亡国のクライシス+

アイヌに限らず、誰でもが自由に川でサケを獲っていい

アイヌの人たちが少数民族の国際会議で地元の川での自由なサケ漁を認めるよう訴えた。

日本では、川魚漁が厳しく制限されているからだ。

本来なら、誰でもが自由にサケもアユもイワナも獲ってよかったのだ。

明治維新後、漁業組合という時の権力者と結びついた利権団体が川魚を管理するようになった。川に養殖した稚魚を放す代わりに漁業権を一方的に主張した。公共の自然遺産である川を私物化したのである。

今、全国のほとんどの一級、二級河川に漁業組合がはびこっていて、漁業権という錦旗を掲げては一般市民の川魚漁を制限している。川魚が獲りたかったら、金を払え!である。

かくして、市民は川から遠ざけられ、漁業組合だけが川魚を独占し、自治体からの補助を受けて孵化事業を展開し、稚魚を放流して行った。

川でサケを穫ることで生活を支えて来たアイヌの人たちもこの利権絡みの漁業権に生きるすべを奪われて来た。アイヌは孵化事業などしなくても、適正な量のサケを穫ることでサケの生態系を守って来た。

しかし、それでは利権団体の漁業組合には金が入らない。だから、漁業権なるものを掲げて先住民族のアイヌといえども、自由にサケを獲らせないようにした。 
 
アイツラのやることは、サケやアユなどを根こそぎ捕獲し、人工的に孵化させ、その稚魚や遊漁券を販売することに尽きる。

決して、川魚は食べない。

だまされているのは、幼稚園児。自治体が買い上げたサケの稚魚を川に放流して、
「元気に帰っておいでね」の決まり文句を言わされ続けている。

サケの何割かは帰って来る。

しかし、そのサケを獲って食べることはない。根こそぎ獲ったサケはすべて再び孵化事業に回され、再び幼稚園児たちによって放流される。

その繰り返しだ。

川に回遊するサケを食用として獲るのは海の方の漁業者。川に戻る前に海の定置網で獲る。しかし、そのブナザケの身は食味に乏しいから、卵はイクラ用に、身は塩漬用や燻製用に加工される。生のブナザケの塩焼きは食えたものじゃない。

そのブナザケの加工にアイヌの人たちは優れていた。塩蔵イクラ、塩引き、燻製の技術はアイヌの伝統芸でもあった。食味に乏しいブナザケでもアイヌの人たちはおいしい保存食に加工できた。

サケを食わないで孵化事業のことしか考えない漁業組合との違いである。

幼稚園の経営者も目覚めたほうがいい。
「元気で帰って来てね」と放流されたサケは、4年後に帰って来ても根こそぎ獲られて、強制的に採卵され、採卵が済んだサケは肥料に回されているという現実を幼稚園児に説明してから実施すべきである。

つまリ、サケは元気に戻って来ても、腹を裂かれ、卵子や精子が取り出された後はボイと捨てられ、肥料用になるということだ。せめて、アイヌの人たちのように保存食として食べられるのなら、サケも本望だろう。

交尾の愉しみもなく、人工的なヤナ場で根こそぎ獲られては包丁で腹を裂かれるサケの気持ちはわかるまい。サケは川で自然と子孫を維持するために川に回遊して来る。腹を裂かれたいがためではない。

アイヌの人たちは、サケを穫る時も食べる時も、まず祈る。

そして、ヒグマ用にもサケを残して来た。ヒグマがアイヌを襲わない理由のひとつである。

アイヌの人たちはサケともヒグマとも共生している。

もう、川魚を営利目的に使うのはやめなければならない。
 
川のサケやアユなどは人工的に孵化させなくても、漁獲量の適正化や田畑の減農薬化だけで、かつてのように循環型の天然資源として蘇る。 

全国の河川で漁業権を設定し、サケを管理している漁業協同組合よ。
孵化事業だけを目的にサケを獲るな。サケを食わずして稚魚を川に放流するな。

川は、あんたたちの私物ではない。 



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