鳩山はこれに先立ち、公邸前で記者団に「3月いっぱいには政府案をまとめる。それは約束するし、それをもって米国にも沖縄の皆様方にも理解を求める」と改めて強調。「どこかに絞り込んだということではない」と述べるにとどめた。
@いつまで経っても成長しないね。ホント、アホな奴。(爆)
民主党の中井洽国家公安委員長(67)のスキャンダルで、永田町が大騒ぎとなっている。東京・銀座のホステスにまつわるもので、一部メディアに証拠写真を撮られたとの情報もある。事実なら、支持率が「危険水域」目前の鳩山由紀夫内閣にとって、さらなるダメージとなりそうだ。 連休明けの23日、衝撃情報が走った。「現職閣僚が、議員宿舎に銀座のホステスを連れ込んでいた」「近く週刊誌がスクープする」というもので、与野党議員や報道関係者が事実確認に追われたのだ。
ターゲットとなったのは、新進党時代から同党の小沢一郎と政治行動をともにしてきた中井。警察を所管する国家公安委員長であり、北朝鮮の拉致問題も担当する。永田町情報には、「路上キス写真もあるらしい」「議員宿舎のカードキーを渡していたようだ」というものもある。 閣僚の女性スキャンダル炸裂は深刻だ。昨年5月、麻生太郎内閣の鴻池祥肇官房副長官が議員宿舎に招き入れていた人妻と、静岡県の熱海温泉に旅行に出かけていたことが報じられ、鴻池氏は健康問題を理由に辞任した。麻生内閣の支持率急落に拍車をかけた。もし、永田町情報が事実ならば、鴻池氏のケースと極めて酷似しており引責辞任となる可能性が高い。任命権者の鳩山だけでなく、小沢にも責任が及びかねない。
事実確認をしようと24日午前、議員会館にある中井事務所に問い合わせたが、「まったく分からない。責任者は何時にくるか分からない。今の時点では何も答えられない」と話した。中井が支部長を務める民主党三重第一総支部の担当者は「こちらでは何も分からない」と、一方的に電話を切った。 中井は1942年、旧満州国出身。慶応大卒。日本社会党(当時)衆院議員で父の徳次郎氏の秘書を務めていたが、離党して民社党に入党。76年の総選挙で初当選した。その後、新進党、自由党を経て民主党に。小沢の側近議員として知られる。民社党副委員長、法務相や民主党副代表などを歴任。鳩山政権では、国家公安委員長、拉致問題担当などを務めている。当選11回(三重県1区)。
@天知る、地知る、我知る、人知る。やっほーーーーーーーーーーーーーーー
田舎のオヤジが銀座なんかで飲むから・・・・・・どこのシマか知ってます? 小沢組系じゃないですよ。(爆)
谷垣さん、一本返しましたね good job!
1942年4月にフィリピンで日本軍の捕虜となった米兵が約100キロを行進させられ、多数が死亡した「バターン死の行進」を写したとされてきた記録写真について、行進後に撮られたものだったことが判明したとして65年ぶりに写真説明を訂正し、検証記事を配信した。APは「記録写真の訂正はまれなケース」としている。写真は捕虜が遺体を運んでいる場面を写したもので、米軍が45年に日本軍から入手し発表。APの配信で「死の行進」の証拠写真として歴史的に有名な一枚となった。
APは今回「死の行進」で生き残った元米兵の証言から約6カ月間に及ぶ調査を実施。その結果、電説を「42年5月、死の行進で死亡した同僚の遺体を運ぶ米兵捕虜」と訂正した。検証記事によると、昨年8月、元米兵のジョン・ラブさん(87)=ニューメキシコ州=が地元紙で写真を見て間違いを指摘。APは写真の原板を保管している米国立公文書館に照会したところ、「行進ではなく、収容所の葬儀の写真」と書かれたメモが見つかった。さらにラブさんの証言を裏付けるほかの元米兵らの証言も確認され、訂正に踏み切った。
【バターン死の行進】第2次大戦中の1942年4月、フィリピン・ルソン島バターン半島で、日本軍に降伏した米軍捕虜やフィリピン人住民らが、100キロ余り離れた収容所に連行される過程で、日本軍に虐待されるなどして約2万人が死亡したとされる事件。戦後、マニラ軍事法廷で当時の司令官、本間雅晴中将が事件の責任者として有罪を宣告され、銃殺刑になった。
@こうした報道写真のいかがわしさは、近年になって南京虐殺、従軍慰安婦、強制連行などでも証明されているが、こうして戦勝国側の一方的な解釈によって世界中に配信された事は実に許しがたい。しかし一番の問題はこれを日本の朝日新聞を始めとする反日メディアが最大限に利用し、自虐史観を国民に植え付けてきた事であり、それらに対しなんら反論も検証もせず黙殺してきた戦後ポツダム政府にある。