上院本会議は7日午後、トヨタ・バタンガス社長、ホセ・ラウレル氏(71)の次期駐日フィリピン大使指名を承認した。日本政府のアグレマン(同意)を得て、年明けにもロペス現駐日大使と交代する。
YKKフィリピンズ執行委員長も兼務するラウレル氏は取材に応じ、日本側と話し合う課題の一つとして、比日経済連携協定(EPA)に基づいて日本で働くフィリピン人看護師・介護福祉士の就労条件緩和を挙げた。
ラウレル氏は1943〜45年、旧日本軍の占領下で独立した第2共和国体制で就任したラウレル元大統領(1891〜1959年)の孫。父は日本の陸軍士官学校を卒業し、マルコス独裁政権下で駐日大使を務めた。
ラウレル氏は比日の関係について「われわれの関係は最も良い。前の宗主国は良かったとはいえないし、隣国とも海洋権益で問題を抱えている」と、名指しを避けつつ米国と中国関係に言及。「しかし、太平洋戦争で敵対していた国とは良好な同盟関係を築いている」と言明した。
今後の比日の課題として、「介護福祉士就労条件の見直しを協議している」と言及。訪問看護師資格の条件として定められている日本語能力試験の緩和などを目指すと述べた。
ラウレル氏は、日本で進行している少子高齢化を指摘し、就労条件の緩和は実現可能と楽観視。「日本は労働力を他国から得る必要がある」と、比からの労働力受け入れが今後、増加すると予想した。
日本への短期滞在査証の申請条件緩和や、日本からの投資呼び込みについても比日両国で議論を進めると述べた。
次期大使への上院承認について「私が選ばれたのは父や祖父の功績のおかげ。国民に奉仕できることを誇りに思う」と喜びをあらわにした。
ラウレル氏は6日、上院任命委員会で承認され、ラクソン委員長から「反論はない。発議は承認された。おめでとう大使、明日また会おう」とお墨付きを得ていた。
ラウレル氏は幼少期を亡命先の日本で過ごし、終戦時は家族とともに奈良で暮らしていた。マルコス政権下の1980年代、35歳の若さでルソン地方バタンガス州知事に就任した。
@親中ドゥテルテよりは、遥かにましな人選。ドゥテルテには、我慢できない。
EPAに関しても、もっと日本語がすらすら話せ漢字もすらすら書けるレベルを上げた連中を育て上げてから送り込むべき。そもそも、日本に来てから日本語の勉強をしながら介護の資格をという連中は端から排除すべき。
基本的に外国人の起用に関して私は反対だが、シナや朝鮮人が同じような条件で入ってくるなら、フィリピン人を推す。