半島国家は周りの大国を巻き込み対立を利用するー北朝鮮の戦術と経済力 第3回
現在の北朝鮮は1990年初頭の冷戦構造の終焉によってロシア、中国の援助の殆どを失い、経済インフラ整備を怠ったため国民生活と経済は破綻した。いまや「先軍政治」という軍事独裁国家で金王朝体制を維持し、「核瀬戸際外交」で援助を獲得するといういわば「ならず者こじき国家」である。2006年10月9日第一回地下核実験を行った。国際的には失敗した実験という見方であるが、その後北朝鮮は第二回、第三回と矢継ぎ早の核実験をして技術の完成に努めるべきはずが、10月31日に突然「6カ国協議への無条件復帰」に合意した。まさに瀬戸際外交である。まだ使い物にならない核を振りかざして次の援助外交を開始したのである。北は「米国の金融制裁解除」を要求した。その前に6カ国会議への復帰条件が「米国の金融制裁解除」であったはずだが、核実験を行って揺さぶりをかけ6カ国協議の中で「米国の金融制裁解除」を要求するという外交的には一歩後退したものだ。それほど金融制裁や経済制裁がボデーブローのように北を追い詰めていたのである。金融制裁による資金不足と食糧危機が国家滅亡の危機に瀕していたというべきであろう。2006年7月の大洪水による被害も拍車をかけた。そこで怪しげな核実験をやらざるを得ない状況に追い込まれた。北朝鮮の当面の狙いは韓国からの食糧支援再開であった。問題解決の道は「核放棄」か「金体制崩壊」かの二者択一に追い込む外交が必要である。2007年からは始まった米朝折衝と6カ国協議において、北朝鮮は「核施設凍結と無力化」、「核開発計画の提出」、「核査察IAEA入国」を受け入れる方向に動いた。これを北の譲歩とみるか、時間稼ぎとペテンと見るかは、第一段階の2007年年内にIAEAの「核施設凍結と無力化」が成功するかどうかにかかっており、まだ何が起きるかは予断を許さない状況である。1994年のクリントン合意を北が踏みにじった経緯があるだけに、二の舞いは踏んではいけない。
現在の北朝鮮は1990年初頭の冷戦構造の終焉によってロシア、中国の援助の殆どを失い、経済インフラ整備を怠ったため国民生活と経済は破綻した。いまや「先軍政治」という軍事独裁国家で金王朝体制を維持し、「核瀬戸際外交」で援助を獲得するといういわば「ならず者こじき国家」である。2006年10月9日第一回地下核実験を行った。国際的には失敗した実験という見方であるが、その後北朝鮮は第二回、第三回と矢継ぎ早の核実験をして技術の完成に努めるべきはずが、10月31日に突然「6カ国協議への無条件復帰」に合意した。まさに瀬戸際外交である。まだ使い物にならない核を振りかざして次の援助外交を開始したのである。北は「米国の金融制裁解除」を要求した。その前に6カ国会議への復帰条件が「米国の金融制裁解除」であったはずだが、核実験を行って揺さぶりをかけ6カ国協議の中で「米国の金融制裁解除」を要求するという外交的には一歩後退したものだ。それほど金融制裁や経済制裁がボデーブローのように北を追い詰めていたのである。金融制裁による資金不足と食糧危機が国家滅亡の危機に瀕していたというべきであろう。2006年7月の大洪水による被害も拍車をかけた。そこで怪しげな核実験をやらざるを得ない状況に追い込まれた。北朝鮮の当面の狙いは韓国からの食糧支援再開であった。問題解決の道は「核放棄」か「金体制崩壊」かの二者択一に追い込む外交が必要である。2007年からは始まった米朝折衝と6カ国協議において、北朝鮮は「核施設凍結と無力化」、「核開発計画の提出」、「核査察IAEA入国」を受け入れる方向に動いた。これを北の譲歩とみるか、時間稼ぎとペテンと見るかは、第一段階の2007年年内にIAEAの「核施設凍結と無力化」が成功するかどうかにかかっており、まだ何が起きるかは予断を許さない状況である。1994年のクリントン合意を北が踏みにじった経緯があるだけに、二の舞いは踏んではいけない。