発表された10年版の『労働白書』に掲載されている「雇用者の年収分布」を見ると、興味深い事実が浮かんでくる。
最初に目につくのが、年収分布の偏りである。つまり、中心に山がある正規分布ではなく、山は全体的に低所得側に引き寄せられていることだ。
もちろんこれは資本主義的生産様式の特徴である、その繁栄が労働者の絶望的な貧困の上に築かれている生産体制であることをあらわしている。
このピークを見ると二つあることが分かる。一番高いピークは年収100万円から200万円の山であり、それに続く二番目のピークは200万円から300万円の山であり後は、所得が高くなるにつれて漸減している。
この第一のピークはもちろんアルバイト、派遣労働者、期間工、パートといった非正規社員であり、第2の山は低賃金で働く労働者である。
『白書』では1997年と2007年を比較しているが、それを見ると、この10年間に、第1の山、第2の山がともに高くなっており、第2の山から麓(ふもと)にいたる傾斜が急になっている。
この日本資本主義の“造山活動”(労働者階級の貧困の蓄積)は、もちろん、この10年間に日本の労働者階級の労働条件や労働環境が悪化していることを表している。そしてこの“造山活動”(労働者階級の貧困の蓄積)はある程度“人の移動”つまり、より高い年収から、より低い年収への“人の移動”を表している。
このことは山腹から山頂へと、あるいはより低い地点から高い地点へと移行しないためには、この社会に順応し、あるいは資本(会社)にしがみつかなければならない必要性と必然性をもたらしており、それが高所得労働者層の反動化、エゴイズム、等々をもたらしている。
しかし、この山はすでに十分に高くなりすぎている。
人口の大多数を占める労働者の大半が、貧困に喘いでおり、政治的にも、社会的にも無権利状態に置かれて、差別されている社会、日々の労働に追われ、自由でも平等でもない社会は打倒されるに値する。
そういう点では、日本資本主義の“造山活動”(労働者階級の貧困の蓄積)は、その地下にマグマをため込んでおり、近い将来の大変革を予告するものである。
最初に目につくのが、年収分布の偏りである。つまり、中心に山がある正規分布ではなく、山は全体的に低所得側に引き寄せられていることだ。
もちろんこれは資本主義的生産様式の特徴である、その繁栄が労働者の絶望的な貧困の上に築かれている生産体制であることをあらわしている。
このピークを見ると二つあることが分かる。一番高いピークは年収100万円から200万円の山であり、それに続く二番目のピークは200万円から300万円の山であり後は、所得が高くなるにつれて漸減している。
この第一のピークはもちろんアルバイト、派遣労働者、期間工、パートといった非正規社員であり、第2の山は低賃金で働く労働者である。
『白書』では1997年と2007年を比較しているが、それを見ると、この10年間に、第1の山、第2の山がともに高くなっており、第2の山から麓(ふもと)にいたる傾斜が急になっている。
この日本資本主義の“造山活動”(労働者階級の貧困の蓄積)は、もちろん、この10年間に日本の労働者階級の労働条件や労働環境が悪化していることを表している。そしてこの“造山活動”(労働者階級の貧困の蓄積)はある程度“人の移動”つまり、より高い年収から、より低い年収への“人の移動”を表している。
このことは山腹から山頂へと、あるいはより低い地点から高い地点へと移行しないためには、この社会に順応し、あるいは資本(会社)にしがみつかなければならない必要性と必然性をもたらしており、それが高所得労働者層の反動化、エゴイズム、等々をもたらしている。
しかし、この山はすでに十分に高くなりすぎている。
人口の大多数を占める労働者の大半が、貧困に喘いでおり、政治的にも、社会的にも無権利状態に置かれて、差別されている社会、日々の労働に追われ、自由でも平等でもない社会は打倒されるに値する。
そういう点では、日本資本主義の“造山活動”(労働者階級の貧困の蓄積)は、その地下にマグマをため込んでおり、近い将来の大変革を予告するものである。