さんたろう日記

 91歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジ持って残りの日々を楽しもうと思っている爺いです。

ふ~っとね「まほろばの道」を訪ねて見たくなりました

2015-12-08 | 日記
会津西部の山沿いにこんな広くて静かな道があるんです



そして道々のあちこちにこんな標識があるんです


 
まほろば街道(旧湯殿山道)とあります


 世間に疎い私は私達の町の山沿いにこんなすばらしい道があることなどしりませんでした。でも町主催の「町中ハイキング」に参加してこの道を遠い昔からあった古道に沿ってつくられた新しい道「まほろば街道」であることを知りました。


 「まほろば」なんかゆかしい美しい言葉のようです。、幼い日に学校で習ったような気がします「ヤマトは国のまほろば・・たたなづく・・なんとかなんとか」記紀の歌のところで習ったような気がします。ぼんくらのぼけ爺い、恥ずかしいですけどいくら考えてももよく良く分かりません。ネットのウィキペディアで調べて見ました。

やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし ...

古事記に収録されている倭健命(やまとたけるのみこと)の歌で「やまとは国々の中でも格別に優れた国だ。幾重にも重なる青々と木々の茂った山々。その山々に囲まれたやまとこそは本当に美しい国だ。」という歌の意で、皇子倭健命が景行天皇の命により、西に熊襲、東に蝦夷を討ちに行き、精根尽き果てた姿で鈴鹿の山にたどり着き、そこから故郷のやまとを望んで詠んだ歌です。とありました。

ああそうか「まほろば街道」それは道沿いに国の重要文化財の仏像や寺院がいっぱいあって、豊かで美しい山沿いの古道と言ううことでつけられた名前なんだということが分かりました。

「まほろば街道」は「八反道」ともいわれていた塔寺から赤留までの古道と、塔寺から宇内の舟渡しを通って喜多方に通じる「湯殿山道」と呼ばれていた古道に沿って新しく作られた街道なんですね。
 
(ネットで調べました)


「八反道」は越後から勝負沢峠を越えて会津西部の山沿いを通り日光に通じる重要な裏街道でしたし、「湯殿山道」は柳津から塔寺・宇内・喜多方を通り湯殿山に通じる信仰の古道だったんですね。

 「まほろば街道」は場所によって差がありますけどもほとんど車も人も通らない静かな街道です。それは「まほろば街道」がまだ完成していなくて終点の集落塔寺から2kmほどのところの杉の集落近くでが今工事中なんです。工事現場には立ち入り禁止です。車の列は工事現場の方の車です。


 もし工事が完成すれば越後街道の国道49号線からまほろば街道を通り赤留に通じるようになりますから車の往来も賑やかになると思います。

 私はまほろば街道の北の部分は散策を楽しんでいるんですけど、塔寺から南の道はまだ散策していません。どんな集落どんな寺院があるんでしょうね足を伸ばして大内峠を越えて大内宿までドライブしながら散策を楽しんできたいと思っているんです。楽しみです。

 ところで古道の「八反道」の由来について面白い言い伝えがあるんです。井関敬嗣先生の「会津坂下町の伝説と史話」から要約してみます。

昔「塔寺八反」とあだ名された泥棒の名人が塔寺にいた。この怪盗は物凄く足が速く、盗むとその日のうちに下野との国境の山王峠を越えて日光に行き朝市に出して金に換えて帰って来たといわれている。この塔寺八反はもともと盗賊ではなく、足早なところから飛脚を業としていたが、或る時山中で追いはぎに囲まれ脅かされた。その時彼は右によけ左に走り、前にいるかと思えば後ろで大笑いするという早業に追いはぎはほとほと降参し「是非私たちの親分になってほしい」と懇願されて大泥棒になったといわれている。

 塔寺八反の名の由来はものすごく足が速いので、八反の布をつないでその端を腰につけて走ると布は地に着かないほど早かったと言われている。なお栃木県今市から野沢にかけて、随所に似た様な名称があるので八反道は越後から会津裏街道を通って下野に至る重要な重要な道だったと思われる。

(小林吾浪画伯の挿絵です)


 なんかとってもおもしろいお話でした。いくらなんでも会津坂下町から日光の朝市で盗品を金に換えて日帰りするなどありえませんけどもね、昔の人は信じていたんでしょうか?
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