ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

薬害C型肝炎問題厚労省幹部の天下り 

2008年01月13日 | 時事問題
asahi.com 2008年01月12日23時44分
舛添厚労相、天下り規制強化の方針 「襟を正したい」
 薬害C型肝炎問題で厚労省幹部の天下りが国会などで批判されていることを受け、舛添厚生労働相は12日、天下りの規制を強化する考えを示した。「これだけ大きな薬害の問題があった以上、厚労省として襟を正したい」と述べた。
 薬害肝炎問題では、製薬会社から感染が疑われる患者リストが厚労省に提出された02年当時の医薬局長が、副作用被害の救済に取り組む独立行政法人「医薬品医療機器総合機構」の理事長を務めていることなどが問題となっている。

官僚の隠蔽体質(防衛省給油艦航海日誌隠蔽、厚生省薬害C型肝炎リスト隠蔽などなど)がなぜ背任罪で告訴できないのか。これらはミスではなく確信犯の証拠隠滅行為である。

福田内閣支持率低迷34%  基調は年金問題不信  特措法は影響せず

2008年01月13日 | 時事問題
asahi.com 2008年01月12日22時50分
内閣支持低迷34% 年金なお厳しい評価 本社世論調査
 補給支援特別措置法の衆院での再議決を受けて、朝日新聞社が11日午後から12日夜にかけて実施した全国緊急世論調査(電話)によると、福田内閣の支持率は34%、不支持率は45%だった。支持率は内閣発足以来最低だった前回(12月19、20日)の31%からやや持ち直したものの、引き続き低い水準だった。年金問題への評価は前回よりさらに厳しくなっており、低い支持率が続く要因となっている。政府・与党が、特措法が参院で否決された後に衆院で再議決し、3分の2以上の賛成で成立させたことについては、「妥当だ」と「妥当でない」がともに41%で見方が分かれた。
 
自民党が一番心配した特措法の衆議院2/3再可決に世論は平静
年金問題には根強い不信感

読書ノート 鹿野政直著 「日本の近代思想」 岩波新書

2008年01月13日 | 書評
二十世紀の日本の思想的問題を日本、マイノリティ、日常性、人類の四つの主題から総括する  第9回

核時代の思想
広島・長崎におとされた原爆は平和運動の主題であるとともに思想的課題となった。冷戦時代、核開発競争のもとに人々は核戦争の恐怖に曝された。原爆文学というジャンルの樹立は日本の文学・思想の消しがたい特徴となった。太田洋子「屍の街」、林京子「祭りの場」は原爆の光景を通じていのちの問題を提起した。1954年ビキニ諸島で行われた米国の水爆実験で被爆した第5福竜丸と久保田愛吉さんの死亡は、水爆禁止署名運動を日本中に拡げた。原水爆禁止世界大会など日本は原水爆禁止運動のメッカになった。そのなかで原子力発電の平和利用がはじまった。スリーマイルズ島、チェルノブイリ事故は、原子力発電安全神話の崩壊と人々の命がどんな危険に曝されているかを白日の下に明らかにした。巨大科学技術は底なしの管理社会を導く恐れがあり、それを阻止するために高木仁三朗は「市民の科学」の構想を提案した。核問題は核廃棄物の処理という技術問題が未解決なまま、地球温暖化防止策の救世主になろうとしているのである。


文芸散歩  日本の乱世  室町時代を歩く

2008年01月13日 | 書評
戦乱に明け暮れた南北朝から戦国時代、混乱の中から豊かな日本文化が興った室町期

1) 永井路子著 「太平記」  文春文庫  第5回

後醍醐天皇践祚から鎌倉幕府滅亡まで(2)

 1331年大塔宮(護良親王)の責を問う鎌倉の使者が来ると、大納言師賢らにより再び鎌倉討幕計画が持ち上がり、後醍醐天皇らは東大寺から笠置に逃れた。これを元弘の変と云う。笠置には楠正成が駆け寄り赤坂城で抵抗を示したが、鎌倉の正規軍には勝てず逃走した。結局尊良親王、尊澄法親王、は讃岐へ配流、後醍醐天皇も隠岐へ配流となった。備前の児嶋高徳が天皇を奪取しようと暗躍して果たせなかったとき詠んだ「天勾践をむなしうすることなかれ、時に范れい無きにしも非ず」が有名である。

 天皇側が幕府に抵抗する基盤は寺社勢力であった。これは奈良時代から天皇家は寺院を寄進し荘園を贈って寺院の経済的基盤を強化してきたため、政治的混乱期には寺院はその経済的基盤をバックに兵力を養い荘園を守ってきたのである。大塔宮(護良親王)は般若寺に隠れ、熊野を目指したが熊野神社が幕府に付いたので吉野金峰山寺に逃げた。京では光厳天皇が即位して北朝が開始された。

 鎌倉幕府は二階堂が赤坂、吉野、金剛寺を攻撃して、楠正成を天王寺で敗り、吉野では大塔宮を破る。大塔宮は高野山に逃亡した。吉野金峰山寺には吉水系と新熊野系の主導権争いがあり、大塔宮は吉水系に頼ったため新熊野系の僧侶が寝返って大塔宮を攻めた。何処をとっても一枚岩と云うものは無く、その場その場で派閥が抗争しているである。

 金剛寺の千剣破城の楠正成を討伐していた幕府側の新田義貞が幕府を見限って天皇側についた。幕府の崩壊も近い。1333年赤松円心が幕府の六波羅を攻めたが撃退され、幕府は足利尊氏に討伐を命じた。尊氏は既に隠岐の島を脱走していた後醍醐天皇に幕府追討の綸旨を得て、六波羅を壊滅させた。一方鎌倉では新田義貞が反幕の兵を挙げ、1383年四手の道から侵入した新田軍は鎌倉幕府を壊滅させた。燃える落日にも似た鎌倉武士の死様は「太平記」の死の美学の頂点である。

 「平家物語」には諦念と浄土への期待と云う落ち着いた死があったが、「太平記」には死してやまんという駆け抜ける鎌倉武士の死の哲学が哀れみさえ拒絶する。鎌倉幕府討伐の主力は足利尊氏と新田義貞である。公家勢力は言いだしっぺに過ぎない。公家側の期待したように武家政治が終わったのではなく、新たな武家政治の始まりであった。「太平記」には時代の終わりを陳腐な道徳観がむき出しになっているが、無道な政治をしたが故の滅亡は政治批判にもなっている。


自作漢詩 「懐両親」

2008年01月13日 | 漢詩・自由詩

暁鼓鐘聲待日     暁鼓鐘聲 日の升るを待つ

霜晨凍油洒寒     霜晨凍油 寒燈に洒ぐ

双親黄土睡中語     双親黄土 睡中に語る

孤座喪情帰未     孤座喪情 帰未だ能せず

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(赤い字は韻:十蒸 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)