できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

学校事故・事件の被害者・遺族対応問題に関して

2010-06-05 00:04:34 | 受験・学校

あしたから1泊2日の予定で、神戸市で「全国学校事故・事件を語る会」の年1回の大集会が開催されます。私はこの何年か続けて、この大集会に参加してきました。また、去年からはこの会の事務局打ち合わせや、隔月1回ペースの小集会(例会)にも参加するようになりました。

この会に参加するなかで気づいたことは多々あります。また、あらためて学校・教育行政側からの事故・事件発生後の被害者・遺族への対応の問題や、学校事故・事件の防止策のあり方について、いろいろと意見を述べなければいけないと思うようになりました。

まぁ、結論から先に言えば、基本的に今まで日本の学校や教育行政当局は、過去に起きてきた学校内での事故・事件から何か教訓を得て、再発防止に向けて役立てていこうとする姿勢に乏しかった、ということ。だから似たような事故・事件が繰り返し起きていて、似たようなパターンを経て被害者・遺族の悩みが深まっている、ということ。この2つに集約されるのですが。

そんななかで最近、次のような文章に、学校事故・事件関係の文献を読む中で出会いました。参考までに以下のとおり紹介しておきますが、「これが事故・事件発生時に、学校・教育行政側にたってものをいう専門家の立場だし、正直なホンネなんだろうな・・・・」とあらためて思いました。

※以下の青字部分については、福岡県臨床心理士会編『学校コミュニティへの緊急支援の手引き』(金剛出版、2005年)p.235~236を参照。

学校の管理責任下での事件・事故によって、児童・生徒が亡くなったり大きな被害を受けた場合は、学校が直接保護者から強い攻撃を受ける可能性があります。弔問や見舞いに伺うことすら拒否されることもあります。大変辛い状況ではありますが、学校としては親族や地域の人々など保護者との間に入ってくれる人を通じて、誠実に学校としての姿勢を示し続けることが求められます。

保護者や親族から一方的に学校の責任を追及されるような事態もありますが、事件・事故の原因についてどのように伝えていくかについては、慎重な調査と協議が必要です。激しいやりとりの中で安易に保護者の言い分を認めたり、逆に本人や保護者の落ち度を指摘するようなことは、互いの傷を深くするだけであることを十分認識しておく必要があります。

このような場合は、後々学校の管理責任を問う訴訟が起こされることも視野に入れた対応が求められます。教育委員会、教育事務所には学校事故への対応を専門的に取り扱う部署、担当者が置かれており、学校はそれらの部署や担当者と十分協議しつつ対応を行います。
いずれにしても、事件・事故後に学校としてやるべきことを粛々とやり続けることが大切であることは、他の事件・事故の場合と同様です。

※以下の緑字部分については、俵正市『学校事故の法律と事故への対応』(法友社、2006年)からの引用。どのページからの引用かは、下記を参照。

児童生徒等に災害共済給付を受け易いようにとの思いから、報告書に学校側に責任があった旨記載する例があるが、被害者から賠償請求訴訟を提起された場合に、証拠として取り寄せられ、学校側にとって不利な証拠として利用されることがあるので、学校設置者は、報告書の作成に当たっては十分に注意する必要がある。(p.163)

学校事故の発生を知った場合、学校関係者は、迅速かつ適確に調査を実施し、正確な事実関係の把握と原因の究明に努め、学校側の責任の有無を判断し、その結果を踏まえて、被害者やその父母等に対し適切な対応を行わなければならない。(中略)

また、被害者が学校側との交渉を申し入れてきた場合、学校側としては、拒否することなく、相当の対応をしなければならない。しかし、十分な説明を尽くしたにもかかわらず、自今責任を学校側に押しつけようとする執拗な交渉の申し入れがあった場合は、学校側の把握した事情と事故の責任についての見解は、すでに説明したとおりである旨を回答し、交渉の申入れに応じないこととするのが相当である。(p.165~166)

子供が負傷し、又は死亡したという場合に、学校関係者が遺憾の意を表明することは、当然である。しかし、学校関係者が責任を認め、謝罪をすることについては、慎重でなければならない。(中略)損害賠償責任の成否の問題とも関係するため、そのような行為は必ずしも適切ではない。(p.166)

この2つの文献からの引用からも明らかかと思いますが、事故・事件発生時に学校・教育行政側のサポートに入る臨床心理や法律の専門家は、「訴訟」になったときの「法的責任」がどうなるかということを意識しながら、事故経過や発生原因に関する情報を被害者・遺族に対して開示する・しないを決めて動いているわけです。

しかし、そのような専門家の動き方や、その専門家にアドバイスを受けながらの学校・教育行政の動きに対して、被害者・遺族の側は、たとえば「どうしてわが子がここで死ぬことになったのか、その経過を知りたい」「事実を明らかにしてほしい」と願うわけです。そこから、繰り返し学校や教育行政当局に事実確認を迫ったり、なかなか明らかにならない事実を知る術が他になくて、たとえば公文書公開や訴訟等へと至る被害者・遺族が出てくるわけです。

その一方で、『学校コミュニティの緊急支援の手引き』と先の引用文献が名づけられているように、被害者・遺族以外の学校関係者(他の子ども・保護者、教職員など)に対しては、「一日も早い平常の秩序の回復」という観点から、教育行政当局あたりから「心のケア」等々の支援が入るわけですね。被害者・遺族が「わが子がなぜ死んだのか、それが知りたい」と願い、事実をどう受け止めていいかわからずに呆然としたり、悲しみのどん底に落ち込んでいる間に、です。そして、「一日も早い平常の秩序回復」が目指されるウラで、被害者・遺族が逆に孤立感を深めていく・・・・。このようにして、被害者・遺族が、単にわが子を亡くしたという悲しみに直面するだけでなく、その後のプロセスにおいて、心理的においつめらていくわけです。

こうした学校事故・事件に関して、被害者・遺族の側の抱えている諸課題について検討する場が、今のところ全国学校事故・事件を語る会など、その当事者たちが集まる数少ない団体くらいしかない。それが、日本の学校事故・事件に関する諸問題の現状です。

なお、このことについては、このブログで定期的に情報発信をしていきたいと思います。また、あした・あさっての集会の様子についても、このブログもしくはもう一つの日記帳ブログのどちらかにて、何らかの形で紹介したいと思います。今しばらくお待ちください。

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