ブログ 「ごまめの歯軋り」

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クラシック音楽  「私の読んだクラシック・CDの本」

2007年01月12日 | 音楽
 癒されるとか美しいとか力強いとか言う言葉だけでは表現した事にはならない。音楽の専門家ならともかく、吉田秀和の書物のように楽譜を並べられてもこれまた素人には狐につまされたような物である。かくも音楽評論は難しい。そこで多くのクラシック音楽関係書のハウツー物のように作者の人生、作品の経緯、演奏家、指揮者、楽団、CDの出来などについて語って読者の理解の助とすることになる。

 私はクラシック音楽をかなり集中的に25年間以上聞き続けています。何千枚のCDを聞いてきましたが、人にこうだと言える位の自信はまだありません。好き嫌いはありますが、論理的にこれが名曲だ名演だとなかなか言えません。マニアのオーディオ愛好家が莫大な金をつぎ込んでなお迷路に落ちいっているのは結局自分の意見がないからでしょう。考えが無くて道具に血道を上げているようなものです。そこで考えた。クラシック音楽が私を魅了する訳、モーツアルトやバッハが私を捕らえて離さない訳を理解してゆこうと思うようになりました。たいした量は読んでいませんので読む本の傾向はすぐに明瞭になります。なお今回の蔵書リストにはオーディオ関係は除いてあります。

   
1)磯山 雅 「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」 東京書籍(1985)
2)磯山 雅 「J・Sバッハ」 講談社現代新書(1990)
3)大村恵美子 「バッハの音楽的宇宙」 丸善ライブラリー(1994)
4)大角欣矢・加藤浩子 200CD「バッハ名曲・名盤を聞く」 立風書房(2000)
5)フォルケル著柴田冶三郎訳 「バッハの生涯と芸術」 岩波文庫(1988)
6)井上太郎 「モーツアルトのいる部屋」 ちくま学芸文庫(1995)
7)井上太郎 「わが友モーツアルト」 講談社現代新書(1986)
8)柴田冶三郎編 「モーツアルトの手紙上・下」 岩波文庫(1980)
9)吉田秀和 「レコードのモーツアルト」 中公文庫(1975)
10)ドン・キャンベル 「モーツアルトで癒す」 日本文芸社(1999)
11)200CD「モーツアルト」 立風書房(1997)
12)渡邊学爾・石井宏 「モーツアルト名曲名盤」 音楽の友社(1991)
13)ロマン・ローラン著片山敏彦訳 「ベートーベンの生涯」 岩波文庫(1938)
14)諸井三郎 「ベートーヴェン」 新潮文庫(1966)
15)五味康祐 「ベートーヴェンと蓄音機」角川ランティエ叢書(1997)
16)アルマ・マーラー著石井宏訳 「グスタフ・マーラー」中公文庫(1987)
17)ドビュシー・平島正郎 「ドビュシー音楽論集」 岩波文庫(1996)
18)ミシェル・シュネデール著千葉文夫訳 「グレン・ブールド孤独のアリア」 ちくま学芸文庫(1995)
19)フィッシャー著佐野利勝訳 「音楽を愛する友へ」 新潮文庫(1952)
20)フルトヴェングラー著芳賀檀訳「音と音楽」 新潮文庫(1976)
21)ドナルド・キーン著中矢一義訳 「音楽の出会いと喜び」 中公文庫(1992)
22)ドナルド・キーン著中矢一義訳 「わたしの好きなレコード」 中公文庫(1987)
23)俵孝太郎 「CDちょっと凝り屋の楽しみ方」 コスモの本(1993)
24)五味康祐 「音楽巡礼」 新潮文庫(1976)
25)吉田秀和 「私の好きな曲」 新潮文庫(1985)
26)吉田秀和 「この1枚」 新潮文庫(1992)
27)吉田秀和 「世界のピアニスト」 新潮文庫(1978)
28)吉田秀和 「ヨーロッパの響き・ヨーロッパの姿」中公文庫(1988) 
29)吉田秀和 「1枚のレコード」 中公文庫(1973) 
30)吉田秀和 「今月の1枚CD・LD36選」 新潮社(2001)
31)中村紘子 「ピアニストという蛮族がいる」 文春文庫(1995)
32)中村紘子 「チャイコフスキーコンクール」中公文庫(1991)
33)茂木大輔 「オーケストラ楽器別人間学」 草思社(1996)
34)茂木大輔 「オーケストラは素敵だ」 音楽の友社(1993)
35)中野雄 「丸山真男 音楽の対話」 文芸新書(1999)
36)中野雄 「ウィーンフィル音と響きの秘密」 文芸新書(2002)
37)小坂裕子 「ショパン知られざる歌曲」 集英社新書(2002)
38)宮城谷昌光 「クラシック千夜一曲」 集英社新書(1999)
39)許光俊 「生きていくためのクラシック」 光文社新書(2003)
40)皆川達夫 「バロック音楽」 講談社現代新書(1972)
41)皆川達夫 「中世・ルネサンスの音楽」 講談社現代新書(1977)
42)皆川達夫 「ルネサンス・バロック」 音楽の友社(1992)
43)宇野功芳 「クラシックの名曲・名盤」 講談社現代新書(1996)
44)宇野功芳 「交響曲の名曲・名盤」 講談社現代新書(1991)
45)宇野功芳 「協奏曲の名曲・名盤」 講談社現代新書(1994)
46)200CD「バイオリン」 立風書房(1999)
47)200CD「ウィーンフィルの響き」 立風書房(1997)
48)砂川しげひさ 「聴け聴けクラシック」 朝日文庫(1993)
49)志鳥栄八郎 「憂愁の作家チャイコフスキー」 朝日文庫(1993)
50)志鳥栄八郎 「クラシック名曲物語り集成」 講談社文庫(1993)
51)神保一郎 「クラシック音楽鑑賞事典」 講談社文庫(1983)
52)松本矩典 「オペラ名作名演全集」 講談社文庫(1995)
53)200CD「オペラの発見」 立風書房(1997)
54)山田治生ほか 「オペラガイド126選」 成美堂(2003)
55)池辺晋一郎 「バッハの音符たち」 音楽之友社(2000)
56)池辺晋一郎 「モーツアルトの音符たち」 音楽之友社(2002)
57)鈴木淳史 「クラシック名盤ほめ殺し」 洋泉社(2000)
58)玉木宏樹 「音の後進国日本」 文化創作出版(1998)
59)諏訪内晶子「ヴァイオリンと翔る」NHKライブラリー(2000)
60)樋口隆一「バッハ」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1985)
61)田辺秀樹「モーツアルト」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1984)
62)平野昭「ベートーベン」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1985)
63)前田昭雄「シューベルト」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1993)
64)土田英三郎「ブルックナー」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1988)
65)森田稔「チャイコフスキー」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1986)
66)三宅幸夫「ブラームス」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1986)
67)遠山一行「ショパン」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1988)
68)船山隆「マーラー」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1987)
69)三光長治「ワーグナー」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1990)
70)小宮正安「ヨハン・シュトラウス」中公新書(2000)
71)佐久間 俊「音楽三昧放浪記」誠文堂新光社(2005)
72)佐久間 俊「続直熱管アンプ放浪記ー失われた音を求めて」誠文堂新光社(2002)
73)佐久間 俊「直熱管アンプの世界ー失われた音を求めて」誠文堂新光社(1999)
74)山口 孝「ジャズオーディオエイクアップ」誠文堂新光社(2004)
75)寺島靖国「ジャズオーディオ快楽地獄ガイド」講談社(1998)
76)菅原正二「ジャズ喫茶ベイシーの選択」講談社α文庫(2001)
77)後藤雅洋「ジャズの名演・名盤」講談社現代新書(1990)
78)内藤遊人「はじめてのジャズ」講談社現代新書(1987)
79)岡田暁生「西洋音楽史」中公新書(2005)

やはり楽譜が読めない素人に悲しさか。丸山真男のようにスコア-を丹念に読めれば、詳細な機微が検証できたのかもしれないがいまさら自分の無才を愚痴っても仕方ない。自分の数千枚のCDが財産なのだから、1枚1枚丹念に聞いて行くしかなかろうと言うのが結論か。


環境書評 池田清彦 著 「環境問題のウソ」 ちくまプリマー新書(2006年2月)

2007年01月12日 | 書評
日本在来種保護の為の外来種規制はナチズム思想、環境省の愚行

 池田氏の専攻は理論生物学、構造主義生物学である。生物の分類、構造主義生物学の著作が多い。本書「環境問題のウソ」は今時なぜというようなばかげた書名なので、どうせ保守体制側のふざけた本であろうと思って興味半分で読んでみた。内容は(1)地球温暖化問題のウソとホント」(2)ダイオキシン問題のウソとホント(3)外来種問題のウソとホントという三部構成である。著者の専門からして、まえの二題(地球温暖化、ダイオキシン)は他人の受け売りにすぎない、最後の外来種問題のみが著者の意見が入っていると見られる。ただし共通していえることは、政策課題は必ずしも科学的に正しい事柄だけではない、正義の物語と利権が結びつくと増幅作用が働いて現実の政治や世間を動かす力になるということは私にも納得できる主張である。

 地球温暖化は必ずしも炭酸ガスをはじめとする温暖化ガスのせいではなく、太陽活動に基づく自然現象で説明が出来るという主張は昔から言われてきたことである。特にアメリカでは主流の考えであろう。地球温暖化防止は世界の新しい枠組みをめざす欧米の覇権争いでやり取りされる世界的政治思潮である。もはや科学の問題ではないことは自明であることは著者は分かって言っているのだろうか。環境問題そのものが資源・エネルギーの争奪戦という生き残り戦略である。新しい形での南北問題化である。

 ダイオキシン問題は最近めっきり話される事もなくなった。朝日テレビと焼却炉メーカーの陰謀であったことも自明である。「ダイオキシンで死んだ人はいない、ダイオキシンで食っている人は多いが」という冗談も囁かれていた。謀略によりダイオキシンをダイレクトに飲まされて顔の肌が荒れた旧ソ連圏の大統領もいたが、殺されたわけではない。ダイオキシンという恐怖物語が横行しただけのことである。そこで本書で取り上げる価値のある話題は外来種問題のみである。

 2005年施行の「特定外来生物被害防止法」は稀に見る悪法だという著者の主張を聞いてみよう。確かに「絶滅危惧種保護法」でレッドゾーン種を指定して保護しようとする政策には一理があった。それでも人間の生態破壊活動をそのままにして、保護が出来るわけでもなく、効力の期待できない法律である。「特定外来生物被害防止法」はその愚を上塗りしたようなばかげた法律である。在来種といっても長い目で見れば交雑種に過ぎず、人間だって交雑可能は種として一つであるという定義もある。(黒人、白人など人種は存在しない)日本在来種の定義も不可能である。いってみればすべて交雑種であって純血種があるような誤解を招く発想は血の優越をいうナチズムの通じる思想である。日本人は純血だというのも誤解に過ぎず、多くは戦前の軍国主義・帝国主義・植民地主義がでっち上げた幻想である。平安時代以降の鎖国主義によって交雑が禁止されたためこの1000年ぐらいは日本人が固定化されたに過ぎない。外来種は悪者という発想は生物学的にも間違っている。生物の進化は遺伝的交雑により成し遂げられたのであって、種の保存など細菌の無性増殖以外には考えられない。


東京美術館散歩  「板橋区立美術館」

2007年01月12日 | 書評
板橋区立美術館(美術館名をクリックすると付近図がでます)

都営地下鉄三田線西高島平駅で下車し、寂しい駅前と人気のない道をてくてく歩くこと約20分で赤塚城址に出る。確かに歩く以外に交通の便がない。館の所蔵品は他の美術館とは性格を異にし前衛美術品である。そのためかほとんど人は来ない。しかし毎年イタリアのボローニア国際絵本絵画展が開催されるので、このような美術館が一つはあってもいいのではないかと思う。たしか「現代写真展」を見たような。