ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

福田内閣の支持 最低

2008年04月21日 | 時事問題
2008年04月21日00時38分
内閣支持25%、不支持60% 本社世論調査 
朝日新聞社が19、20の両日実施した全国世論調査(電話)によると、福田内閣の支持率は25%で、3月29、30日の前回調査の31%を大きく下回り、内閣発足以来、最低だった。不支持率は60%(前回53%)。内閣支持率が20%台に落ち込んだのは、07年7月に自民党が参院選で大敗した直後の調査で、安倍内閣の支持率が同内閣で最低の26%となって以来のことだ。


読書ノート 福岡伸一著 「生物と無生物のあいだ」 講談社現代新書

2008年04月21日 | 書評
生物の動的平衡とはなにか 第2回

本書の題名「生物と無生物のあいだ」という意味は、別に無生物をコメントしているわけではないので、生物の本質的属性とは何かを論じるためであろう。一般には生物の定義は「自己複製を行うシステム」といわれる。自己複製を行う点ではウイルスも生命になるが、著者はここで常識とは違う意見「私はウイルスを生物とは定義しない。生物を自己複製するシステムであるという定義は不十分である」といわれる。ヒトクロイツフェルトヤコブ病の原因物質プリオンはたんぱく質であるが伝染性を持ち増加をする。プリオンは明らか遺伝子を持たないので生物ではないけれど、生物なのか無生物なのか悩ましい存在である。著者は生命を「動的平衡にある流れ」という面白い定義をする。物質は常に入れ替わり流れているが、秩序が形成され形を取るのを生物という。カオスと複雑系の理論を組み合わせたような定義だけれど、宇宙の拡散と凝縮との通じる話でもあり、宗教的命として般若心経を訳した柳澤桂子著 「生きて死ぬ智慧」 に述べらた元素の拡散と凝集の中の生命にも通じ、今流行の歌「千の風になって」にもつながり、極めて知的に興味深い定義である。この定義の是非は直ぐに哲学論議や宗教論議や文化論にながれるので、世の文化人は興味を示す。著者のことば「生命の律動」とはまさに文学的表現として優れている。しかしこの「動的平衡にある流れ」という定義では、科学的に扱いにくい実態として掴みにくい概念となる。科学者を離れて文化人思想人の言葉ではないだろうか。

読書ノート 佐藤優著 「国家の罠」 新潮社

2008年04月21日 | 書評
鈴木宗男、佐藤優をターゲットとした小泉政権の国策捜査(国家の罠) 第2回

序(2)
ところがこの疑惑はそんな検察官の変な鼻の問題ではなく、外交政策のパラダイムシフトを計る新政権の見せしめの「国家の罠が用意されていたのである。新政権が旧政権側の権力者を一掃したがるのは理解できる。開発途上国や軍事政権などでは露骨に前政権の疑惑をでっち上げ監獄へ葬り去ることはよくみてきた。韓国ではいつもそうであった。ところが日本でも国家の罠が存在しているのである。なんかおかしいなという政治家絡みの疑惑は数多くあった。リクルート疑惑がその典型だ。未公開株を贈るリクルートの社長の利益はさっぱり分らなかった。厚生労働省の就職情報が欲しかったなんて嘘でしょう。そして最近では橋本龍三郎元首相に歯科医師会からの1億円献金問題である。あの事件は最初から小泉が最大派閥で郵政族を束ねる橋本派閥を壊滅させるための作戦だということは素人の私でもわかった。政治的取引で橋本派幹部青木氏・野中氏の分断と野中氏の政界からの引退で幕引きがなされたが、元官房長官だけが起訴されたのは気の毒としか言いようがない。政治は無情だとしみじみ感じたものだった。ということで本書は鈴木宗男氏疑惑とその犠牲者である佐藤氏をターゲットとした国家の罠の背景を解き明かすものとなっている。実に興味深い内容になっており、政治の背景つまりパラダイムシフトが理解できる仕組みである。権力者が変るとき取り残された人間(信念を持っていればこそ)の哀れさがしみじみ分る本である。ただ暗黙の了解で日本では後進国と違って前首相自体をターゲットにすることはない。周辺の物分りの悪い人間をターゲットにするのである。殆どの政治家は機敏に察して新しい権力者に迎合するか喧嘩しないようにカムフラージュするものだが、宗男は頑固一徹で葬られた。なお本書は第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞している。


文芸散歩  「平家物語 」 高橋貞一校注 講談社文庫

2008年04月21日 | 書評
日本文学史上最大の叙事詩 勃興する武士、躍動する文章  第24回

信連合戦
五月十五日夜、三位入道からの「既に謀反が露見した」という手紙が高倉宮に届いた。受け取ったのは乳母子である六条佐大夫宗信である。宮の侍長谷部信連は自分がこの屋敷で闘うので宮は女姿で三井寺へ逃し入るように指示した。子の刻に三百余騎が到着し、信連一人「弓矢取る身は、仮にも名こそ惜しけれ」と戦い、散々蹴散らしたが多勢に無勢で生け捕られた。その戦いぶりに入道相国はあっぱれと賞して、命を許して流刑とした。

高倉宮円城寺入御
その間に高倉の宮は東山の如意が獄を越して、滋賀の三井寺法輪寺に入った。


源三位入道が何故謀反と云う大それた事を仕出かしたかと云うと、それは平家の次男宗盛卿の良くない行いのためである。源三位入道の嫡子仲綱のところに名馬があった。噂を聞いてその名馬を欲しがった宗盛卿が無闇に催促するので、仲綱は一時は嘘ついて断ったところ、惜しいからわたさないのだろうとうるさく云うものでやむなく馬を宗盛卿に手渡した。すると宗盛卿は仲綱を憎むあまり、馬の尻に「仲綱」と焼印をして毎日うまを責めた。これを知った三位入道は深く平家の横暴を憎み、機会を窺っていた。小松大臣の頃は優しげに仕えられたのにそれと反対に宗盛卿の横暴なやり口への憎しみが募り、以仁王(高倉宮)に謀反を唆したのである。五月十六日の夜、源三位入道頼政と伊豆守仲綱、次男源大夫判官兼綱、六条蔵人仲家ら一族郎党三百騎は家に火を放って三井寺にはせ参じた。そのとき源三位の屋敷に使われていた侍渡邊の源三競が残っていたので、宗盛卿はこれを家来とした。良く仕えたので秘蔵の馬を頂いた。そして宗盛卿らが三井寺に出かけようとした時、競が失せた。競はその馬とともに三井寺にいち早く駆けつけ、仲綱に馬を進呈した。伊豆守仲綱は喜んで先の意趣返しに、その馬の尻に「平宗盛入道」と焼印をして六波羅に戻した。宗盛はみごと競に馬鹿にされたわけで悔しがることひとしおであったと云う。この話はどうも作り話に過ぎないように思われる。宗盛卿は三井寺への攻撃のドサクサに競を家来にする余裕はないし、あえて源三位入道の謀反の理由を探して作った話であろうが、実に面白く出来上がっている。平家物語の作家の腕は見事である。

 自作漢詩  「柿樹新緑」

2008年04月21日 | 漢詩・自由詩

今の季節は一番新緑が美しいころです。私の庭にある木では、柿木、どうだんつつじ、夏椿(しゃら)の新緑が好きです。

春光遊水雨餘     春光水に遊ぶ 雨餘の天

江畔鴎白皎     江畔の鴎 白皎然たり

如錦花王紅爛漫     錦の如き花王 紅爛漫に
 
柿林新葉翠娟     柿林の新葉 翠娟娟たり

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(赤い字は韻:一先 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)