地球浪漫紀行☆世界紀行スタッフの旅のお話し

(株)世界紀行・スタッフのブログです。ブログ・タイトル『地球浪漫紀行』は弊社ダイレクトメール名です。

踊れない添乗員物語

2008年02月26日 09時24分11秒 | 添乗員のお仕事

キャビン・アテンダントさんのお仕事は、
立ちっぱなしで、御飯を配ったり、ビールを運んだり、
トイレを掃除したり、フライト前の準備も含め、
お忙しいのがよくわかります。

[かってにタイトルをパロってごめんなさい。
オマージュとお考えください。
CAさんのブログ、よく読んでいました。]

それに対して、添乗員の仕事はなかなか見えずらいですね。
ホテルや空港でチェックイン、
バスの中で歴史や注意事項の説明、
座席や部屋の公平な割り振り、
時間配分や手配の確認、
飲み物の注文など通訳的なことから自由行動のご案内、
お客様の体調管理や安全管理、そして盛り上げ役・・・・
う~ん、現地ガイドでもいいのかな?
と疑問も浮かびます。

そこで過去に自分が経験した添乗員の仕事を何回かに分けて連載したいと思います。
最初は「トラブル処理編」です。(照沼 一人)

添乗員のお仕事①「ツアーを現地で手配する」の1

以前、別の会社に勤めていたときのお話です。
1991年7月、ベトナム・カンボジアの旅に添乗しました。
内戦後、北海道から初のカンボジア募集旅行です。

当時、シュムリアプにはホテルは無く、
(旧グランドホテルに宿泊可能になったのはその秋から)
ちなみに舗装道路も観光バスも入場料も無く、
(当時9歳の妻はすでにアンコールワットでミネラルウォーターを売っていましたが・・)
当然、シュムリアプに国際線など飛んでおらず、
カンボジアのビザは、当時の人民党政府の大使館は、日本やバンコクにはなかったので、
プノンペン空港で到着時に取得する予定(それしかないという話)でした。


プノンペンの人口が17万人。
王宮はみすぼらしく、街はゴーストタウン。
シュムリアプの空港には週に2、3回、ポルポト派の砲撃がなされていたころです。

日程は、
千歳~バンコク[1泊]~ベトナム・サイゴン[2泊]~
カンボジアの首都・プノンペン[3泊]~バンコク[1泊]~ソウル[1泊]~千歳

カンボジアのアンコールワット観光の拠点・シュムリアプには、
おんぼろなアントノフ機でプノンペンから日帰りです。
シュムリアプでの車は、旧ソ連の市内路線バス。
空港から1時間、でこぼこ道を走るのに、座席がなく、つり革だけです。
もちろん、ベトナム行き直行便の飛行機は日本からは未だ飛んでいない頃です。


最少催行人員に達していなかったのでコストダウンのため、
予定していたサイゴン~プノンペン間の航空機をキャンセルして
(あとで考えるとこれがいけなかった)、ワゴン車で陸路移動することにして出発しました。
ツアー手配は東京やバンコクに(もちろん今はシュムリアプやサイゴンにも)拠点を持つ大手のA社。

(書類に書いていないので)出発前の確認
私「サイゴンからプノンペンまではガイドはいるのですか?」
A社「わかりません」
私「移動に一日かかると思いますが昼食は?」
A社「途中のローカルレストランです」
私「国境でもカンボジアのビザが取れるのですか?」(注:今は取得できます)
A社「と、思います」
私「バンコク~サイゴン、プノンペン~バンコクの航空券はどこで受け取りますか?」
A社「バンコクです」

東京の自分の本社に確認
私「(上のような)A社の説明なんですが・・」
本社「なら、いいんじゃないか」

現在でもA社は、ジャルパックやJTBの手配も手がける
東南アジアの手配で、最も信頼できる会社のひとつです。
このときもA社だからこそ、カンボジアへ行けたとも言えます。


さてバンコクに着いて、サイゴン行きの航空券を受取り、
(当時、日本では乗る人がいないので、運賃ルールもなく、
サイゴンやプノンペン行きの航空券は発券できませんでした)
帰りのプノンペン~バンコクの航空券を確認すると
「それはカンボジア側で用意しています」と担当者。

A社を経由してベトナムの手配はサイゴン・ツーリスト、
カンボジアの手配はプノンペン・ツーリズム。
ともに当時の唯一の国営旅行社です。

サイゴンに到着して英語ガイド君に確認すると・・・
①プノンペンへは運転手だけで行く、ガイドは国境までさえも行かない。
②国境でカンボジアのビザが取れるかは知らない。
 ベトナム人運転手のビザはいらない。(注:今は必要)
③昼食はベトナム側では用意していない。カンボジア側のことは知らない。
A社がローカルレストランというのなら、カンボジアのガイドが国境で待っていて、
手配しているのでは? でもレストランがあるとは思えない。

かなり想像していたとおりだ。
一晩、国際電話に挑戦したが、全くつながらずに徒労に終わった。
(つづく)

[注記]
もちろん、現在は各社とも辺境地域も慎重に手配しておりますし、
当時もカンボジアでなければ問題はなかったわけですが・・
当然、今はカンボジアもベトナムも、個人旅行の方でも目をつぶっていても行けます。
(照沼 一人)

写真は、同年秋に再訪したときのアンコールワットの中央祠堂にて。
食べられないのか孤児なのか、出家した子供がひとり。
観光客の姿も無く、アンコールワットもシュムリアプ全体も静寂に包まれていました。
(ときどきポルポト派の砲撃音あり)


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1 コメント

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スゴイ! (わしじゃ!)
2008-02-22 09:16:57
いつものことながら素晴しい文です。
早く続きを読みたい…

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