「瓢箪から駒」って
昨日会社で話し合っていて、「瓢箪からコマって、どんな風に出てくるのだろうか」という話題に。瓢箪はくびれているから、そもそもコマなど入りっこないよなーとか、なぜ瓢箪なのだろうかとか・・・。コマは正月でもあるので回すコマかなとか、もしかしたら馬かもと思ったり・・・。馬ならますます瓢箪に入りっこないし・・・。
分厚い「故事ことわざ慣用句辞典」で出典を調べましたが、意味が書いてあるだけで、どの古文書に初めて使われたかは載っていませんでした。コマはやはり馬で、起こりっこないことのたとえですが、それにしても言葉の響きが明るく楽しげで、こっけいな表現に一同
およそ誰が見ても考えても不可能なことであっても、あれこれ思案し、考え続け思い続けていると、ふとしたことが新たな発想に繋がり可能になることがあります。何でも改善の原点は、自ら考え「続ける」ことではないでしょうか。仕事そのものについても、人から指示され与えられるものと思うのではなく、社会に役立つことを自ら考え工夫すると、もしかしたら「瓢箪から駒」が出てくるかもね
今日もその延長で楽しく行動します
昨日会社で話し合っていて、「瓢箪からコマって、どんな風に出てくるのだろうか」という話題に。瓢箪はくびれているから、そもそもコマなど入りっこないよなーとか、なぜ瓢箪なのだろうかとか・・・。コマは正月でもあるので回すコマかなとか、もしかしたら馬かもと思ったり・・・。馬ならますます瓢箪に入りっこないし・・・。
分厚い「故事ことわざ慣用句辞典」で出典を調べましたが、意味が書いてあるだけで、どの古文書に初めて使われたかは載っていませんでした。コマはやはり馬で、起こりっこないことのたとえですが、それにしても言葉の響きが明るく楽しげで、こっけいな表現に一同
およそ誰が見ても考えても不可能なことであっても、あれこれ思案し、考え続け思い続けていると、ふとしたことが新たな発想に繋がり可能になることがあります。何でも改善の原点は、自ら考え「続ける」ことではないでしょうか。仕事そのものについても、人から指示され与えられるものと思うのではなく、社会に役立つことを自ら考え工夫すると、もしかしたら「瓢箪から駒」が出てくるかもね
今日もその延長で楽しく行動します