できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

全国学校事故・事件を語る会の大集会(全国集会)無事終了です。

2016-06-06 10:24:18 | 受験・学校

http://www.kobe-np.co.jp/news/kyouiku/201606/0009155878.shtml

(神戸新聞NEXT 2016年6月5日:神戸で学校事故・事件を語る集会 国の対応指針議論)

http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160605/5848051.html

(NHK関西ニュース 2016年6月5日:学校事故対応 指針めぐり意見)

あらためまして、日付が変わって昨日になってしまいましたが、全国学校事故・事件を語る会の2日間、ご参加いただいたみなさん、運営のみなさんにはたいへんお世話になりました。

さて「針のむしろ」席と呼んでいるシンポジウムの基調報告の役を終えて、私はようやく、文科省「学校事故対応に関する調査研究」有識者会議での自分の「指針」づくりの作業がひととおり、終わったな、ということを実感しました。

まあ、有識者会議に居たときの自分の緊張状態が解けて、その分「もとの住友にもどった」といえばいいでしょうか

とにかく、いつものシンポジウムの「針のむしろ」状態の緊張感を持続したまま、東京まで2年間、ほぼ隔月1回ペースで出入りしていましたから。

なにしろ「住友1対10+文科省」くらいの緊張感で最初、東京まで通ってましたからねえ。

当初、自分以外の有識者会議の委員は、すべて文科省の決めた筋書きに何の疑問を持つこともなく、その路線を「容認・承認」するために居るようなもの、と思い込んでましたから。

でも、私は毎年の「語る会」に出て、被害者家族・遺族のみなさんの「しょうもない『指針』つくったら承知しないぞ」という思いと、「でも、わずかでもいいものができる可能性があるなら、それに賭けてみたい」という思いの両方をひしひしと感じている。そんな状況のなかで2年間、東京に通ってましたので。

でも、そんなプレッシャーや責任を感じていた有識者会議の委員、他にどれだけいたかしら?

だから、あえて私、議論の主導権を握るつもりで好き放題「先手必勝」みたいな思いで、毎回の有識者会議で口火切るような発言(それも、いちばん文科省に対してはきつい言い方)をしてきました。

また、その発言を受けて、ひとり、またひとり・・・という感じで、有識者会議の他の委員の発言が徐々に変わってきたことも、とてもありかたかったです。

そして、私にとっての最大の「援軍」は、やはり遺族(団体)ヒアリングで発言されたり、とにかく要望や意見を文書で送ってくださった当事者のみなさん。実際にはどこまでご意見を反映することができたのか、とても心もとないのではありますが・・・。また、何度も傍聴の形で参加された取材陣のみなさんですね。

この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

それにしても・・・。この2年間の有識者会議と「指針」づくりのプロセスで明らかになったのは、大学の研究者や各分野の専門家など「同業者」の頼りなさです。

他の分野はさておき、自分の領域である教育学でいいますが、「何人、今日のシンポジウムの議論を黙って1日、あそこに座って聴いていられるのか?」とか、「何回、語る会あるいは各地ででき始めているのか被害者家族・遺族の団体に続けて足を運ぶことができるのか?」と思ってしまいます。

本気で学校事故・事件研究やりたかったら、教育学の「同業者」は「まずは、ここへ出てこい。出続けろ」とまで思います。

それとともに今日の議論などでもあらためて思ったのですが、従来型の「危機管理」という発想をできるだけ早く捨てて、<重大事故・事件発生後、「亡くなった子どもと遺族」あるいは「深く傷ついた子どもとその家族」を真ん中に据えての学校というコミュニティの再生>という大きな視点、理念の軸みたいなものを持たない限り、今後の事後対応(事実関係の共有に向けた調査・検証と再発防止策づくり、被害にあった子どもとその家族・遺族対応、学校の他の子どもや保護者への対応、教職員への対応等々)のよりよいあり方は検討すらできないのではないかと。

そして、その大きな視点や理念の軸みたいなものがあって、はじめて当事者のみなさんと、さまざまな領域の研究者・専門家がどこに、どのように関わってくるのかということも描けるようになるのではないかな・・・なんて思ったりもします。

ちなみにこの点では、今日の帰り道に話した限り、数式と図形を描いてものを考える「理系脳」の内海千春さん(語る会の代表世話人のおひとり)と、ひとつのことばからいろんなイメージを膨らませて表現をする「文学部脳」の住友との間で、かなり一致しているような気がします。

ただ、内海さんが数式と図形で描いたり捉えたりものを、読み物や話しことばで翻訳するというのか、あるときは小説やドキュメンタリーで、あるときは詩で、あるときは論説文で、またあるときは落語や講談で、場合によれば短歌や川柳で・・・と、多様なことばの表現にしていく必要性は感じますけど・・・(笑)

そして、この重大事故・事件発生後の「学校というコミュニティという再生」という課題へのチャレンジって、これこそまさに自治体の教育経営、学校経営の課題なんじゃないですかね。

だからこそ、教育学の「同業者」たちは、本気で学校事故・事件の問題を扱いたかったら、「まずは、ここへ出てこい。出続けろ」と思ってしまうんですよねえ・・・。でないと、いつまでたっても私、あの「針のむしろ席」から降りることができない・・・。




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