とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」622 松原みき - 真夜中のドア~Stay With Me

2019-04-13 22:19:49 | 日記
正直私はこの歌手を初めて知りました。こんなに上手い歌い手がいたとは !!! しかも若くして亡くなった !!!
坂井泉水さんと同じ・・・。なんと・・・。私はぐっときて、しばし涙ぐんでいました。


松原みき - 真夜中のドア~Stay With Me



松原 みき(まつばら みき、1959年11月28日 - 2004年10月7日)は、日本の女性歌手、作詞家、作曲家。大阪府堺市西区出身、血液型はO型。「スージー・松原(スージーまつばら)」という芸名を用いたこともある。


バイオグラフィ

デビューまで

1959年11月28日大阪府岸和田市に生まれ、堺市西区平岡町で育ち、幼少期を過ごす。
母親はクレージーキャッツと一緒に歌った事もあるというジャズシンガーで、3歳からピアノを習い始め、ジャズに親しんだ。1972年に堺市立平岡小学校からプール学院中学校に入学。国鉄阪和線を利用して通学していた。この頃よりロックに興味を持ち、ロックバンド「愚麗」に加入し演奏活動を始める。1975年プール学院高校に進学。「吉野家バンド」のキーボーディストとして京都のライヴハウス磔磔で活動。

1977年高3の時に歌手デビューのため単身東京へ行き、文化女子大学附属杉並高等学校に転校。米軍キャンプなど各地で演奏し、六本木のジャズスポット「バードランド」に飛び入りしたところを世良譲に絶賛される。
アルバイトによる疲労と精神的な不安のためか視力が急激に悪化したため、卒業試験は口頭試問で突破、その後手術で回復した。

デビュー以後

1979年11月5日にファーストシングル「真夜中のドア〜Stay With Me」でデビュー。複数の新人賞を受賞した。以降1991年1月21日までにカップリング曲を含むシングル17枚、ベスト盤を含むアルバム15枚を発表。全国各地で演奏活動を展開した。

歌手活動休止、作曲活動開始以後

1990年代以降は歌手としての活動を休止、当時バックバンドのドラマーの本城真樹(後に歯科医師)と結婚、CMソングやアニメソングなどを中心とした作曲家として活動した。特に、1997年にNHK『みんなのうた』で放送された國府田マリ子の『雨のちスペシャル』は話題を集め、2004年まで繰り返し再放送された。

2001年にがんを告知され、すべての音楽活動を休止し闘病生活を送っていた。2004年10月7日、子宮頸癌のため44歳で死去。


作品

シングル

真夜中のドア〜Stay With Me (4'34")
作詞:三浦徳子/作曲:林哲司/編曲:林哲司
(c/w) そうして私が (4'08")
作詞:三浦徳子/作曲:林哲司/編曲:林哲司
(出典:EP W-17 SEE・SAW 1979.11.5 キャニオン・レコード)
愛はエネルギー
作詞:三浦徳子/作曲:林哲司/編曲:林哲司
西友キャンペーンソング
(c/w)  Fancy Free
作詞:中里綴/作曲:芳野藤丸/編曲:芳野藤丸
(出典:EP W-18 SEE.SAW 1979.12.5 キャニオン・レコード)
ハロー・トゥデイ〜Hello Today (4'20")
作詞:三浦徳子/作曲:大村雅朗/編曲:大村雅朗
(c/w) 街はいつもパーティね (3'43")
作詞:三浦徳子/作曲:大村雅朗/編曲:大村雅朗
(出典:EP W-20 SEE.SAW 1980.4.21 キャニオン・レコード)
あいつのブラウンシューズ
作詞:島エリナ/作曲:杉真理/編曲:鈴木茂
(c/w) 今日この頃
作詞:島エリナ/作曲:林哲司/編曲:林哲司
(出典:EP 7A0010 SEE.SAW 1980.9.5 キャニオン・レコード)
ニートな午後3時 (4'07")*
作詞:三浦徳子/作曲:小田裕一郎/編曲:大村雅朗
資生堂 '81春のキャンペーンソング
(c/w) Twinkle Twinkle Starlight ―三日月形の犬をもとめて― (4'38")
作詞:松原みき/作曲:松任谷正隆/編曲:松任谷正隆
(出典:EP 7A0049 SEE・SAW 1981.2.5 キャニオン・レコード)
(*資生堂販促用非売品として:EP P-39 SEE・SAW 1981.1 キャニオン・レコードより『ニートカラー』リリース)
倖せにボンソワール Bonsoir L'amour
作詞:三浦徳子/作曲:小杉保夫/編曲:飛澤宏元
(c/w) 私はもどれない
作詞:三浦徳子/作曲:佐藤健/編曲:大村雅朗
(出典:EP 7A0088 SEE・SAW 1981.7.5 キャニオン・レコード)
Jazzy Night
作詞:三浦徳子/作曲:林哲司/編曲:林哲司
(c/w) 愛はエネルギー
作詞:三浦徳子/作曲:林哲司/編曲:林哲司
(出典:EP 7A0141 SEE・SAW 1981.12.5 キャニオン・レコード)
SEE-SAW LOVE
作詞:小泉長一郎 / 作曲:佐藤健/編曲:Dr.Strut
(c/w) WASH
作詞:康珍化/作曲:佐藤健/編曲:Dr.Strut
(出典:EP 7A0157 SEE・SAW 1982.2.21 キャニオン・レコード)
予言
作詞:パンタ/作曲:濱田金吾/編曲:後藤次利
(c/w) サラダ ★ SALAD
作詞:西尾尚子 / 作曲:松原みき/編曲:後藤次利
(出典:EP 7A0218 SEE.SAW 1982.9.21 キャニオン・レコード)
Paradise Beach(ソフィーのテーマ) (3'38")
作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣
日立マクセルビデオカセットキャンペーンソング
(c/w) 気まぐれコラージュ (4'33")
作詞:竜真知子/作曲:Dr.Strut/編曲:Dr.Strut
(出典:EP 7A0272 SEE・SAW 1983.4.25 キャニオン・レコード)
Sweet サレンダー
作詞:田口俊/作曲:山川恵津子/編曲:鷺巣詩郎
(c/w) WANGAN High Way
作詞:田口俊/作曲:佐藤健/編曲:鷺巣詩郎
(出典:EP 7A0315 SEE.SAW 1983.9.21 キャニオン・レコード)
Knock, Knock, My Heart
作詞:梅本洋一/作曲:森園勝敏/編曲:森園勝敏
(c/w) Ice Heart 〜その気もないのに〜
作詞:梅本洋一/作曲:森園勝敏/編曲:森園勝敏
(出典:EP 7A0382 SEE・SAW 1984.5.21 キャニオン・レコード)
恋するセゾン 〜色恋来い〜
作詞:康珍化/作曲:亀井登志夫/編曲:向谷実
(c/w) サングラスはもういらない
作詞:有川正沙子/作曲:向谷実/編曲:向谷実
(出典:EP 7A0496 SEE.SAW 1985.6.21 キャニオン・レコード)
サファリ アイズ SAFARI EYES
作詞:大津あきら/作曲:和泉常寛/編曲:新川博
劇場版『ダーティペア』オープニングテーマ
(c/w) パ・ド・ドゥ pas de deux
作詞:渡辺なつみ/作曲:Project M / 編曲:萩田光雄
同 エンディングテーマ
(出典:EP KV-3078 1987.2.21 ビクター音楽産業)
IN THE ROOM
作詞:竹花いち子/作曲:林哲司/編曲:鷺巣詩郎
(c/w) 女神の右手
作詞:竹花いち子/作曲:羽場仁志 / 編曲:鷺巣詩郎
(出典:EP SV-9348 1988.5.21 ビクター音楽産業)
(出典:CD SINGLE VDRS-1029 1988.5.21 ビクター音楽産業)
スージー・松原名義[編集]
ガンモ・ドキッ!
作詞:森雪之丞/作曲:森雪之丞/編曲:戸田誠司/演奏:雪之丞シンジケート
『Gu-Guガンモ』オープニングテーマ
(c/w) ヒョコポン関係
作詞:森雪之丞/作曲:森雪之丞/編曲:戸田誠司/演奏:雪之丞シンジケート
同 エンディングテーマ
(出典:EP 7G0041 1984.3.21 キャニオン・レコード)

(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」621 長崎の夜はむらさき(瀬川瑛子)

2019-04-11 17:40:44 | 日記
体全体で共鳴する発声。少し鼻にかかっている声もいいですね。若いころの姿はほんとに懐かしいです。いつもにこやかで癒されます。


長崎の夜はむらさき(瀬川瑛子)


瀬川 瑛子(せがわ えいこ、本名:清水 瑛子、旧姓:(瀬川)、1947年7月6日 - )は、日本の演歌歌手・女優。歌手瀬川伸の次女。身長168cm、血液型B型。既婚。

来歴・人物

東京都渋谷区出身。町田学園高等学校(現・品川エトワール女子高等学校)卒業。1967年にデビュー(当初の芸名は瀬川 映子)。地道に活動を続け、1970年に「長崎の夜はむらさき」が50万枚のヒットを記録した。

1983年には、ちあきなおみや細川たかしらとの競作「矢切の渡し」が30万枚を売り上げる。
そして、1986年には夫婦の情愛を描いた「命くれない」が1987年度オリコンシングルチャート年間1位を記録し、ミリオンセールスを記録して大ヒット。自身の代名詞的な曲となる(ただ、歌詞にある「一途に添い遂げる女」とは裏腹に、私生活では結婚生活が破綻して夫とは別居状態に陥っていた。この時に「この歌を歌う資格があるのか?」などと自問自答し、「初めて歌を歌って苦しい、と感じた」と述べている)。

24歳の頃にレコード会社の社員と結婚するが後に離婚。51歳の時にバックバンドを務めていた清水武と再婚した。
東京都出身だが、先述の「長崎の夜はむらさき」がヒットした時期より長崎県出身と公表していた。デビュー50年目の2016年に東京都出身を打ち明けている。

歌手活動以外にも柔和な人柄(研ナオコ曰く「この世界って、テレビに映っている時と映っていない時で変わる人いるんですけど、瀬川さんはどこで会っても、このまま(=テレビのまま)の人」)、端々で見受けられるズレたコメントセンスなどの天然要素とマイペースさがウケ、バラエティ番組にも多数出演。

趣味は麻雀。この時ばかりは人物が豹変し、役作りや聴牌をハイペースで行なうという。長時間の対局も苦ではなく、過去には森光子と8時間麻雀で対戦したことがあるという。若手時代は長身とスタイルの良さを生かし、週刊誌のグラビア記事に登場していた。
山田邦子、清水ミチコ、コロッケ、栗田貫一、林家たい平のモノマネレパートリーとしても有名であり、各々「モォ〜ッ」「瀬川瑛子でございます」のパターンを持っている(父からは『芸人は物真似をされて初めて一流だと認められる。』と教わったために、自身がモノマネをされることを非常に喜んでいる)。

『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』では「瀬川A子(山田邦子)」「瀬川B子(西田ひかる)」に混じって「瀬川C子」を名乗ってコントを演じていた。
料理上手で知られるが、中華料理は苦手な様子である。
飼っているペットはヨークシャーテリア。 (「Wikipedia」より)