遺産と思う。