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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

調査委員会の「遺族推薦」委員に向く人・向かない人

2018-02-18 10:08:17 | 受験・学校

<仙台市いじめ再調査委員会>発言応酬で議事打ち切り 空中分解も 

(2018年02月18日日曜日、河北新報)

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201802/20180218_11009.html

この件について、ひとことだけ記事からわかる範囲でいえば・・・。

そもそも私の目から見ますと、「遺族選任委員」として候補にあがる研究者・専門職のなかには、「この手の調査委員会に入っても大丈夫」というタイプと、「この手の調査委員会に入ったらかえって混乱を増すだけ。むしろ入るのはやめておいたほうがいいタイプ」がいます。

私のところに遺族・家族やその代理人から人選について意見を求められて、具体的な人の名前があがってきたら、そのあたりのこと、わりと「はっきり」と私、言うようにしています。

たとえば訴訟での原告弁護団支援とか、あるいは市民運動的なかたちでの遺族・家族支援、そして新聞・雑誌・テレビやインターネット上で発言するのときの「ものの言い方」と、こういう調査委員会のなかで動くときの「ものの言い方」とのちがいがわからないタイプの人は、たとえ遺族・家族サイドで日頃、動いてくれる人であっても、それは「委員会の外」で動くタイプであって、調査委員会の委員には「向かない」タイプの人だと思っています。

それこそ、遺族・家族の願っていることは、本来は調査委員会の出す報告書のなかで、たとえば委員会として把握した事実経過の記述やその前提となる調査・検証作業、あるいは調査結果に対する委員会としての判断、そして再発防止策の提言といった文章の記述のなかで、学校や教育行政の関係者が「わかりました。この報告書の内容に納得します。なので、その再発防止策もがんばってやります」と言わざるをえない形で実現すべきものです。

また、それを実現する方向で、遺族推薦で入る委員は調査委員会の活動を通じて他の委員、そして学校や教育行政を辛抱強く説得して、粘り強く動かなければなりません。また、そのためには時として、こちらの言いたいことをしばらく控えて、最もこちらの言いたいことを周囲が理解してくれそうな、そんなタイミングをまって発言することが必要な場面もあります。

だから、この手の調査委員会に入る委員、特に遺族推薦の人は、たとえば学校や行政の「外」で訴訟支援や市民運動をやっているときのように、好き勝手に、思いつくままに発言するわけにはいかない場面が多々でてきます(それがやりたかったら、むしろ委員にならずに「外」で言いたいことを言ったほうがいいのです)。

そのかわり、その調査委員会において遺族推薦で入るような人は、「何かものを言うときは急所をおさえて、一発で相手を仕留める。そのあとは全部、こっちのペースにもっていく」くらいの精度で発言していく必要があります。また、報告書の文章を書くときも、そのくらいの覚悟でやらなきゃいけない場面も多々でてきます(だから学校や行政の「外」で威勢よく遺族・家族支援でものを言う人が、必ずしも調査委員会の委員(特に遺族推薦の委員)に「向いている」かというと、「そうとも限らない」わけです)。

変なたとえになりますが、調査委員会の報告書で学校・教育行政に全面的にダメだしするときは、それを書く委員には、宇宙戦艦ヤマトが1発、波動砲を撃ってガミラス艦隊を壊滅させるくらいの精度・覚悟がいるんですよね。

ほんとに、波動砲を1発撃つまでに、ガミラス艦隊の猛攻をうけつつ、ヤマトの艦橋で沖田艦長や古代進、その他もろもろのクルーが、どれだけ辛抱してタイミングをはかっているか・・・。

「そのあたりのこと、わかっていてやったのかな・・・。わざわざ関西から仙台まで出向いて行って、あんた、なにしてるんだ?」と、この件については思いました。

 



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