とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

椿事

2014-01-14 22:32:23 | 日記
椿事




 浦安の舞(鈴の舞)写真:久次米一弥(「Wiki」)

 浦安の舞は1940年(昭和15年)11月10日に開かれる「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせ、全国の神社で奉祝臨時祭を行うに当たり、祭典中に奉奏する神楽舞を新たに作ることが立案され、当時の宮内省楽部の楽長である多忠朝が国風歌舞や全国神社に伝わる神楽舞を下地に作曲作舞した神楽舞である。

 1933年(昭和8年)の昭和天皇御製

      天地の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を

が神楽の歌詞となっている。「うら」は心を指す古語であり、「うらやす」で心中の平穏を表す語であるとされる。また、『日本書紀』に「昔伊弉諾尊目此国曰。日本者浦安国。」とあり、他の文献にも日本国の別称として「浦安国」とあることから、神祇の安寧慰撫と国の平穏無事が、題名である「浦安」の語に込められている。(「Wiki」)


 出雲の祭礼が執り行われた直後、ご縁市場の事務局では顧問、事務局長を初めとして各幹部が詰め寄ってじっと相手の生野劇団の動きを待っていました。京都の様子は本部の事務局長の三朗が知らせることになっていました。三十分くらい経ってから電話がありました。古賀事務局長が電話に出ました。電話の声はオープンにセットしてありましたので、部屋の誰にも聞こえました。

 ああ、古賀です。三朗君、どういう状況ですか。動きありました。

 古賀さん、大変なことになりました。

 なんだ !! 何が起こったんだ !!

 私は八坂神社の特設舞台が二つ作ってあったので、最初はおやっと思ってたんですが・・・。

 そ、それで・・・。

 新阿国座の舞いが始まると、もう一つの舞台でも舞いが始まったんですね。

 ほほう・・・、で、そのメンバーは誰なんだ。

 何と、生野劇団の主力メンバーでした。観客もびっくりした様子でした。

 ええっ!!

 そうなんです。私は全く知りませんでした。

 こりゃ、大成功だね、三朗君。

 そうなんですよ。嬉しかったです。感激しました。ミュージカルを主体とした劇団ですが、巫女舞いもすばらしい出来栄えでした。コラボという形で進んで行ったんです。
それから、もっと驚いたことがありました。

 次は何が起こったんだ。

 あちらのメンバーの中に佐久良が居たんです。

 なに 佐久良が !!

 ええ、そうなんです。絶対に外に出るなと言ってたんですが・・・。

 どうしてそんな状況に・・・。

 綾乃さんです。・・・私は二人が打ち合わせをしているときは、部屋から外に出ていました。恐らくそのときに佐久良が頼んだんでは・・・。

 どう頼んだんだ。

 昔の仲間と踊りたいと。

 それで綾乃さんが向こうへ頼みに行った・・・。

 そうです。

 そりゃ、驚きだ。・・・でも、初対面の筈だが・・・。

 私の想像ですが、仙女さんが仲立ちしたのではないかと思っています。・・・で、話がまとまると舞台の設備などすべて仙女さんが段取りをしたと思います。

 ということは、佐久良は古巣へ帰る気持ちが湧いてきた・・・。

 いや、そうではないと思います。昔の仲間は窮地に陥っている佐久良を助けたかったのだと思います。併せて劇団としての友好の意思表示をしたのだと思います。

 そうか、そうか、・・・綾乃さん、立派な働きをしてくれました。

 ウラヤスに対してウラヤスで応えた、・・・立派です。・・・私は深刻になり過ぎていました。反省しています。

 いや、いや、・・・そうか、そうか、ウラヤスに対してウラヤスで応えた。

 雨降って、地固まる。古賀さん、世の中捨てたものではないですね。

 ウラヤス、ウラヤス、・・・。

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