ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 重村智計著 「朝鮮半島核外交」 講談社現代新書

2008年04月28日 | 書評
半島国家は周りの大国を巻き込み対立を利用するー北朝鮮の戦術と経済力 第3回

 現在の北朝鮮は1990年初頭の冷戦構造の終焉によってロシア、中国の援助の殆どを失い、経済インフラ整備を怠ったため国民生活と経済は破綻した。いまや「先軍政治」という軍事独裁国家で金王朝体制を維持し、「核瀬戸際外交」で援助を獲得するといういわば「ならず者こじき国家」である。2006年10月9日第一回地下核実験を行った。国際的には失敗した実験という見方であるが、その後北朝鮮は第二回、第三回と矢継ぎ早の核実験をして技術の完成に努めるべきはずが、10月31日に突然「6カ国協議への無条件復帰」に合意した。まさに瀬戸際外交である。まだ使い物にならない核を振りかざして次の援助外交を開始したのである。北は「米国の金融制裁解除」を要求した。その前に6カ国会議への復帰条件が「米国の金融制裁解除」であったはずだが、核実験を行って揺さぶりをかけ6カ国協議の中で「米国の金融制裁解除」を要求するという外交的には一歩後退したものだ。それほど金融制裁や経済制裁がボデーブローのように北を追い詰めていたのである。金融制裁による資金不足と食糧危機が国家滅亡の危機に瀕していたというべきであろう。2006年7月の大洪水による被害も拍車をかけた。そこで怪しげな核実験をやらざるを得ない状況に追い込まれた。北朝鮮の当面の狙いは韓国からの食糧支援再開であった。問題解決の道は「核放棄」か「金体制崩壊」かの二者択一に追い込む外交が必要である。2007年からは始まった米朝折衝と6カ国協議において、北朝鮮は「核施設凍結と無力化」、「核開発計画の提出」、「核査察IAEA入国」を受け入れる方向に動いた。これを北の譲歩とみるか、時間稼ぎとペテンと見るかは、第一段階の2007年年内にIAEAの「核施設凍結と無力化」が成功するかどうかにかかっており、まだ何が起きるかは予断を許さない状況である。1994年のクリントン合意を北が踏みにじった経緯があるだけに、二の舞いは踏んではいけない。

読書ノート 佐藤優著 「国家の罠」  新潮社

2008年04月28日 | 書評
鈴木宗男、佐藤優をターゲットとした小泉政権の国策捜査 第9回

3、疑惑とされた佐藤氏の外交活動の内容 (2)

国後島ディーゼル発電機供与事業は外務省欧亜局ロシア支援室が担当した案件である。ビザ無し交流から始まった人道支援事業の一環であった。東郷氏の戦略ではモスクワでのロビー活動を「西部戦線」、北方四島支援は「東部戦線」と呼ばれていた。1999年10月に出来た「宗男ハウス」とはビザ無し訪問で訪れる日本人のための宿泊施設で非常の際はロシア人も利用できる施設である。日本政府はロシアでインフラ整備は行わない方針であったので鉄筋コンクリートではなくプレハブ製である。当時サハリン州知事よりたびたび北方四島の電力事情が悪いので発電機支援の要請があった。この事業を推進したのがロシア課篠田課長と北海道/沖縄開発長官の鈴木宗男氏であった。色丹島、択捉島への本格的ディーゼル発電機が供与され、電力問題は解決した。そして国後島の住民の要請で2000年10月にディーゼル発電機が供与された。1998年4月の川奈会談で橋本龍三郎首相はエリツィンにディーゼル発電機事業、北方四島の水産加工場、日露投資会社について合意した。これ以降三井物産との接触が深まった。日本の商社の対ロシアドクトリンは三井物産は「政商型」、日商岩井は「地理重視型」であった。三井物産はモスクワでのロビー活動が成功し融資案件を獲得していった。丸紅や伊藤忠も政治家を経由して北方案件で入札に動いていた。しかしそういうことは佐藤氏にとって何の関係もないことであったという

文芸散歩  「平家物語 」 高橋貞一校注 講談社文庫

2008年04月28日 | 書評
日本文学史上最大の叙事詩 勃興する武士、躍動する文章 第31回

朝敵揃
入道相国怒りなのめならず、平治において父義朝の謀反で打ち首になるところ、頼朝が幼少なるを哀れに思った池の禅尼の懇願で命ばかりを助けてやったのを、恩を仇で返す憎っくき奴、頼朝を退治せずにおくものかと云う。この節では天下の朝敵を列挙するのである。土蜘蛛、大石山丸、大山王子、山田石川、守屋大臣、蘇我入鹿、大友真鳥、文屋宮田、橘逸勢、氷川川継、伊予親王、藤原広嗣、恵美押勝、早良太子、井上皇后、藤原仲成、平将門、藤原純友、安倍貞任、源義朝、悪左府藤原頼長、藤原信頼と名を挙げる。

咸陽宮
この節には、中国の歴史書「史記」から、秦の始皇帝を暗殺を狙った燕の刺客荊軻の故事を引いている。余りに有名な故事なので周知と思いここには引用しない。この故事引用の目的が良く分からない、頼朝は始皇帝なのか燕王丹なのか。

文覚荒行
頼朝に謀反を説いた高尾の文覚上人は、遠藤武者盛遠といったが、十九の歳に仏道修験者となった。熊野に行き那智の滝で、三十七日の修行大願を果たし、那智に千日、大峯、高野、立山、富士、伊豆、箱根、出羽羽黒などの山をめぐって修行したと云う。

自作漢詩 「藤千紫」

2008年04月28日 | 漢詩・自由詩


藤花千紫酔春     藤花千紫 春煙に酔う

不覚遊人籍草     覚えず遊人 草を籍いて眠る

春意自知紅布径     春意自ずと知り 紅径を布く
  
悠風吹入緑遮     悠風吹き入って 緑天を遮ぎる

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(赤い字は韻:一先 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

CD 今日の一枚 「ルネッサンス・モテトゥス集」

2008年04月28日 | 音楽
ブルーノ・ターナー指揮 「ルネッサンス・モテトゥス集」 
 合唱:プロ・カンティオーネ・アンティーカ 演奏:ハンブルグ管楽アンサンブル 
ADD 1978 ARCHIV

15・16世紀の宗教音楽「フランス・フランドル楽派」のモテトゥス集である。ダンスタブルのブルゴーニュ楽派に始まったイギリス音楽はデユファイのフランス・フランドル楽派に発展した。宗教音楽ではヨーロッパの音楽家に強い影響を与えた。本CDにはダンスタブル、デユファイ、バンショウ、オブレヒト、ジョスカン・デ・プレ、ラ・リュウ、イザーク、ゴンベール、ヴィラールト、モラレス、ラッスス、パレストリーナという作曲家の作品が勢揃いしている。