あの池上さんがだいぶん前、NHKのEテレで高校生に新聞の活用法を伝授する番組に出ていた。
薄っぺら党の党首を自認するあっしが、そんな番組に感化され実践するも、おかしな事になっていく、いつものバカ話を少々。
その時、池上さんは家で8紙位の新聞を購読していて、毎日その新聞をどう読んでいるのかという話だった。
1紙の新聞でも満足に読めてないあっしにすれば、ちょっと興味深い内容である。
もはや新聞の価値など無いに等しいあの頃も今も、こんな読み方があったのかと、目からウロコの極意が頂戴出来た。
池上さんが言う事にゃ。
まず、朝はそれぞれの新聞の見出しをざっと見て、目についた見出しに印を付けて置くだけ。
記事は深く読まないんですって。
さらに、池上さんが言う事にゃ。
その夜、諸々の用事を済ませ一段落した後に、朝印を付けた記事を切り取って、それぞれに分けて箱かなんかに入れ、保管して置くんだそうです。
ここでも、記事をそんなには読んでいない事がわかるね。
なんせ多忙な御方ですから。
師曰く、新聞は継続して一つの事件や話題を何日も載せているので、記事を貯めて置くのはその事件など、発端から結果までの流れや変遷を、後になって確認するのに都合がいいという。
テレビのニュースだけではカバーしきれない部分を、新聞で追う事も一つの要因であるらしい。
なるほどナと思った。
何につけペーパーなあっしは、ひとまず記事を読まずに貯めて置く。
という箇所にだけ、ビビッときた。
そうだ、無理をしてまで読まない選択。
後でまとめて読む。そこに共感!
新聞読むのって結構時間かかるからね。
早速真似しよ。
と、例によって、何か池上流とは目指す方向が違う風な所に行っちゃてねえ?
的な、あっしの怪しげな解釈が始まった。
それからは、世間が騒いでいる様な大きな記事はその場で極力片付け、その他の二軍みたいな記事はこれもこれもと、後で読む想定で次々に放置した。
とにかく後のお楽しみと、率先して後回しにしちゃったのだ。
記事を切って保管などもせず、印もしない。ただ積んでいただけ。
気づけばあっし流の活用術に成り下がり、池上さんからはどんどん離れて行ってしぃまった。
ある日、うず高くたまった新聞を見て、あっしの気力が何だか萎える。
あの話題を今さら読んでもなあ。
とか、もう興味ないしなあと、そんな本音が頭を巡る。
後回しという名の落とし穴。
現在出来てない事を、未来に出来る訳がない。
加えて元来の、横着とずぼらが輪を掛ける。
しかしだ、こんな収拾のつかない状態になってしても、まだほどほどに継続はしていたりする。休みが来れば、少しでも片付けようと老眼にムチ打つあっし。
スゴくね?
何でこの新聞とっていたの?と元を見失う事、しょっちゅう。
続きネタの新聞を棄ててしまった事も、しょっちゅう。
でもさ、新聞て真面目そうでちっとも面白く無さそうだけど、実は、変で不思議な話題もタマにあるからいいんだよね。
その辺りに魅力を見いだしているのかも。
池上さんは皆から一目置かれる人だし、新聞も普段はガッツリ読んでいるのかと思いきや、意に反し違っていたのが親近感。
でありました。