地球浪漫紀行☆世界紀行スタッフの旅のお話し

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石は語る~ロスリン礼拝堂の秘密

2010年01月20日 20時46分11秒 | イギリス
聖マタイに捧げられたゴシック様式のロスリン礼拝堂は
ウィリアム・シンクレア伯爵によって1446年に建てられました。
スコットランドの首都・エディンバラの南西約10kmに位置し、
現在に至るまで世界中から多くの巡礼者が訪れています。



十字型の内陣中央に高い塔を戴き、シンプルな建築物ですが、
未完のまま現在に至っています。
この礼拝堂を建てたウィリアム伯爵は、シンクレア家で
最後のオークニー伯をつとめる、代々ロスリンを受け継ぐ領主でした。
同時代の人々からは城、宮殿、教会建築の立案に優れた
並外れた才能を持つ貴族だと評されていました。

また、彼はスコットランド全域の石工職人の後援者でもあり、
1441年にはスコットランドの石工組をはじめとする
様々なギルドのグランド・マスターに任命されています。

この礼拝堂の建築は丁寧に進められ、建設、設計、装飾については、
彼が独自のやり方で徹底的に決定権を行使しました。
礼拝堂の設計は、職人がまずオーク材に描き、
それがウィリアム伯爵に承認されたのち、
それをもとに石が切られました。
また、彫刻も同様に一つ一つオーク材に下彫りをして、
承認が得られれば石に彫られました。
このように彼の厳しい監督は内部の一つ一つの装飾に至るまで行われたようです。

この礼拝堂には、他の中世の教会でも見られますが、
植物に覆われた顔面像「グリーンマン」と呼ばれる
ケルト時代の豊穣の恵みのシンボルがなんと100以上も施されていたり、
ロープで縛られ、逆さ吊りにされたルシファーや角の生えたモーゼ、
テンプル騎士団のシンボルとして知られるパテ十字や、バフォメット、
フリーメーソンのシンボルとして表される定規とコンパス、目隠しをした男性像、
そして五芒星、神秘主義思想の神ヘルメス・トリスメギストスなど、
非常に興味深い装飾に溢れています。
これほど珍しく、独特な装飾で覆われた教会は
世界広しといえどもこのロスリン礼拝堂だけでしょう。


(ロスリンのグリーンマン)

そして、この礼拝堂で最も重要で、伝説としても有名なものが、
礼拝堂主要部を区分する三本の柱
「親方の柱」、「一人前の職人の柱」、「徒弟の柱」です。

「施主から柱の模型を受け取った石工の親方は、
その技術とデザインがあまりにも見事だったため、
仕事に取り掛かるのをためらい、
まずモデルとなった柱を見ようとローマ、あるいは近辺の国へ出かけました。
親方が海外へ行って留守の間に、この柱を作ってみたいと考えていた徒弟は
早速仕事に掛かり、文句なしの職人技を発揮して
現在立っているこの柱を仕上げてしまいました。
戻ってきた親方はこれを見て嫉妬心にかられ、
自分がいない間に誰がこの仕事を手がけたのかと尋ねました。
そしてそれが自分の徒弟だとわかると激怒し、
その場で彼を小槌で殴り殺してしまいました。」

この奇妙な伝説の真偽のほどは定かではありませんが、
徒弟の柱は「ソロモンの柱」とも呼ばれ、
エルサレムのソロモン王が自身の神殿建設の際に
棟梁ヒラムに建設させた渦を巻くようなデザインが元になっており、
ここでもフリーメーソンとの関連性は注目に値するのではないでしょうか。


(徒弟の柱)

三本の柱のうちの親方の柱は「知恵」を、一人前の職人の柱は「力」を、
徒弟の柱は「美」を象徴しています。
「知恵」が組み立てを、「力」が支えを、そして「美」が装飾を表しています。
「知恵」は発見するため、「力」は耐えるため、「美」は心を惹きつけるためにあります。


(柱を見下ろす徒弟)

このように理想の基礎が三つに分かれているという考え方は、
秘儀参入者にとっても非常に重要なものです。
この三本の素晴らしい柱については、これまで数多くの解釈がなされ、
また高い関心が持たれてきました。
この礼拝堂は石に秘められた秘密の精神的見識と知恵の上に
築かれているという発想です。

スペインのサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼は、
各ヨーロッパ諸国からフランスを経由し、
コンポステラを最終目的地とするのが
一般的にキリスト教カトリックの巡礼路ですが、
神秘主義者等によると、サンチャゴ・デ・コンポステラを出発し、
トゥールーズ、オルレアン、シャルトル、パリのノートルダム、アミアン、
そしてロスリンへと辿り着く道を
「秘儀参入の巡礼」や「錬金術師の巡礼」などと呼び、
霊的な知恵を授かり、それを伝えていったといいます。

ケルトの時代、これらの土地はドルイド教の聖地で、
惑星のお告げを授かりながらイベリア半島からスコットランドまでの
三日月形の「真の道」を巡礼していました。
その後、同じ土地に古代ローマ人が自分達の神殿を建て、
またキリスト教もその成立後、同じ場所に教会や聖堂を建設しました。

これらの場所は古くから地球のエネルギーが強い場所で、
人体に影響を与えていたとも考えられています。
中世の巡礼者はヨーロッパでのスーフィー学の中心地であるスペインと、
フリーメーソンの思想の新たな活動拠点であるロスリン礼拝堂とをつなぐ
もうひとつの巡礼の旅をしていたようです。
(川崎 大地)


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