とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」801 1958年上皇后さま(正田美智子さん・当時)婚約内定会見

2024-05-04 12:37:57 | 日記
ミッチーなどともう言えなくなって久しくなりました。私はかつての皇太子ご夫妻に東京会館でお目にかかりました。全国読書感想文コンクールの表彰式でした。私は入賞した生徒の引率で参加していました。入賞者がずらりと並んでいるとご夫妻が入られ、一人ひとりに声掛けをされ、励ましのお言葉をいただきました。ありがたいことだと当時の私は感激しました。妃殿下の美しさを目の前で見て、いずれ皇后さまになられるお姿を想像していました。今は上皇后様におなりになりました。しかしてわたしも老いてきて、懐かしい思い出となりました。ご成婚のパレードは電気店に行き背伸びして見つめました。当時テレビがある家は珍しかったのですね。

【皇室秘録】「殿下はご誠実でご立派で心からご信頼申し上げる方」1958年上皇后さま(正田美智子さん・当時)婚約内定会見


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

少女時代

1940年(昭和15年)頃の正田美智子
1934年(昭和9年)10月20日、日清製粉グループ会長の正田英三郎・正田富美(1981年(昭和56年)に富美子と改名した)夫妻の長女として東京府東京市本郷区(現・東京都文京区東部)の東京帝国大学医学部附属病院で誕生[3]。

大和郷幼稚園、雙葉学園雙葉小学校附属幼稚園を経て、1941年(昭和16年)に雙葉学園雙葉小学校に入学。1944年(昭和19年)、疎開のため、神奈川県藤沢市の乃木高等女学校附属小学校(現・湘南白百合学園小学校)、群馬県の館林南国民学校(現・館林市立第二小学校)、1945年(昭和20年)5月には、長野県の軽井沢第一国民学校(初等科5年に転入、同年9月まで在籍)[4]と転校を繰り返し、軽井沢にて終戦を迎えた。雙葉学園を受験する際、本郷区大和郷の俵孝太郎旧居に、一時在住したこともある。

小学生時代の性格は、担任の回想では「真面目な女子児童」、「活発で勝ち気だった」、「神経質な性格だった」とされていて、スポーツが得意な女子だった[5]。また、ピアノ・絵画・料理、香道も習っていた[6]。

1947年(昭和22年)3月、雙葉学園雙葉小学校を卒業するが、当時は品川区五反田に在住しており通学に不便なことから聖心女子学院中等科へ入学する。1953年(昭和28年)3月、聖心女子学院高等科を卒業。中高時代も成績はトップクラスで、当時の愛称は米国の子役であったシャーリー・テンプルのような天然パーマだったことから「テンプルちゃん」や[7]「ミッチー」「ミチ」[6]と呼ばれていた。

1957年(昭和32年)聖心女子大学文学部外国語外国文学科(現・英語英文学科英語英文学専攻)を卒業。在学中に中学・高校の英語教員免許取得 [8]。在学中はクラスの福祉委員(ウェルフェア・メンバー)委員長[9]、プレジデント(全学自治会会長)としても活動していた[10]。卒業式では総代として答辞を読んだ[11]。自身は大学院進学も希望していたが、両親の意向もあり家庭に入る。クラブ活動では合唱部・英語劇クラブ・テニス部に所属していた[12]。テニスでは在学中に新進トーナメントに優勝して、関東学生ランキングの第4位にランクインした[13]。昭和29年度(1954年度)の成人の日記念の読売新聞社主催の感想文では2位に入選した。大学の卒業論文は、『ゴーズワージーのフォーサイト・クロニエル』(The Forsyte Chronicles by John Galsworthy)。大学卒業後にフランス語の習得をしながら19世紀の児童文学の研究を続けていた[14]。

同年8月、長野県の軽井沢会テニスコートで開催されたテニスのトーナメント大会にて当時皇太子だった明仁親王と出会う。テニスコートの誓いにちなんだ「テニスコートの出会い」として知られ、その後もテニスを通して交際を深めたといわれる。明仁親王は正田美智子(当時)の写真を「女ともだち」と題して宮内庁職員の文化祭に出品したが、「皇太子妃には旧皇族・華族から選ばれるのが当然」と考えられていた時代であり、誰も彼女を「お妃候補」とは思わなかったようである。

1958年(昭和33年)、ベルギーにて開催された「聖心世界同窓会第1回世界会議」の日本代表として出席し、欧米各国に訪問旅行する。

1958年7月24日、日本新聞協会加盟の新聞・通信・放送各社は、皇太子妃の選考について正式発表まで自発的報道管制を決定した。『週刊女性』11月23日号は正田美智子内定を報道し、問題となった。

同年11月27日、皇太子明仁親王と正田美智子の結婚が皇室会議(議長:内閣総理大臣・岸信介)において満場一致で可決された。同日、両親の正田英三郎と富美子夫人との記者会見にて、記者から明仁親王の魅力について問われ「とてもご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げて行かれる方だというところに魅力を感じ致しました」と回答。これは当時の流行語にもなった[15]。また第一印象について「ご清潔な方」とした。皇太子明仁親王と正田美智子の巨大な写真がデパートに飾られる・「美智子さまぬりえ」が発売されるなどのミッチー・ブームが起こる。