ブログ 「ごまめの歯軋り」

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書評  遠藤秀紀著 「人体 失敗の進化史」 光文社新書(2006年6月 初版)

2006年12月18日 | 書評
動物比較解剖学からみたヒト進化史

著者遠藤秀紀氏は東大農学部出身、現京大霊長類研究所教授の獣医さんという変わり者である。日常のお仕事は今様の若者が嫌がる動物遺体解剖である。動物遺体に隠された進化の歴史の謎を追い、遺体を文化の礎として保存すべく「遺体科学」なるを提唱されている。自然の山や動物園の遺体があれば引き取りにいってそれを解剖すると言う実に泥臭い腐臭紛々たるお仕事である。分子遺伝学とか系統遺伝学といった綺麗なエレガンスな大学施設の仕事場でない。まさに死体処理の修羅場といえよう。そういう意味で変わり者の学者といえる。しかしそこには自分の目で見た動物の形があり、実戦の動物比較解剖学の場であり、「知は現場にある」という光文社新書の本のしおりに書かれた言葉のとおりである。本書の対象は明確に動物の身体の形という即物であるので、記述がもどかしいくらいに分かりやすい内容になっている。抽象的に要約すれば味も素っ気もなくなる。

宇宙の歴史は150億年、地球の歴史は46億年とされる。地球上に脊椎動物の前身が現れたのは約5億年前である。500万-700万年前に東アフリカに猿人類があらわれ、数百万年まえに「ヒト科」と分類されるヒトの祖先が生まれた。さまざまな猿人が生まれては絶滅したが、その一つに320万年前に二本足歩行を始めたアファール猿人がある。このような気の遠くなるような進化の時間をかけてヒトは進化してきたわけである。そのヒトの進化の過程は、一筋の理想的な進化の道ではなく、ある意味ではじつに場当たり的な身体設計変更の繰り返しであったというのが遠藤氏の比較動物解剖学からの意見である。ヒトの進化は化石で追うしかないが、幸運にも化石が見つかることはまれなことだ。むしろ動物の形からヒトの進化の秘密が伺われるということが本書の醍醐味である。遠藤氏の知見をみてゆこう。

・爬虫類や鳥類が哺乳類と違う進化の道を選んだのは約5億年前だが、鳥類は肩を支える前肢帯(烏口骨、肩甲骨、鎖骨、胸骨)のなかで烏口骨を進化させることで翼という空を飛ぶ自由を得た。ヒトは肩甲骨を進化させた。
・心臓のルーツは、ホヤの体腔上皮細胞の振動で体液を拡散させたことがはじまりで、ナメクジウオという原索動物の鰓の腹側にある血管中の数個の心臓筋肉がポンプの役目をはたしている。そういったものから心臓というポンプが進化してきたようだ。
・骨のない無脊椎動物にも無機栄養物を貯蔵する場所がある。つまり骨は燐酸カルシウムという無機塩の貯蔵場所であったのが、固いという特性を生かして骨に進化し体を支え保護する骨格へ進化したのだ。これを進化学では前適応という。
・耳という聴覚器官は頭が高い位置にある動物が空気の振動を聞き分けるために顎の骨を借りてつち骨、きぬた骨、あぶみ骨に進化させた。咀嚼器である顎は哺乳類では麟状骨、歯骨が代用する。では顎の骨は呼吸器官である鰓弓から進化したものだ。まさに進化とは近くにある器官の代用だという遠藤氏の指摘は面白い。
・動物が四肢を得たのは、3億7000年前の魚類の鰭の進化に遡る。肉鰭類には手の骨格が形成され、イクチオステガが四肢の確認される最も古い動物である。
・哺乳類の臍の緒は卵における卵黄嚢と尿嚢が進化して哺乳類では胎盤に連結したものだ。また乳腺は汗腺が進化して栄養物を分泌させたものだ。このようにに進化とは行き当たりばったりである。
・肺魚はもともと比重調整に使っていた浮袋を呼吸装置に抜擢したものだ。そして肺に血液を送るために左心房に間借りするような付属物を生んだ。心臓の各心房の複雑さは場当たり的進化の賜物だ。肺、脾臓などの臓器の非対称性はまさにエレガンスを欠いた構成といえる。

つぎに二本足歩行というヒトたることを特徴付ける進化の過程を見て行こう。
・ヒトの意匠は骨足の指骨、中足骨、足根で見事なアーチ(土ま踏ず)をつくり、体重を分散させてバランスをとる進化からはじまった。そして蹴る力をつけるためにふくらはぎとアキレス腱を異常に発達させた。そのかわり足で物を掴む能力は失われた。
・立ち上がっため内臓が下降させないために、骨盤の広い腸骨を進化させて内臓重量を受け、かつ肝臓などの臓器は横隔膜に癒着させてしまった。
・足を後ろへけって歩行を助けるため、ヒトのお尻筋肉(大殿筋)と大腿骨が異常に大きく進化した。ヒトほど大きなヒップはない。
・立つ時に倒れないように重心の安定を調節しなければならない。そのためヒトの背骨は横から見るとS字カーブに湾曲している。頭を支えるために背中は丸まり、腰は反っている。これが腰部の疲労につながる。
・手が開放されてさらに器用に使うため、四指と親指が向かい合う母指対向性を進化させた。親指の第一中手骨と大菱形骨の間に鞍関節が進化し、親指の筋肉も強化された。これはヒトのみに見られる。
大脳が異常に大きくなった。猿人が400ccであったのに400万年の進化でホモサピエンスでは1400ccに増加した。比較解剖学では大きさだけの言及である。機能の進化は別の本を見てください。

二本足歩行というヒトの進化に伴う人体改造の歴史をみてきたわけだが、このためにヒトが蒙ったマイナス面もある。これをまじめな顔でいっても仕方ないのだが、一応まとめておこう。内臓のヘルニア、腰痛、股関節の異常、貧血冷え性むくみ、肩こり、様々な現代病。

東京美術館散歩  「宮内庁三の丸尚蔵館」

2006年12月18日 | 書評
宮内庁三の丸尚蔵館(美術館名をクリックすると付近図が出ます9

昭和天皇の没後、現天皇は所蔵する美術品を国に寄贈された。これらの美術品を展示するため1992年皇居東御苑に尚蔵館が建立された。東御苑入り口で整理札をもらって入場し、しばらく行くと宮内庁病院や宮内庁警察の前に尚蔵館がある。旧藩主のお宝と違ってさすがに良い物がある。「各国の寄贈物展」などを見た。東御苑の見学ついでに立ち寄るためか、小さな二部屋の展示場にかかわらず結構賑わっているのは御のぼりさん効果か。