ブログ 「ごまめの歯軋り」

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「ホワイトカラー・エグゼンプション」案に与党内で反対論強まる

2007年01月07日 | 時事問題
asahi.com 2007年01月06日20時49分
残業代ゼロ見送り論、与党に強まる 厚労省に戸惑い
 一定の条件で会社員を労働時間規制から外し、残業代をなくす「ホワイトカラー・エグゼンプション」を導入する労働基準法改正について、今年の通常国会では見送るべきだとの声が与党内で強まっている。労働界が猛反対しており、「サラリーマンを敵に回しては、夏の参院選は戦えない」との懸念からだ。だが、この制度導入は安倍首相が掲げる成長戦略の支えであるほか、ほかの労働法制見直しともからんでおり、簡単には見送れない事情もある。 公明党が反対姿勢を打ち出した。太田代表は6日のNHK番組の収録で「基本的には賛成できない。残業代が生活に組み込まれる現実もあったり、職種によって残業の形態が違ったりする。慎重であるべきだというのが基本的な主張だ」と語った。
厚生労働行政に影響力のある自民党の丹羽雄哉総務会長も4日、「法改正は極めて慎重に対応しなければならない。経営者は人件費の削減ばかりでなく、従業員が報われるような雇用環境の整備にもっと力を入れるべきだ」と指摘した。

2007年01月07日13時34分
残業代ゼロ制「説明責任、十分ではない」 中川幹事長
 自民党の中川秀直幹事長は7日午前、NHKの討論番組に出演し、一部のホワイトカラーの残業代を支払い対象から外す「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション制度」の導入について、「法案提出の前にサラリーマンのためになるということが国民に理解されないといけない。そのための説明責任(を果たすこと)が経営者も政府もまだ十分ではない」と述べ、現段階での関連法案提出は尚早との考えを示した。(時事)

「ホワイトカラーエグゼプション」は経営者側の強い要望に労働側総反発、与党足並み乱れ

働く人にただ働きを強いる法案は経営者側にとってはこの上ないありがたい法案かもしれないが、それでは社会的公正が保てない。資本側の一方的要求は労働側の生活権を脅かし社会の不安要因になることは必至。

 私は自分のホームページに中野麻美著 「労働ダンピングー雇用の多様化の果てに」を取り上げた。詳細はそちらを見ていただくとして、本法案が持つ危険性は[商品化する非正規雇用の厳しい現実と格差はそのままにこれまで相対的に守られてきた正規雇用に融解に向けた法的受け皿が用意された。それが「解雇の金銭的解決」と「ホワイトカラーエグゼンション」である。日本の2005年年間労働時間は1802時間であるがこれは会社が把握している「支払い労働時間」であって、実際のサービス残業を含む年間総労働時間は2230時間だと言われている。「ホワイトカラーエグゼンション」はそうした労働時間でさえ否定する究極の姿である。無制限の奉仕が要求されるのである。]にある。労働界は久しぶりに猛反対した。社会のバランスを気にする政治家も反対に廻りそうだ。この法案と労働条件規制緩和に関する法律はすべからくみなおし廃止に追い込むべきである。

 昨日安部首相が「ホワイトカラーエグゼプションは残業ゼロに繋がるので好ましい」とわけのわからない談話をしたので、昨日の私のブログで批判した。よく考えるとこの安部首相談話はもしかして「残業代ゼロ」を「残業ゼロ」と誤まって解釈したのかもしれない。これでは首相は法案の内容・意義を全く誤解したまま国会提出したことになる。「お粗末」を通り越して、首相の知的レベルを疑いたい。



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J.S.バッハ 「チェンバロ協奏曲」をカール・リヒターで聴く

2007年01月07日 | 音楽
妙に心を惹きつけるこの一枚・・カール・リヒターの古楽演奏を超えた表現力・・

1台のピアノが全オーケストラを相手にするピアノ協奏曲がコンサートの重要な位置を占めて久しい。これはフォルテピアノの時代のモーツアルトや、ハンマークラビーア時代のベートーベン以来の伝統である。それほど現代ピアノの音は強くなった。そのためか弦楽器とのピアノ四重奏曲、五重奏曲では弦楽器が負けてしまい、私には妙に陰気ないやな音楽ジャンルである。強力な鋼鉄製ピアノ線を、鋳物で鍛造したこれまた強力なフレームでしっかり締め上げているために実に強力な音が出る仕掛けになっている。
ところでバロック時代の鍵盤楽器はチェンバロ(ハープシコード、クラビーア)であり、柔らかな青銅線を楊枝のような爪先で引掻いて音を出す仕掛けである。バロック時代の協奏曲では独奏楽器といえばヴァイオリンさらにフルート、オーボエ、リコーダといった管楽器が多く、チェンバロやオルガンは通奏低音の役割を担うのが一般的であった。ところがバッハのチェンバロ協奏曲は鍵盤楽器を独奏楽器に設定した最初の例となった。
バッハは次の15曲のチェンバロ協奏曲を作曲した。注目すべきはこれらの協奏曲がヴァイオリンなどの協奏曲からの編曲である。

1台のチェンバロ協奏曲
チェンバロ協奏曲 第1番 ニ短調 BWV1052
チェンバロ協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1053
チェンバロ協奏曲 第3番 ニ短調 BWV1054
チェンバロ協奏曲 第4番 イ長調 BWV1055
チェンバロ協奏曲 第5番 へ短調 BWV1056
チェンバロ協奏曲 第6番 へ長調 BWV1057
チェンバロ協奏曲 第7番 ト短調 BWV1058
2台のチェンバロ協奏曲
2台のチェンバロと弦と通奏低音のための協奏曲 ハ短調 BWV1060
2台のチェンバロと弦と通奏低音のための協奏曲 ハ長調 BWV1061
2台のチェンバロと弦と通奏低音のための協奏曲 ハ短調 BWV1062
3台のチェンバロ協奏曲
3台のチェンバロと弦と通奏低音のための協奏曲 ハ長調 BWV1063
3台のチェンバロと弦と通奏低音のための協奏曲 ニ短調 BWV1064
4台のチェンバロ協奏曲
4台のチェンバロと弦と通奏低音のための協奏曲 イ短調 BWV1065
その他協奏曲
ブランデンブルグ協奏曲 第5番 ニ長調 BWV1050
チェンバロ、フルート、バイオリンのための三重協奏曲 BWV1040
多くの台数のチェンバロが使用されているのは、やはり基本的に弱い音しか出せないチェンバロを束にして効果を挙げるためであろう。

私が妙に心を惹きつけられた1枚のチェンバロ協奏曲のCDとはJ.S.バッハ 「チェンバロ協奏曲」 指揮とチェンバロ:カール・リヒター ミュンヘン・バッハ管弦楽団 1971 ARCHIV のことである。わくわくするような躍動感と響きを持ちチェンバロの音が実に説得的に聞こえてくる感動を覚えた。グレン・グールズのバッハ「小プレリュードとフーガ」(CBS/SONY 1980)と同じような説得力である。このような感覚はバッハの魅力なのか、それとも演奏者の演奏法によるものなのか。そこで古楽演奏家として名高いトレヴァー・ピノックの演奏と比較した。トレヴァー・ピノックとイングリッシュ・コンサートの演奏はひとつも面白くない。まじめに丁寧に演奏しているようだが、躍動感が全く感じられない。これはある意味ではカール・リヒターのロマン的演奏法によるものかもしれない。制約された条件でもここまで魅力的な演奏が可能だということを示したカール・リヒターの力は天才的だ。古楽演奏必ずしも人を楽しませるものではない。200~300年前にどんな音楽が喜ばれたか、そしてそれを文献学的に再現することが目的化しても意味が無い。要は人に感動を与えることであって、昔の貴族の趣味に合わせることではないはず。しかしながら現代のグランドピアノによるバッハのピアノ協奏曲は全くチェンバロ協奏曲とは縁のないものでることだけは明記したい。
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漢詩  「夜 寒」

2007年01月07日 | 漢詩・自由詩
寒侵衣褐雪皚     寒は衣褐を侵し 雪皚皚

清夜焚香酒一     清夜香を焚き 酒一盃

玉粒叩門無客訪     玉粒門を叩き 客の訪れる無し

北風閉戸向誰     北風戸を閉じ 誰に向かいて開かん



(赤い字は韻:十灰   七言絶句平起式)
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環境書評  石弘之 安田喜憲 湯浅赳男 鼎談「環境と文明の歴史」 洋泉社(2001年)

2007年01月07日 | 書評
文明の興亡はある意味では同じことの繰り返しである。中国王朝の変遷の歴史を紐解けば一目瞭然である。人類は危機の度に変化を遂げてきた。石弘之氏を座長とする鼎談はまさに食料生産の源である森林破壊の歴史が今日では地球破壊にまで及んでおり深刻な状況であることを示している。

1.環境史の衝撃―イースター島の崩壊―
 紀元5-6世紀に数十人のポリネシア人が移住して高度な文明を作り上げたが、16世紀中頃小さい島で人口は7000人以上にも膨張し食物から樹木まですべて消費し尽くしたため最後には部族間の紛争になり殺し合いの末滅亡した。これこそが環境の歴史が警告する地球の未来像ではないかと多くの人に衝撃を与えた。人類史を環境の側面から眺めると、人類の生存を理由に地球本来の生態系や物質循環システムを大きく歪め深刻な環境破壊を招いてきた。地球環境問題の出口を求めて今や環境史に大きな関心が寄せられている。環境史に先鞭をつけ人類に最も影響を与えた書の一つに1962年レイチェル・カールソン「沈黙の春」がある。人間が撒いた農薬が究極的に人体まで汚染することを示した警世の書である。自然界が閉じた地球システムであることを判りやすく言及した。

2.文明の興亡の原因をさぐる
2.1 現代型新人の誕生から古代文明の崩壊まで(20万年前~紀元前2000年)
 8000万年前東アフリカに2足歩行をはじめる人類が誕生した。十数万年前地球上の原人はすべて滅亡して新人(ホモサピエンス)が取って代った。新人が登場して十万年前世界の大型動物の絶滅が起きた。石器を用いた動物の殺戮により新人が爆発的に拡大した。1万5000年前に氷河期が終わり一気に温暖な時代に移行すると森の形成と並行して人類の定住と農耕(縄文文化)が始まった。紀元前3700年に気候が非常に寒冷・乾燥化になると危機が訪れて人類の大移動が始まり、紀元前2000年の気候変動でインド・ヨーロッパ民族(チグリス・ユーフラテス文明、インダス文明)と漢民族(黄河、長江文明)が爆発的に膨張した。気候変動による水,森林、耕作地の変動が民族移動と生活革命をもたらし、文明の興亡の原因となったようである。メソポタミアでは灌漑治水による共同体連合が生まれ文明は隆盛を迎えたが、700年以上も灌漑を続けると塩害によって農耕地が使用不能に陥り、他民族の侵入があって文明は崩壊した。水の豊富なエジプト文明は永く続いたがナイル川の水位変動によって崩壊した。

2.2 グレコ・ローマ文明の誕生から中世の終焉まで(紀元前2000年~紀元15世紀)
 古代文明に代わって興ったギリシャ・ローマ文明は天水農業をもとにして独立自営農民を初めて生み出した。天水農業を支えるものは森林と降水である。これが枯渇すると食料を求めて植民地経営に頼らざるを得ない。ギリシャ文明は森林を破壊して没落し、ローマ文明はエジプトを植民地としてパンを得た。ローマの支配者はゲルマンの森を求めて激しい植民地化戦争と略奪を繰り返し、その後修道院による農耕牧畜経営によりゲルマンの森の1/3は破壊された。ギリシャの多神教の世界(他の価値を受け入れる)は一神教のキリスト教(人間中心のイデオロギー)にとって代わられた。キリスト教が森林破壊の原動力であったといっても言い過ぎではない。それはすなわち牧畜の民の思想であり、東洋のモンゴル帝国の殺し尽くす思想もおなじ牧畜の民の思想であった。ローマ以後の中世でも植民地化は奴隷という農耕労働力獲得にために続いた(人間の家畜化)。この奴隷制はヨーロッパ中世の暗部であり、スラブ人、ゲルマン人、アフリカ人が奴隷化されユダヤ人が売買を仲介した。森林破壊と動物の殺戮によってペストが大流行して中世の人口は激減した。

2.3 ヨーロッパ文明の拡大から大量生産・消費の時代へ(15世紀~現代)   
 地球環境問題が悪化した原因はもとを正せばヨーロッパ近代文明が地球規模に膨張したことと関係が深い。14世紀のペスト流行で沈滞したヨーロッパは1345年コンスタンチノープルの陥落によってオスマントルコの圧迫を受け、海外森林資源を求めてスペイン、オランダの大航海時代に移行した。牧畜の民族がついに船に乗ったわけである。このように危機に陥るたびに活路を求めて民族の移動と生活の大変革が誘導される。近代文明は科学思想と産業革命に特徴づけられ人類は巨大な生産手段を獲得したが、同時に環境破壊もすさまじかった。19世紀の化学産業は肥料・農薬・医薬品を創造し、食糧増産と死亡率低下によって人口の大爆発をもたらした。すなわち地球環境問題の出現である。20世紀は米国に始まった大量生産・大量消費経済時代に入り、エネルギー・資源枯渇が焦眉の問題となった。人口問題、公害問題、地球温暖化、資源枯渇問題が鮮明に意識されたのもこの世紀であった。

3.人類の破局を食い止める環境戦略は可能か
 近代工業技術文明で上昇したエネルギーをいかにスローダウンして軟着陸(ソフトランディング)させるか、つまり循環型社会に変える方法を考えなければならない。オランダ、デンマークなどは国をソフトランディング させるシナリオ作りに国を挙げて取り組んでいる。日本は資源・エネルギーの90%を海外に依存する体質(世界で一番安い物を買ってくる経済構造)を変えないと、自分達の生存シナリオを描けないであろう。世界中の資源を買い捲っているなら日本は世界一の資源国であるはづだが、それを廃棄物としておしげもなく捨てている。資源リサイクルが日本の最大の課題である。環境問題は資源問題であることを認識し、国家戦略としての環境の視点を持っている政党は日本には一つもない。21世紀には先進国が環境戦略によって弱い国を締め上げて,内戦に追い込み自滅させる戦略が囁かれている。いささかおだやかではないが、米国の安全保障最優先の行動をみているとあながち外れてはいない。

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東京の美術館散歩  「新宿 小田急美術館」

2007年01月07日 | 書評
小田急美術館

新宿駅の小田急百貨店の11階に美術館がある。私がかって勤務していた会社の本社が新宿三井ビルにあったので新宿駅は大変よく通過した駅であるが、不思議にこの地区にはろくな美術館がない。小田急美術館も見たい企画展はやっていないが、日本画では「中村丘陵展」を見た。

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