まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

ブラボーセンチュリー(センチュリーB)(平和、デジパチ)

2012-03-29 00:27:38 | 現金機デジパチ

1990年(平成2年)に平和から登場した旧要件デジパチ「ブラボーセンチュリー(センチュリーB)」

 

大当り確率1/256のオマケチャッカー機。出玉は2000~4000発(釘調整により変化)。

意図的な連チャン性のない、ノーマルデジパチである。


 本機との初対面は、新宿・西早稲田の「みよし」(現・MIYOSHI344)というホール。

1990年代前半の「みよし」(当時の「パチンコ必勝ガイド」より)。入口は左右2箇所あり、「CABIN」と書かれたハト屋敷(ハトがうじゃうじゃいた)を挟んで「コの字型」に建っていた。

左側がパチンコで、右がパチスロのシマ。左右を繋ぐ真ん中は、パチンコの短いシマになっていた。当時、スロでは山佐「アストロライナー」「ビッグパルサー」を設置。パチは、本機の他に「ブラボーエクシード」や「エキサイト麻雀3」を良く打った。2階の雀荘「みよし」では、良く同級生と卓を囲んでいた。

昨年9月、久々に現地を訪れた際は、改装中だったのかシャッターが降りていた。中央の「ハト屋敷」は、綺麗サッパリ無くなっており、コの字型の建物がハッキリ見えた。

学生時分、みよしで勝負した後は、店の前のバス停から新宿西口行きのバスに乗り、歌舞伎町の「新宿金時ホール」(閉店)、「ラスベガス」(現・「ゲームカーニバル」)、西口「ジャンボ」(現存)のセンチュリーBで再戦する事も多かった。まぁ、パチのハシゴが大好きな大学生だったので、仕方がない。

(新宿・歌舞伎町「金時ホール」)

(新宿・歌舞伎町コマ劇広場前「ラスベガス」…DJブースがある珍しい店だった。台の脇にはリクエスト用の紙なんかも置いてあったな…。)

(新宿西口・大ガード近くの大型店「ジャンボ」。センチュリーBの他、西陣のドットデジパチ「ラスベガス」やニューギンの6ケタデジタル機「エキサイト123」を打ち込んだ店として思い入れが強い。スロでは、センチュリー21(瑞穂2-2号機)の赤パネルが置いてあった。)

その他、本機を設置する店は非常に多く、全て書くとキリがないので、この辺で止めておく。

※当時の歌舞伎町に興味がある方は、コチラも参照されたい。

http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/942c8fd33de397f3246c7df0fcf22006


 さて、西早稲田「みよし」のセンチュリーBは、一回交換だが出玉は3400~3500発程あり、「プチ一発台」感覚で勝負していた。この店のドル箱は4000発の大箱だったが、大当り一回でドル箱8割ほど貯まる。この重みを感じつつ、カウンターにドル箱を運ぶのが嬉しかった。

それだけに、リーチになった時の期待感も、他機種より遥かに大きかった。加えて、リーチ時の大当り判別法もあったりして、リーチの度に右デジをグッと凝視したものだ。

(リーチ時の大当り判別法)

リーチが掛った瞬間の右デジタルを見て、大当りの可能性を先読み出来た。簡単にまとめれば、リーチ時に右デジタルが「0」「7」「8」「h」のどれかでスタートすれば、大当りの可能性があるが、その他の絵柄でスタートするとハズレが確定する。

さらに細かく言えば、リーチ絵柄ごとに右デジタルには期待度の高い目があった。例えば、0でリーチが掛かった時は、右デジタルが「h」か「8」からスタートすればアツい、といった具合である。

ただ、この「出目対応表」は、攻略誌ごとに微妙な違いがあったのも事実だ。まぁ、打ち手としては、リーチ発生時に「0」「7」「8」「h」が右デジに一瞬見えれば、大きな期待が持てたという事である。


 

さて、本機において、大当り時の大量出玉を可能にしたのが、独特の形状をしたアタッカーと、左右のおまけチューリップである。

通常時、アタッカーの上にはピンクのカバーが付いている。大当りになると、このカバーが奥に引っ込み、アタッカーへの入賞ルートが出来る訳だ。同時に、アタッカーの両サイドにぶつかった玉は、ポンと弾んでサイドのオマケチューリップへと流れる。当初は、玉がどうしてポンと弾むのか不思議に思った事もあるが、実にアナログ感タップリのヤクモノだった。

両サイドのチューリップは2回開きになっており、通常のチャッカーよりも玉を多く拾った。出玉が飛躍的に増えた原因がここにある。前機種の「舞羅望極2」では、1回開きチューリップを採用していた。

店によっては、オマケに玉が流れにくい釘調整を施し、いくら頑張っても2000個しか出ないケースもあった。しかし、「みよし」の場合は、一回交換という事もあり、出玉マイナス調整にする事は絶対になかった。新宿界隈で打った時も、出玉は比較的多めだったと記憶する。

そういえば、当時「みよし」で打っていた時に、常連の若い女性とよく隣り合わせになった。年の頃23,4の綺麗な子で、センチュリーBの熱心なファンだった。リーチになると、二人でデジタルを覗き込んで一喜一憂したものだが、結局ホール内だけの付き合いで終わってしまった。彼女も、もう立派な母親世代なんだな…。、


 その後、オマケチャッカー機は禁止となり、新基準の後継機種「センチュリー21」が登場。

ドットデジタルは初代を彷彿とさせたが、右デジタル停止時の動きに違和感があった。出玉も2400個程度とボリューム感がなくなり、残念ながら魅力は半減したように思う。

 

 (平和「センチュリー21」…1991年登場。大当り確率:1/225)