労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

田中角栄氏の池の鯉

2008-11-03 00:55:04 | Weblog
 その昔、田中角栄氏が“闇将軍”と呼ばれていた頃、彼に呼ばれたある政治家(名前は忘れた)がこんな話を聞かされた。

 何でも田中角栄氏の池の鯉は元気がよくて、ときどき池から飛び出すそうで、そのうち何匹かは池に戻れず、日干しになって死んでしまうそうである。

 どういうわけか、その政治家はその後しばらくして自殺してしまった。

 これも不思議なことだが、現在の日本の支配階級は、“田中角栄氏の池”のようになっている。

 ときどき“鯉”が池から飛び出してきて、口をぱくぱくやって、バタバタしたかと思うと、そのまま日干しになってしまうのである。

 水の中にあってこそ、鯉は鯉なのだが、そういう単純なことすらできないということは、彼らの池の中で、彼らにとってがまんならない何かが起こっているということであろう。

 このがまんならないものというのは、おそらく、現実の水と彼らが“水”と考えているものの不一致なのであろう。

 しかし、池の中の多くの鯉は、何の苦痛も感じずにスイスイと泳いでいるのだから、この場合、不一致を引き起こしているのは、池から飛び出す鯉の“水”に対する意識の方に不適応があると考えるのが自然であろう。

 田中角栄氏の池の鯉は一匹、ウン百万円もしたそうで、要するに、鯉のエリートなのだが、エリートの鯉はそれなりの育てられ方をしている。

 さしずめ、政治家ならば、東京大学の法学部を卒業して、国会議員になり、「先生」、「先生」とちやほやされて、当選を重ね、やがて大臣になってというようなものであろうし、帝国軍人であるならば、防衛大学を卒業して、すぐに指揮官となり、やがては幕僚長にでもなるのであろう。

 チヤホヤされて、世間の風を知らず、仲間内のくだらない話ばかり聞かされ、それを真実と思いこみ、やがては、“国士”にでもなったつもりで、場所をわきまえず、仲間内のくだらない話を披露しだすのだが、実は、そうすることは自分の住んでいた池から飛び出すことである、という単純な真実すらわからない。

 しかし、池を飛び出せば、待っているのは、もうすぐ冬の訪れをつげるような晩秋の風である。しまったと思ったところで、池を飛び出してしまった以上、もうもどる術(すべ)はない。

 こうして、今日も、明日も一匹と、エリート鯉の日干しが生産されていくのだが、日本の上流階級が田中角栄氏の池のような状態になっているとしたら、それはこの国の社会体制そのものが、フランス革命前の“アンシャン・レジーム”と呼ばれたような、頽廃を深め、生命力を喪失し、自然死をまつだけのような社会に向かっていることの一つの表れであるかもしれない。


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