心の意伝詩

やすらぎ.lab

090-3755-0061
022- 743-3375

父の役割・母の役割

2015-02-25 18:53:43 | 生まれ来る子供たちのために

 

人間は、歴史を生きています。

 

○○をする!というプランを

5年先、10年先を見ながら、

時間の中で未来に投企しながら生きていきます。

その思考力が未来を形づくっていきます。

 

その時に必要になるのが、言語です。

そして、先頭に立って導いていく存在、

それが父です。

 

未来と今と過去という時間と空間の概念を教えるのが父の役割です。

 

今の満足を与えてあげるのが、母の役割です。

 

父の役割と母の役割があって、一人の人間を育てていきます。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

父と娘

2015-02-17 22:04:34 | 生まれ来る子供たちのために

 

 

思考は、物質化するから言葉は大事という事になり、

参ったという言葉を厳禁にして、

参った!と言ったら、現金100円を貯金箱にいれる事にした、

という人がいる。

 

そしたら、当初、ご主人が1日何回も参った!を連発し、

おかげで貯金箱は、瞬く間にズッシリとなったそう・・。

 

最近、発達段階のエデプス期のところを一緒に勉強していて、

突然、笑い出した彼女。

 

4歳位になると女の子は、父の持つ力の強さに憧れ、

母への愛着を父にシフトし、

父に愛されたい!独り占めしたい!

と思うようになるが、

愛し合う父と母の許では、

とうてい父を独り占めすることは出来ず、

父への同一化を断念し、母に同一化する事で

父から愛される母のような優しい女性になる道を選ぶ。

 

これは、父と母がお互いに愛し合っているからこそであり、

女の子が母をライバルと見做す事が条件となる。

 

ところが、多くの家庭では、

父と母の仲があまりよろしくないものだから、

母はライバルと成り得ず、簡単に父を独占出来てしまう女の子、

よって、ヤスヤスと父に同一化する。

 

こうして、女の子は力に憧れ、女性の役割を放棄し、

競争が大好きな、絶対に負けない人となる・・。

 

 

”参った!”は、こういう事だったのですね・・と彼女。

 

 

大丈夫!気づいた時から、変えればいいから。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

父の福音

2015-02-10 08:54:53 | 生まれ来る子供たちのために

 

母の福音が、オールOKだとしたら、父の福音はなんでしょうか?

母の世話行動に対し、父は言語です。

 

指導的立場が基本になります。

先頭に立って先導する、指導する。

論理的に理性的に説明する。

 

そうすると"従う"という事が発生します。

従った結果が、結果オーライならば、

その指導的言語というものは、価値を生みます。

 

結果が出なければ不信です。

だから、結果に導けばフィードバックされて、

また新たな指導というものを生み出します。

そうすると、"従う"が良い結果を持ってると、

言われた通りにやると結果がよくなる。

この人の言う事は確かだ!という事で、

尊敬というものを学びます。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

バランス

2015-02-01 00:10:18 | 生まれ来る子供たちのために

 

心の構造は、エスと自我と超自我と言われる3つの部分で

構成されているという考え方があります。

 

エスは、生まれながら誰にでも備わっている

生きる為のエネルギーで本能です。

 

自我は、産まれてからの幼少期に養育者の世話によって、

培われる部分で、世話の仕方次第で強くも広くも脆くもなり、

器のようなものと考える事が出来ます。

 

自分の出した要求が100%通ったら子供は満足し、

この満足が快となり、自我が少しづつ出来ていきます。

満足体験によって、少しずつ、少しずつ、

器である自我は、大きく、広く、強くなっていきます。

 

そして、要求が満たされる事で、

自分は要求してもいい存在なんだと、次の要求も出す事ができるようになります。

 

超自我というのは、言葉を持ってから親のしつけによって培われた制約の部分で、

親の価値観によって強度が決まります。

後に道徳、法律、宗教といったような社会的ルールになります。

 

 

親の躾という名の許に

きれいに食べなさい、静かにしなさい、甘えてはいけません…、

…なさい、…なさい、ダメ、ダメ、ダメ。

と親は、子供の欲求をなかなか満たしてくれません…。

 

そうすると子供は、要求する自分は悪い子なんだと思うようになります。

悪い子と思うのは辛いので、要求を引込めて求めなくなります。

親の手のかからない、とてもいい子になります。

 

超自我が強すぎると要求が出せないので、満足も出来ず、

自我は弱く、脆く、小さく、生気のない状態となり、

対面の整った、融通の利かない、遊びの無い人間に成長します。

 

反対に禁止が無いと、何でも、やりたい放題、遊び始めたら止まらない、

放埓で欲望のまま、何でも一生懸命に元気よく頑張れますが、

超自我のルールの部分が無いので、社会適応できない状態になります。

 

なので、自我は、ここで自分の欲望を満足させるべきか?

遊んだらいいのか?

お酒を飲んだらいいのか?

止めるべきか?

社会に合わせるべきか?で、葛藤・・・。

というように、ある意味で超自我とエスの板ばさみの状態にあります。

 

本能エネルギーも供給し、社会にも合わせながら、

如何にほど良いバランスをとっていくかが、

人生の一生の歴史になるのかもしれません。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加