清運寺だより

ようこそいらっしゃいました。甲府市にある日蓮宗寺院の住職のブログです。日々の出来事、感想、行事などをご紹介します。

悼む気持ち

2013-11-06 14:41:05 | Weblog

昨日、甲府市の火葬場からの帰り、藤川沿いの道で交通事故にあった子猫に出くわした。

おそらく私の前を走っていた車がはねたのだろう。

その車はいったん停止した後立ち去ってしまい、道の真ん中に横たわる子猫をその場に居合わせた帰宅途中の自転車に乗った学生さんたちがどうしていいかわからず固まって見つめている。

私もすぐに車を止めて駆け寄ったところ、子猫はもうすでに息のない状態。

このままでは後続、あるいは対向車にひかれてしまう、ほとんど助かる見込みがないとはいえそのまま見過ごすことはできず、仕事着の衣のまま子猫を車に乗せて知り合いの動物病院へ。

病院に付いた時点で素人目にも助からないだろうことは見て取れる、しかし一縷の望みも捨てきれず子猫を動物病院に託して、そのまま仕事に戻った。

仕事が終わって動物病院に連絡したところやはり助からなかったとのこと。

野生とはいわないまでも、完全に人間に飼育されていない動物が成体になるまで生き残るのはなんと難しいことか。

子猫は三、四か月ぐらいで手足の部分だけが白く体は黒色、栄養状態は悪くはなさそうだがおそらく野良猫もしくは地域猫だろう。

傷一つなくまるで眠っているようなきれいな体だった。

獣医さんからはこのまま遺骸は市役所に引き取ってもらいましょうかといわれたのだが、それではあまりにかわいそうなので引き取ってこちらで供養することにした。

敷地の片隅に穴を掘り体に直接土がからないようにきれいなもので包んでカリカリとレトルトパウチの餌を入れ埋葬し、花を線香を供えお経を読んで弔った。

たとえ見ず知らずの動物とはいえ、ちゃんと供養しないと自分自身が納得できないという思いもある。

そう思うと、最近はやりの直葬を思い出す。

ただ火葬するだけなら遺体の処理でしかない。

そこに死者を悼む気持ちはあるのだろうか。

ちゃんと浄土へ送ってあげるのが人としての務めではないだろうかと。

そして、あの時どうしたらいいのかなすすべもなく固まって子猫を見つめていた生徒さんたち、きっと彼らは子猫をひいて逃げてしまった人への怒りとなにもできなかった自分に対してのふがいなさを感じていたのではないだろうか。

望むらくはその経験を踏まえて今度はあるいは大人になった時に率先して命を救うことが実践できる人になってほしい。

悼む気持ち、弔う気持ちを持ってほしい。

  ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 山梨県情報へ→ランキングに参加しています。悼む気持ちを忘れないでと押していただけると・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする