できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

昨日の講演会で話したこと

2012-11-17 09:41:33 | 受験・学校
昨日、大阪の弁天町で、国際人権規約連続学習会がありました。ここで「いじめ問題を子どもの人権の視点から考える」というテーマで、私が講演をしました。この講演会ですが、だいたい、こんなことをひととおり話しました。

<はじめに>
だいたい最近、マスコミ(新聞・テレビ)の取材を受けるたびに私が話しているのは、こんなこと。

(1)子どもの人権論の視点から見たいじめ・自殺の問題。
子どもの権利条約にいう「生命への権利」の最大の侵害だし、国連子どもの権利委員会からも3回も勧告受けてるし、自殺対策基本法もあるし・・・。政府・自治体として防止策をきっちりとらなきゃいけないでしょ、ということ。そのためには事実経過を検証して、実効性のある防止策とらなきゃいけないでしょ、ということ。なにしろ政府の自殺対策でも「社会的要因」とか「追いつめられた末の死」とかいうんだから。

(2)学校で子どもを亡くした遺族たちの側から
「なぜ我が子が死に至ったのか、その経過を知りたい」という強い願いがある、ということ。でも、それが裏切られ続けてきた経過もある、ということ。我が子の死で傷つき、それ以後の対応で傷つき、二度も傷つき、遺族は孤立している傾向にある。でも、遺族の願いは、(1)で書いた経過の検証など、子どもの人権論が求めていることとも重なるはず。

(3)2011年6月の文科省通知をめぐって
文科省も自殺対策基本法が出来て以来、調査研究をすすめてきて、自殺防止の手引きみたいなものをつくってきた。その調査研究のヒアリングのなかで、遺族側の要望を聞いた。その結果でてきたのが、子どもの自殺事案(疑いを含む)が生じたときに、学校や教育行政が遺族と協議しながら調査をすすめることや、第三者委員会の設置に関する通知。
でも、その通知の趣旨を曲解したり、その通知のとおりに動かない自治体教委もある。
その一方で、その通知の趣旨どおりに動くと、検証のなかで、学校側の子ども理解のあり方、子どもたちの人間関係のあり方など、生徒指導や人権教育などの面での対応の問題点がいくつか見えてきた。
こうした検証の結果をふまえた防止策をつくることが大事。だから、遺族の願いにこたえようと努力する自治体教委・学校ほど、防止策は進むのではないか。

(4)文科省のいじめ・自殺防止策について
文科省もこの間、いじめ防止についてはいろんな通知を出してきた。「いじめを許さない」学校の雰囲気づくり、ひとりひとりの子どもへの教職員の理解を深めること、教育相談体制の充実、出席停止措置の適用、家庭や地域社会との連携、などなど。また、自殺防止についても、教職員向けの手引きやリーフレットの作成なども行ってきた。
でも、こうした文科省のもとめるところが、はたして自治体教委や学校現場にまできちんと周知されて、現場に受け入れられて、実施されているのだろうか。また、そもそもこうした取り組みは、過去の事例に照らして、妥当なものなのか。さらに、肝心の子どもや、子どものそばにいる保護者たちからは、どのように映っているのか。そして、こうした取り組みを学校現場が積極的に取り組めるよう、教職員の配置などの条件整備は適切に行われているのだろうか。

(5)学校への警察介入をめぐって
たとえばいじめのなかに恐喝や暴行など、被害が深刻なケースがあって、被害を受けた子どもや保護者が警察に通報するケースもあるだろう。警察介入も一定、被害を受けた子どもの側に立ってみれば、やむをえない場合がある。
と同時に、警察が介入して捜査をするからということで、学校や教育行政が何もしなくていいということにはならない。警察の捜査の観点と、学校や教育行政が被害を受けた子ども、加害者になった子ども、周囲の子どもに教育的に取り組むべき課題を明らかにする観点は、おのずから違うはずである。やはり、学校・教育行政として、自分たちが何をすべきかを考える上でも、警察がたとえ介入しても経過の検証はすべきである。
このほか、不利な自白を強要されないとか、警察の捜査などに対する子どもの防御など、少年警察活動に対する子どもの人権についての啓発も重要である。そういう準備を、日本の学校はしているのか?

(6)「いじめ防止条例」をめぐって
いじめ防止条例を作ろうとする自治体が出てきているが、その趣旨や中身を検討しなおす必要がある。
今、できている条例を見ると、「これはあなたたちの責任で解決しなさい」「あなたたちの問題」と言って、条例を定める議会や首長が、一番しんどいことを子どもや保護者、学校現場に丸投げしているかのような印象がある。
「学校の責務」「保護者の責務」「子どもの役割」などを規定するのではなくて、もう少し「子どもの権利条例」的なものにして、当事者である子どもやその周囲に居る保護者、学校などを積極的に支援する条例にしていくこともできるはず。なぜ、そちらの道はとらないのか?

<おわりに>
子どものいじめや自殺の問題から浮かび上がってくるのは、我々教育学の研究者や現場教職員、教育行政職員、カウンセラーやソーシャルワーカーなどの子どもに関する専門職の人権感覚の問題。しんどいかもしれないが、我々の至らない部分と向き合っていくことしか、状況は改善されない。
遺族の願いに沿って事実経過を検証し、再発防止策が作れるかどうか。しんどくても、そこをやらないといけない。
再発防止策づくりにあたっても、子どもや保護者の意見を聴きながら、「権利基盤型アプローチ」で作っていく必要があるだろう。


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