とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 361 ポニーテールはふり向かない 

2018-06-16 21:17:46 | 日記
伊藤かずえのきっぷのいい男前の演技が大好きで、若い頃随分あこがれていました。唄もすきでした。ドラムのスティックで勇ましく戦う場面はしびれるような快感を覚えました。ああ、懐かしい。


ポニーテールはふり向かない 番組宣伝



ポニーテールはふり向かない』(ポニーテールはふりむかない)は、喜多嶋隆原作の、女性ドラマーを主人公とした小説である。
本作を原作とした大映テレビ制作の連続テレビドラマ作品が1985年10月12日から1986年3月29日まで、TBS系列で毎週土曜日21:00 - 21:54に放送された。
喜多嶋の本作を含めた『ポニーテールに、罪はない』『ポニーテールに、通り雨』は“ポニーテール三部作”と呼ばれる。

概要

ドラマー一家の父子家庭で育ち、傷害事件を起こして少年院に収監された少女が、ドラマーへの道を志し、ロックバンドを結成するまでの過程を描いたドラマである。音楽を題材にした他のドラマやアニメが「バンドを結成してデビューした後」の過程に重点を置いた作品が多い中で、本作は「バンドを結成してデビューするまで」の過程に重点を置いている。

TBS系土曜21時台の大映ドラマの一つ。大映ドラマの中ではヒロインと対立する女性を演じることが多かった伊藤かずえが、初めて主演した作品である。テレビドラマ化に際してつけられたキャッチコピーは「汗が飛ぶ、血が騒ぐ。涙なんてごめんだね、いま『青春(ハートビート)』」。

横須賀を舞台にしており、横須賀のドブ板通り商店街にある「かぼちゃ屋」が撮影場所として使用されている。オープニングの主題歌「Never Say Good-Bye」の前奏でも、横須賀の空撮映像が流れている。

あらすじ

「この物語は、3歳で母と別れ、18歳で父を失いながらも、あらゆる迫害と闘い、振り向くことなくドラマーとしての自己を確立した一少女と、挫折しながらもやがて己の道を開いた若者たちの記録である。」(オープニングナレーション)

麻生未記は、名ジャズドラマーである父・麻生雄次からドラムを教わり、腕を磨いていた。しかし、やがて到来したロックの時代に馴染めず、ドラムを捨てた一家は貧困に追い込まれ、母は家出し、未記は非行に身を堕して女子少年院に収監された。18歳で父が死に、再び不良の世界に舞い戻ったが、亡き父のいた音楽の世界に希望を見い出し、世界一のロックバンドの結成を誓う。

バンデージのメンバー

麻生未記(Drums):伊藤かずえ

ジャズドラマー・麻生雄次の娘。愛称「ミッキー」。喧嘩っ早い性格で、不良4人を骨折させて少年院に収監された。出所すると横須賀のライブハウス「フロンティア」に引き取られ、亡父と同じドラマーへの道を歩むことを決意した。自らが主宰したバンド「バンデージ」のリーダー。ドラムスティックで喧嘩するのが特技。物語後半で切れたエレキギターの弦で両眼を傷つけ視力を失うも盲目のドラマーとなる。未成年にもかかわらず飲酒するシーンがあるが、当時のテレビはそこまでコンプライアンスに厳しくなかった。

伊藤 かずえ(いとう かずえ、1966年12月7日 - )は、日本の女優・タレント・歌手である。本名、伊藤 和枝(いとう かずえ)。


出演作は、身体能力を生かしたアクションシーンが多い。これは、幼い頃に山下公園でアクションシーンに挑んでいた志穂美悦子に憧れ、鍛錬を重ねた成果で、現在もアクション関係の道場に通う。大映ドラマでは、『スクール☆ウォーズ』で、伊藤かずえが演じる富田圭子が馬に乗って不良たちを蹴散らしたり、『ポニーテールはふり向かない』で、伊藤かずえが演じる麻生未記がドラムスティックを武器にしてヤクザと格闘するシーンが、それぞれ話題になった。ただし、本人は運動神経は「良くない」と語っている[どこ?]。
資格:書道三段、剣道。免許:普通自動車免許、普通二輪免許。

趣味は、洋裁、お料理、インラインスケート、スキューバーダイビング、乗馬。彼女の着用する服の多くは、特技の洋裁を生かした自作品で、『森田一義アワー 笑っていいとも!』に出演時[いつ?]も自作の服で登場、話題となった。また、シュシュ作りにはまっており2014年2月23日に放送された有吉反省会の禊では24時間シュシュつくりを命じられた。
楠瀬誠志郎の楽曲の大ファンであり、楠瀬のラジオ番組に自らFAXを送ったこともある。

愛車は初代シーマ(FPY31型)。1990年購入のパールホワイト。多くの車に乗ってきたが、これが一番自分に合っているとし、10万キロメートル走った際にエンジンと足回りのパーツを全て新品に交換し、20万キロメートルを超えた現在も乗り続けている。2007年3月の読売新聞の記事において「シーマは体の一部。40万kmまで一緒に走る」とも語った。
極度の近眼。「出産時、コンタクトレンズを外していたので、子供の顔が見えなかった」と『ごきげんよう』でコメントしたことも。

神奈川県横浜市出身、ホリプロ所属。(「Wikipedia」より)



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