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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

条例「廃止」をむかえて今、思うこと。

2007-03-17 10:40:43 | 新たな検討課題

とうとう、2007年3月15日(木)の大阪市議会で、大阪市の青少年会館条例の「廃止」と、それを前提にした2007年度の青少年施策関連の予算案が決まりました。

今までこのブログや他の場面などで、いろんな理由をあげて「こういう施策のあり方はおかしい」といい続けてきた私にとって、この決定が到底、納得できるものではないことはいうまでもありません。ただし、今年2月にこのブログのタイトルを変えた段階から、こういう結論が大阪市議会において出されるであろうことは「想定内」の出来事でしたので、たいして驚いてもいません。「とうとう、ほんまにやりよったな」というだけのことです。

さて、いよいよ既存の青少年会館事業の「解体」が決まったわけですから、ここからが大阪市の今後の青少年施策づくりの正念場、ということになります。

はっきりいいますが、今まである施策を「解体」するのは、いくら「抵抗勢力」というべきものがあれこれ出てくるとはいえ、新しい施策をつくるのに比べてみたら「簡単」なんです。「そんなもん、今あるものをぶちこわすだけ」ですから。

要するに、「そんなんやめとけ!」「これ、つぶしてどうなるねん?」「この施策、ほんまは大事やねんぞ!」というような反対の声には一切耳を貸さず、「とにかく、全部白紙にもどすまでつぶしたる!」と強引に動けばいいだけのことですから。

しかし、今まである施策をぶちこわして一旦、更地にした上で、現在の状況にマッチした施策をつくっていくのは、大変な労力と手間がかかるものです。今ある施策だって、今ある形に至るまでには、試験的事業の実施からさまざまな試行錯誤を経て、ようやくある糸口からなら市の施策になりうるというものを見つけて、ようやくできあがったものです。そして、一度枠組みができあがってからも、その枠組みをくり返しくり返し手直しして、その時々の現状に沿う形で作り直して、維持・向上をはかってきたものなのです。

大阪市の青少年会館事業も同じで、私は「ほっとスペース事業」が入り口になってこの数年間、青少年会館での仕事とかかわってきましたが、4館でその試験的な事業を開始してからこれを12館全体で展開するに至るまで、確か3年~4年近くの月日がかかっています。その間、くりかえしくりかえし私のほうから、現場職員の人に「課題のある青少年支援」を社会教育施設で行うことの意義や、そのために必要な実践的なノウハウを説明したり、あるいは、事業開始後もケース会議などで何が大事なのかを語ってきたりもしました。

また、大阪市教委や教育振興公社の方とも、この事業のスーパーバイザー的に関わってくださった専門家の方とも、例えばこの事業の維持向上のために何が必要なのか、全市的な青少年施策の枠組みのなかでこの「ほっとスペース事業」はどう位置づくのかなど、いろんな話し合いを積み重ねてきました。

さらに、「ほっとスペース事業」にかかわるNPOのなかには、もともと私が大学院生時代からお世話になっていた団体もありますが、あらためてこの事業のいろんな場面で話し合い、彼ら・彼女らのノウハウなどからあらためて学ぶことも多々ありました。

そして、こういう事業展開が可能だったのは、青少年会館の「ほっとスペース事業」に行ってみようと思う子どもたちと、そこに通わせてみようと思う保護者たち、学生や地域住民のボランティアさんたちの協力があってのことです。

また、あらためていうまでもなく、1970年代の青少年会館の設置以来、近隣地区の「課題のある子どもたち」をいろんな場面を通して受け入れ、青少年育成のために尽力してきた人々のあゆみがあったからこそ、「ほっとスペース事業」もその青少年会館の「伝統」にうまく接続する形で位置づくことができたのだと思います。

そういった、子どもや保護者、地域住民、学生ボランティア、青少年会館の現場職員やNPO、市教委や教育振興公社の職員、他分野の専門家の方など、いろんな人の思いとノウハウ、努力の蓄積によって、「ほっとスペース事業」が何年もかけて準備・実施されてきたわけです。

このような青少年会館での「ほっとスペース事業」の展開に、「市民と行政のパートナーシップ」による「新たな青少年施策の創造」ということを見るのは、私だけでしょうか。あるいは、「地域住民とNPOと行政がいっしょになって、子どもや保護者にとってよい施策をつくろうと努力してきたあゆみ」を、大阪市の青少年会館事業に見ていくことだってできますが、それについて、大阪市政の上層部や市議のみなさんはどう考えるのでしょうか。

大阪市の各地域の住民やNPOの「創造性」というものは、日々、いろんな悩みをかかえながら暮らしている子どもや保護者の「生活の場に根ざしたとりくみ」のなかで発揮されてこそ、ほんとうに「都市再生」へとつながっていくのではないでしょうか。

あるいは、社会教育・生涯学習や文化施策、人権施策、児童福祉・障害者福祉・高齢者福祉の分野などにおいて、大阪市の現場第一線職員の人々が、各地域の住民やNPOの人々を見ながら考えたり、やってみようと思ったりする取組みのなかに、ほんとうに「都市再生」につながる「創造的な営み」はないのでしょうか。

少なくとも私は、大阪市内の各地域の住民やNPOのみなさん、大阪市の現場第一線職員のみなさんが持つ、「生活の場に根ざした創造性」というものを信じます。そして、それを支え、励まし、それが充分に発揮できるような環境を整えることこそ、これからの青少年施策に限らず、大阪市の施策全般にわたって必要なことだと考えます。

このことを、青少年会館条例「廃止」を迎えた今、あらためて、このブログを通じて訴えたいと思います。


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当面、仲間のみなさんにお願いしたいこと

2007-03-15 10:59:20 | 新たな検討課題

それから、このブログをどれだけみている「仲間」の方がいるかわかりませんが、当面、みなさんに「お願い」したいことがあります。それはだいたい、次のとおりです。

まず、今の大阪市議会の状況から考えると、このままでいけば大阪市の青少年会館条例は「廃止」となり、青少年施策に関する枠組みも予算も、大阪市は「子ども青少年局(仮称)」の設置により、大幅に変更されることになります。そのことは、前々から書いてきたように、私としてはとても納得のいくものではありませんが、現実に今起きていることととして理解して、その現実に沿った対処を考えていくしかありません。

と同時に、先ほどの書き込みでも少し触れましたが、「今まで青少年会館があること」によって支えられてきた子どもや保護者、周辺地区の住民の暮らしが、今回の措置に伴って、さまざまな変化を生じてきます。そのなかにはもちろん、いい面での変化もあるでしょうが、私の予想では、支障をきたすようになる方向での変化が多々あると思います。

そこで、ここからがお願いなのですが、すでに「廃止」を前提にして現在、12館ある青少年会館ではいろんな事業の「しめくくり」への対応が行われていると思いますが、その段階から見えてきた子どもや保護者、周辺地区住民の生活上の変化について、例えば「ここはかえってよくなった」「こういう面で困っている」「こういう点で先が見えなくて不安だ」など、できるだけ具体的に何がどう変わっているのか、みなさんの「声」を集めてください。

このとりくみは、利用者団体ができているところであれば、その団体がやればいいでしょうし、今、青少年会館にかかわっているNPOの人たちであっても、現場職員の人であってもかまいません。あるいは、こういう声を集約するグループを独自に立ち上げてもいいと思います。まずは、どんな変化が起きてきているのか、現状をきちんと把握するところから、今後の対応をいっしょに考えていきましょう。


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課題のある青少年支援の総合プランは必要

2007-03-14 11:50:13 | 新たな検討課題

ようやく少し、体調も回復してきて、ブログにも書き込むゆとりができてきたので、そろそろ復活します。

今頃はおそらく、大阪市議会において、青少年会館条例の「廃止」案が2007年度予算案といっしょに審議されている頃でしょうか。両方とも可決・成立を回避するのが難しい状況にあることは百も承知ですが、少なくとも条例「廃止」案の可決・成立に協力した市会議員のみなさんには、「このあと、大阪市内の青少年施策がいろいろ混乱したときには、みなさんの判断も本当にこれでよかったのかどうか、市長側、あるいは市役所や市教委側とともに問われてきますよ」ということを、あらためてここで言っておきたいと思います。

と同時に、近々、大阪市議会議員の選挙がありますが、そのときに、大阪市の青少年施策について、各市会議員候補が何を言っているのか、投票権のあるみなさんはよく見ておいたほうがいいでしょうね。少なくとも、「教育と福祉の○○」とか、「子ども施策の充実」とかいろいろ選挙に際して各候補はいうでしょう。でも、その各候補が条例「廃止」案や青少年会館に関する議会でのやりとりでどういう態度をとってきたのか。大阪市議会の会議録検索システムを使えば、どういう発言をしたのかが現職議員であれば検索可能ですので、一度、確かめてみてもいいのではないでしょうか(もちろん、最新の会議録は検索システムでもデータが更新されていない場合があるので、分からない部分がどうしても残りますが)。

それはさておき、昨日は大阪府下某市の人権文化センターで、「課題のある青少年支援」をどういう枠組みで今後すすめていくかについて考える学習会があって、私が講師で呼ばれました。そこで、自分の昔(特に大学院生時代)から今に至るまでの、研究の世界というよりは、具体的に「不登校」の子どもたちとかかわったり、子どもの人権救済・擁護などに関する実践活動のあゆみを、あらためてふりかえって話をしました。

そこで話をするなかで、私が社会教育施設での課題のある青少年支援の枠組みづくりにこだわり、さらにそれを各自治体レベルでの総合的な子ども育成計画のようなもののなかに位置づける必要があると感じてきたのは、まさに、実践活動の現場で、子どもや保護者、NPOや地域の人々、そして行政職員や学校の教員など、いろんな人たちのもつ可能性と限界の両方を「身をもって知る」という経験をつんできたからだ、ということにあらためて気づきました。

つまり、自分の経験してきたことを通して、例えば、民間団体や個人のレベルで動けること・動けないこと、行政機関や学校のレベルで動けること・動けないこと、現実的な個々の子どもからみえてくる諸課題など、いろんな要素を整理していくと、「いますぐ動く力のある民間団体や個人を、行政機関や学校などの公的部門がサポートしながら、現実的な子どもの諸課題に対応していく枠組みの共有」ということが、とても重要な意味を持つことに気づいたのです。

そして、そのプランを描くときに、私がいちばん今まで参考にしてきたものであり、今まで経験してきたノウハウをつぎ込んできたのが、大阪市内12館の青少年会館でやってきた「ほっとスペース事業」だったんだなぁということを、昨日、学習会で話すなかで、またあらためて感じました。

「いますぐ動く力のある民間団体や個人を、行政機関や学校などの公的部門がサポートしながら、現実的な子どもの諸課題に対応していく枠組みの共有」という課題。これはまさに、大阪市の青少年施策が直面している大きな課題であると思いますし、来月には発足する「子ども青少年局(仮称)」が早急に取り組むべき課題でもあると思います。これからしばらくは、このことについて、私の思うところを、本業との兼ね合いをみながら、このブログで情報発信していきたいと思います。


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本当にこのままでいいのか?

2007-02-28 10:42:25 | 新たな検討課題

昨夜無事、家族旅行からもどってきましたが、さすがに秋田県の山奥と関西圏だと気温差がおおきいので、風邪を引いてしまいました。その分、ちょっと休みながらこのブログの更新作業などを行っていきますので、更新が途切れることがあるかもしれません。その点、どうかご理解ください。

さて、我が家に戻ってきて、昨日の朝日新聞夕刊を見てびっくり。大阪市教委の「人権教育企画室」がこの春からなくなってしまうとか。一連の「施策見直し」の文脈で、今まで青少年会館条例の「廃止」や大阪市の青少年施策のあり方について、このブログで私は論じてきましたが、それはどちらかというと、いわゆる「社会教育・生涯学習」の領域でのこと。この「人権教育企画室」をなくすということは、いよいよ「施策見直し」の流れが「社会教育・生涯学習」の領域にとどまらず、「学校教育」の分野まで押し寄せてきた、ということのようにも読み取れます。

さて、私はあくまでも自分の立場からですが、この間の大阪市の「施策の見直し」と、これに対する「反対」や「異議」の声をあげる動きの両方を見てきました。そこでずっと思ってきたのは、今現在、例えば青少年会館や人権文化センター、高齢者施設などを利用している人々、地元住民、そしてNPO関係者、各施設の職員や地元の解放運動関係者などが声を挙げているわりには、今まで大阪市の人権施策などにかかわってきた研究者サイドからの声の挙げ方があまり目立たない、ということ。

実は正直にいうと、大阪市の「施策見直し」のあり方についても、このブログ上で私なりの意見をあれこれ述べてきましたが、同時に、今まで施策を含めた人権施策づくりに携わってきた研究者に対しても、「これで本当にいいのか?」と私は思っています。

なぜなら、自分が何か信念をもって施策づくりにかかわってきたのであれば、今回の大阪市の出している方針に「納得がいかない」とか、「おかしい」とか、いろいろ言いたいことって出てくると思うんですよね。

私がこの間、いろんなことを言ってきたのは、ある意味で自分が大阪市の青少年会館での「ほっとスペース事業」に、現場職員や市教委職員、NPOのみなさんなどと一生懸命かかわってきて、ここまでいっしょに創り上げてきたのを、今の施策のような流れでぐちゃぐちゃにされたくない、という思いが出発点にありました。と同時に、「子どもや保護者、地元住民にとって、こんなぐちゃぐちゃな施策の流れをつくるきっかけを生んだ、不祥事の張本人たちも、私はきっちりと責任をとってもらいたい」とも思ってますが。

余談が過ぎたのでもとにかえりますが、こういう自分の立場からすると、大阪市の施策づくりや人権教育の実践等にかかわってきた研究者の立場であれば、きっと、文句のひとつやふたつ、言いたいこともあるのではないか、と思ったりもするわけです。

もちろん、一生懸命ものを言ったとしても、結果的にはこちらの言い分が通らない事態もありえます。しかし、本当に現場で活動している職員やNPO、地元住民の人、施策づくりで関わった担当の市職員の人、そして、今までの施策で支えられてきた子どもたちのことなどを考えれば、いろんな思いがおのずから出てしまうのではないでしょうか。少なくとも、私はそうでした。

今までは青少年会館条例の「廃止」や青少年施策の見直しということで、大阪市の取組みがすすんできました。これは「社会教育・生涯学習の領域でのこと」と、学校での人権教育にかかわってきた人々は、今までだったら避けてとおることもできたかもしれません。しかし、昨日の新聞報道のように、大阪市教委が人権教育企画室をなくす方向にまで一歩踏み出してきたとなると、今後は学校での人権教育だって、どうなっていくのかわかりません。

そうなったときに、今まで大阪市の学校での人権教育にかかわってきた研究者は、どう動くつもりなのでしょうか? 私はあえて今のうちから、「本当にこのままでいいのか?」と、関係者、特に研究者たちに、このブログを通じて発信しておきたいと思います。


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ブログの名称変更

2007-02-09 00:00:51 | 新たな検討課題

ここ数日、大学での業務が忙しかったので、ブログの更新をやめていましたが、そろそろ復活します。

ただ、この間、2007年度の大阪市の予算案が新聞等で公表され、青少年会館条例が「廃止」される前提で予算案が組まれていることがわかりました。

私は個人的には、今でも条例廃止提案には反対です。「こんなもん、めちゃくちゃや」と思い、このブログでも、自分の反対する理由をいろんな形で述べてきました。しかし、ことここに至っては、条例廃止反対を引き続き訴えつつ、もしも廃止されたらその後どうするのか、ということも考えていかねばならない状況に至ったと思います。

そこで、ブログの名称を思い切って変更し(ついでにレイアウトも刷新し)、今後の大阪市の青少年施策がどうあるべきか、今はどうなっているのかを、青少年会館の条例廃止問題も含め論じていくことに、このブログの運営の方向性を切り替えようと思います。

特に、先日、大阪市内の某青少年会館で活動中のNPOの方に出会いましたが、明らかに青少年会館がなくなるという話を知ってから、子どもたちの間に動揺がはしっているとのことでした。なかには、「このまま放っておくと、とりかえしのつかない状態になりそうだ」という子もでてきそうだ、というような話もありました。

そんな現状をふまえると、やはり、たとえ青少年会館がなくなったとしても、そこが従来担ってきた子どもの居場所づくり活動や、子どもの育成のための地域でのネットワーク活動、多様な体験学習活動、悩みを抱えた子どもたちの「駆け込み寺」的な活動、識字教室や人権学習の取組みなど、多様な青少年社会教育活動が、引き続き大阪市内において何らかの形で展開される必要があるわけです。それがなくなっては、大阪市の子どもたちにとって、さまざまな弊害が現れてくると思われます。

したがって、青少年会館が担ってきた機能をもう一度ふりかえりながら、それを発展的に全市展開し、さらに拡充していくような施策の構想がなければ、大阪市の青少年施策は当面の間、混乱に陥るとしかいいようがありません。そういうことに対して警鐘を鳴らす意味でも、私はこのブログ、名称やレイアウトを変更しても継続していきたいと思います。今後とも、どうぞよろしくお願いします。


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シンポジウム報告3(終わり):今の青少年施策の動向から

2006-11-26 12:54:27 | 新たな検討課題

11月13日(月)に行われた「市民の会」主催イベントの報告も、これで3回目。この日は、大阪市のこれからの青少年施策を考えるというのが基本的なテーマで、そのなかに大阪市立青少年会館の存続問題を含めて考えていくという方向性で、私も講演内容を組み立てていました。

このイベント報告も、1回目が市長方針案が強行されたときに生じうるであろう「混乱」の問題、2回目が市長方針案を導入するまで・導入して以後の経過の問題点を指摘しましたので、今回は3回目として、今後の大阪市の青少年施策を考える上で青少年会館事業はどう位置づくのか、という話をして、そろそろしめくくることにしましょう。

まず、今の日本政府の青少年施策を考えるときに、「課題を抱える青少年支援」は、最重点課題のひとつです。そのことは、内閣府の出した「青少年育成大綱」(2004年)を見てもらえればわかります。フリーター・ニートといった若年層の就労支援や社会参加に関する問題、不登校・ひきこもり経験者、「障害」のある青少年などへの支援、非行傾向のある青少年への立ち直り支援、ひとり親家庭の子どもへの支援など、多様な「課題」を抱える青少年への社会的支援の必要性が、この「青少年育成大綱」にもりこまれています。

しかも、その多様な「課題」を抱える青少年への支援を、行政と民間の役割分担や、NPO、地域住民や保護者の参加、当事者である青少年どうしによるサポート、教育・福祉・医療・心理・労働などの各分野の連携などによって行うことも、この「青少年育成大綱」ではうたわれています。また、学校での学習についていけない子どもたちへのいわゆる「学力」保障的な取組みも、この「青少年育成大綱」のなかには含まれています。

次に、学校外の青少年の居場所づくりや、子どもの学校外活動の充実といった方向性、さらにはその学校外活動での行政と民間のパートナーシップ、NPOや民間団体の積極的な取組みと行政によるその支援という方向性は、1990年代以来の日本の教育改革が目指してきた方向性ではなかったのでしょうか。

特に、90年代の社会教育・生涯学習関係の審議会でも、社会教育行政が今後、民間団体などとのパートナーシップを構築すること、学校や首長部局との連携に勤めること、地域づくりにとりくむこと、などがうたわれています。また、学校週5日性への対応や家庭教育支援の重要性といった課題に対応する社会教育行政の必要性も、これらの政府審議会で主張されてきたことです。

とすれば、今、大阪市の青少年施策のなかで、政府レベルで考えている青少年社会教育の方向性に比較的近い取組みをしているのは、実は市立青少年会館である、ということがいえます。そして、大阪市の今の行財政改革や10月の市長方針案は、こういった観点からの既存の青少年施策の検討は行わずに、ただ財政面でのコスト削減や、あるいは、青少年会館がかつて「」施策で建てられたという点のみだけを見て物事を判断しているということがいえると思います。

これに加え、他自治体においても、例えば子どもや若者代表が企画作りから参加しての青少年施策・青少年関連施設づくり、子どもの人権尊重に関する各種の条例制定、子ども・若者の「居場所づくり」を核にした社会教育・児童福祉関係の施設運営のあり方の検討など、多様な取組みがすすめられつつあるところです。このような他自治体の先進的な取組みも、大阪市の青少年会館で今行われている各種活動の内容に近いところがあります。

このように見ていくならば、政府レベル・他自治体レベルでの青少年施策の目指すべき今後の方向性に、実は大阪市の青少年会館が比較的沿った事業展開をしていることがわかります。そして、あの「地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」ですら、8月末に出した「まとめ」で、今、青少年会館で展開している各種事業のうち、「課題を抱えた青少年の居場所づくり」「青少年の体験活動」「若年層の職業観育成・社会参加支援」の3つについては、「全市的に展開すべき事業」と認めざるをえないのは、こうした事情が背景にあってのことと思われます。つまり、今、青少年会館で展開している各種事業のなかには、他自治体どころか、日本全国で取り組んでしかるべきほどの「一般的な青少年施策」が含まれている、ということなのです。

だとしたら、そんな「一般的な青少年施策」をすでに展開している大阪市立青少年会館について、今、なぜ設置条例をなくし、各館施設のうちスポーツ施設部分だけに指定管理者制度を適用し、公募の上で民間に管理代行させるのか、私には理解に苦しみます。やらなくてもいい余計な改革を行って、本当に残すべき青少年施策を傷つけている、という風にしか思えないわけです。

そして、残すべきものを逆に傷つけ、台無しにするような方針案を大阪市長が出せるのも、今、大阪市立青少年会館が展開している諸事業にどのような意味があるのか、それが政府レベル・自治体レベルでの青少年施策とどのような関係があるのかなどについて、あまり十分な検討を行わなかったからではないのか、という風に思えてなりません。

何かにつけて改革、改革と連呼されている昨今ですが、私は「やらなくてもいい余計な改革をするくらいなら、上層部はなにもしないほうがマシ。なにもしなくていいところでじっと辛抱していられることも、上層部の力量・度量のうち」「改革のやりすぎは、改革のやらなさすぎと同じくらい、始末に終えない結果を招く」という思いがあります。この大阪市の青少年会館や、これからの大阪市の青少年施策をめぐる諸問題も、それにおそらく近いのではないかと思っています。とりあえず、3回に分けて書きましたが、シンポジウムで私が話した内容の紹介は、ここで終わります。


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シンポジウム報告2:市長方針案にいたる経過等の問題

2006-11-25 15:44:51 | 新たな検討課題

例のシンポジウムからもう10日以上たってしまったのですが、私のほうの多忙と、特にこの数日は体調がすぐれず、こちらに何かを書き込む気力・体力的なゆとりがなかったので、シンポジウム報告の続きを書くのが遅れました。大変申し訳ないです。

さっそくですが、今後の大阪市の青少年施策に関するシンポジウム報告の続きを、11月13日(月)夜に話した内容に若干「加筆修正」する形で書いていきます。

今日は2回目。前回は、大阪市の青少年会館設置条例を今年度末で「廃止」するということ、青少年会館で行っている諸事業を他の社会教育施設などに移すという市長方針案を強行すれば、どのような面で社会教育や他の青少年施策の現場を「混乱」させる結果を招くか、ということについて述べました。今回は、今年10月10日にこの市長方針案が出てくるに至る経過と、市長方針案が出た以後の経過の問題を取り上げます。

まず、今年10月に出た市長方針案は、8月末の「地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」(以後「監理委員会」と略)の「まとめ」に、若干の修正を加えて出したものです。とすると、市長方針の基本線は8月末で出ていた、ということになります。

ところで、この「監理委員会」で今後の青少年会館事業に関する中身が審議されたのは、私が公開されている審議経過等を見る限り、8月中の3回のみです。しかも、この3回は、他の「」施策と呼ばれるものとあわせて審議されており、青少年会館事業だけで審議されたものではありません。過去約30年近くにわたる青少年会館事業の歴史や、あるいは、今日の青少年会館事業の中身を評価するのには、私などは「たとえ『市政全般に通じている方』を委員に選んだという監理委員会でも、たった3回の審議で、いったい何がわかるの?」といいたくなってしまいます。(その「市政全般に通じている方」が出した案がどの程度のものだったかについては、前回、述べたとおりです。)

また、そもそも1999年に「」施策から一般施策へと移行して、現在は市内青少年とその保護者、地域住民、NPOなどに広く利用されている社会教育施設としての青少年会館を、この「監理委員会」の検討対象にあげること自体、本当によかったのかどうか。なにしろ、99年の時点で、市議会で青少年会館条例の改正をきちんと審議、承認して今があるわけですから、この「監理委員会」はその市議会の経過をどう見ているのでしょうか。(ついでに、市議会も、青少年会館事業を99年の条例改正により一般施策だと位置づけなおしたことについて、今、どのように考えているのでしょうか?)

続いて、この8月末に「監理委員会」の「まとめ」が出されて以来、市長以下の市政上層部が大阪市内12ヶ所の青少年会館をまわり、その利用者である子どもや保護者、地域住民、NPO、現場職員などに対して、どれだけこの「まとめ」の趣旨等について説明を行ってきたのでしょうか。特に、「まとめ」が出て以来の約2ヶ月半の間、例えば子ども・保護者・地域住民・NPOなどによって、多様な抗議活動、反対の意思表明が行われてきました。それに対して、市長以下の市政上層部はどのように対応してきたのでしょうか。

ちなみに、大阪市長は「施設の見直しについてですが、これを具体的に進めるに当たりましては、これはやっぱり幅広く市民あるいは現在利用しておられる方の御意見も聞きながら、あらゆる角度から検討して、この具体化を進めていきたい」と、今年9月25日の市議会の市政改革特別委員会で答弁しています。しかし、私が聞く限り、大阪市長が実際に青少年会館の現場を訪れたのは、この答弁後にたった1ヶ所あっただけと聞きます。市議会で答弁していることと、実際にやっていることとが、かなりずれているわけですよね。

そして、こういう答弁をして、利用者や地域住民の意見を聞くなどいっておきながら、実際のところは10月10日に、「監理委員会」の「まとめ」に若干手をくわえた程度の市長方針案が発表されている。また、その後も引き続き、利用者や地域住民、NPOなどからの抗議や反対の意思表明などが行われているにもかかわらず、あまりこういった意見に耳を傾けようとする姿勢は見られない。こういう状況をみると、「あのときの市長の市議会答弁はなんだったの?」という風にしか見えません。

しかも、今頃はすでに、市役所及び市教委内で来年度の予算や事業等のプラン作りが進んでいることかと思いますが、まだあくまでも今、出ているのは「市長方針案」でしかありません。だから、実際にいろんな内部検討を経て、「これはムリ」ということであれば、その案を「見直す」、あるいは「実施の先送り」ということだって可能なはずです。そして、市教委の管理下にある社会教育施設である以上、青少年会館の条例廃止等については、市教委の会議などの手続きを踏む必要だってあるはずです。でなければ、社会教育関係の現行法に触れ、市教委の独立性を市長が侵すということにもなりかねません。

しかし、どうも私のにらんだところでは、この「市長方針案」がすでに「既定方針」のようになって、市役所や市教委の各担当部署に下ろされてきているのではないか。また、マスメディアなどは、先日、取材に来てくれた新聞社2社はさておき、もうこの「市長方針案」が実施されるもの、というように伝えてしまっているのではないでしょうか。

そして、現在の大阪市立青少年会館は、「ほっとスペース事業」その他の事業を通じて、「行政と民間のパートナーシップ」「市民の参加・参画」「指定管理者制度の適用」といった、これからの大阪市の行財政改革の「モデル」となるような手法を取り入れつつ、どのような事業展開が可能かを模索しているところです。また、徐々に、行政とNPOなどの協力によって、新たな青少年社会教育のスタイルが形成されてきたところです。

そのような段階にある青少年会館に対して、これがかつて「」施策で建てられた施設だという過去をいまさらながらもちだし、「廃止」方針を打ち出す。このことは、大阪市長以下の上層部が「これから自分たちが青少年会館を含めた各施設に導入しようとしている行財政改革の手法を、わざわざ過去を蒸し返して、自分たちで否定しようとしている」かのように見えてしかたがありません。

だからこそ私は「いったい、大阪市はこれからの行財政改革について、何を原則にしていくつもりなのか?」「既存施設を有効利用することや、市民参加や行政と民間のパートナーシップ等々という手法でいえば、青少年会館こそこれからの大阪市の行財政改革のモデルになるべき施設なのに、いったい、市政上層部は青少年会館事業のどこを見て、事業や施策の評価をしているのか?」と、クビをかしげてしまうのです。

そして、むしろ実際に青少年施策や現場で青少年とかかわる市職員のほうが、こういった今の市長方針案の問題点に、実際の地域住民や利用者、子どもの様子を見てすぐに気づきやすい立場にありますし、実際、この矛盾点や問題点に気づいている人も多いはずです。にもかかわらず、市長以下の市政上層部は、意固地になっているのか、「上からの指示だ」といって、この問題点だらけ、矛盾点だらけの案を現場に下ろしてくる危険性が高い(というか、すでにその方向で準備を進めているのでしょう)。

要するに、こんな感じで、私は「市長以下の市政上層部の進めたい大阪市の行財政改革の方向性を前提にしても、青少年会館はそのモデルになるものであったとしても、廃止の対象になぜしなければいけないのか、理解に苦しむ」わけです。そして、これに国や他自治体での青少年施策の動向、青少年問題に関する研究の動向、これまでの青少年会館改革の取組みと現状といったことまで加味すれば、ますます、「いったい、大阪市長以下市政上層部は、青少年会館のどこをどう見てこういう方針を出したのか?」と思ってしまうわけです。


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シンポジウム報告1:市長方針案を強行したらどうなるか?

2006-11-20 20:42:41 | 新たな検討課題

それでは、先週13日(月)のシンポジウムで、私から話をした内容を何度かに分けて書いていきましょう。当日の講演内容を、今、私が話しやすい項目から順番に書いていくことにします。

今回は、先月10日に出した市長方針案を強行したケース。つまり、大阪市立青少年会館の設置条例を廃止して、青少年の体験学習活動、課題を抱えた青少年の居場所づくり、職業観育成や社会参加支援に関する活動など(以後「三事業等」とここでは呼びます)を、他の社会教育・生涯学習施設などへ移した場合、どういうケースが想定されるのか。それを、私の推測として書いておきます。また、このことは、当日のシンポジウムでも話をしましたが、それプラスアルファで今、考えていることを書きます。

まず、これら三事業等の所管は、来年度以降、大阪市教委から、大阪市役所内に新設される「仮称・子ども青少年局」に移されます。しかし、今のところでは、「仮称・子ども青少年局」の設置方針が打ち出され、内部ではどのような部局にするのか検討が進んでいるようですが、私にはその具体像がまだ見えません。でも、来年春、4月にはスタートするんですよね? 本当に大丈夫なんでしょうか?

基本的に私は、大阪市役所・大阪市教委の青少年施策を担当する部局の再編・統合や、社会教育・児童福祉の連携部局の設置という方向性は、必ずしも悪いとは思っていません。しかし、他自治体行政でも同様の部局の再編・統合を行ったケースがあるようですが、これらはいずれも段階的に数年間をかけての移行であり、いきなり「来年4月から」というようなことはしません。

つまり、これだけでも本当は大きな機構改革であり、それが円滑に着地するだけでも数年間かかると思われるものを、たった半年間で「やる」というのですから、来年度、大阪市の青少年施策はそれだけで「大混乱しかねない」危険性があります。しかし、そういう危険性がありうることへの認識は、少なくとも私の目には、市長方針案には「見られない」というしかありません。

次に、青少年施策の所管部局そのものが再編・統合過程にあるなかで、青少年施策の現場である大阪市立青少年会館が、従来どおりの形態では使えない。また、上記の三事業等は大阪市内の「全市展開」ということで、徐々にではあるでしょうが、他の社会教育・生涯学習施設や市民利用施設などに移行されていきます。

しかし、その上記三事業を受け入れる側の社会教育・生涯学習施設、市民利用施設の側において、その受け入れ準備が整っているかというと、必ずしもそうではありません。

特に、今まで子どもからお年寄りまで、すでにさまざまな社会教育・生涯学習活動が実施されているところへ、これらの事業が新たに移されるわけです。そこで、移行先の社会教育・生涯学習施設や市民利用施設の利用者たちと、新たに移される三事業等の利用者たちとの間で、これらの施設の利用をめぐって、さまざまな摩擦が生じる危険性があります。ですが、これらの調整プロセスをどうしていくのかについて、現在の市長方針案では何も説明されていません。

一方、三事業のなかでも、例えば青少年会館での放課後・長期休暇中の小学生・中学生の体験活動や、不登校・ひきこもり経験者、「障害」を持つ子どもなどへの課題を抱えた青少年の居場所づくり活動には、それ相応のスペースを移行先の施設で確保していただく必要もあります。また、講義室だけでなく、例えばスポーツ設備や調理室、工作室、図書室など、多様な活動スペースを用意している施設のほうが、これら三事業の活動にとっては、さまざまな活動形態が展開できるため、メリットが大きいと考えられます。

そう考えたときに、「全市展開」にあたって実際の青少年の各種学習活動を想定した場合、大阪市内24区に既存の青少年会館の施設・設備等を参考にした新たな施設を作るならともかく、「そこが空いているから」というだけの理由で、一般的な社会教育・生涯学習施設や市民利用施設に移せばいいかというと、「そうでもない」ということになります。

さらに、市長方針案によると、今後当面は青少年会館の既存施設を「スポーツ施設」と「それ以外の施設」にわけ、スポーツ施設の部分には「公募による指定管理者制度」の適用を考えているようです。しかし、今青少年会館にあるスポーツ施設も、上記三事業のケースのような活動展開を想定し、青少年会館としてのトータルな運用を考えて設置されたものであって、いわば「バラ売り」するようなことは想定されていません。これでは、施設の持つメリットを逆に損なうのではないかとすら思われます。

そして、来年度以降、「それ以外の施設」の部分を市の「普通財産」に位置づけた上で、子育て支援サークル等の自主活動に多目的に活用すると、例の市長方針案は述べています。だとしたら、今ある青少年会館でも子育て学習活動が行われていますし、そこには多様な市民グループも関わっています。青少年会館の余裕部屋などを使った「場所貸し」的な活用形態を考えれば、この市長方針案にあることは、別に条例廃止ということをしなくても実現可能です。

また、その子育て支援サークルなどが、自分たちの活動をするためにスポーツ施設を使いたいとなったときに、今後そのスポーツ施設を「指定管理者」にゆだねたら、そのたびごとにいちいち利用申請書を書き、料金を支払い・・・・という面倒な手続きをとることになります。今なら、各館の事務室に話をつければいいだけですけどね。

こういう風に、私が少し社会教育・生涯学習の関係職員、そこを利用している地域住民や保護者・子ども、そして諸事業にご協力いただいているNPO団体関係者の立場から、この市長方針案を見ていくと、「ほんと、来年からこんな案実施されたら、現場も市役所・市教委も大混乱しかねないし、子どもや保護者・地域住民に大きなしわ寄せが来る」としか思えないんですよね。

少なくともこの市長方針案でいくことを前提にしても、最低でも3~5年くらいの移行期間をおかないと、現場も住民も、そして子どももNPOも大混乱するだろう、としか思えないんですよ。それがどうして、市政上層部には分からないのかな、としかいいようがないのです。

しかも、何度もこのブログ上で「市民の声」を使った市役所側とのやりとりを紹介してきましたが、市役所側はこの市長方針案のもとになった、「地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」の「まとめ」を高く評価してますし、外部からの方を中心に、「市政全般に通じている方」を「委員」にお願いしてこの「まとめ」をつくったといいます。

でも、こうやって実際の住民や子ども、現場職員やNPOの側から見れば、この「まとめ」や市長方針案のどこがいいのか。高く評価するというけど、「はぁ? どこがそうなの?」といいたくなってきますよね。本当に「市政全般に通じている方」たちの集まりであれば、こういう事態が訪れる危険性も想定した上で、それを回避することのできるような内容で「まとめ」をつくっていただきたかったです。

ということで、まずはシンポジウムで話をしたことの要点の1つめに多少の追加事項をまじえて、私の意見を述べておきます。


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シンポジウム報告、もうちょっと待ってね

2006-11-19 12:06:03 | 新たな検討課題

先週月曜日の「市民の会」主催のシンポジウムから、早いものでもうすぐ1週間になります。この1週間、もうひとつの私の個人ブログを見てもらえればわかるとおり、めちゃくちゃ忙しかったので、なかなか報告が書けませんでした。

また、例年より約1ヶ月半ほど早まった卒論提出期限のため、今、私の4回生ゼミの学生たちもまた、卒論の最後の追い上げの時期にさしかかり、本業の大学での仕事がその対応だけで手一杯になるくらい、時間に追われています。

そんなわけで、大変申し訳ないですが、シンポジウム報告を書くのがもう少し遅れそうですので、今しばらくお待ちください。

それにしてもやねぇ・・・・。私らがこんな苦労をするのも、大阪市長がこれからの青少年施策についてきちんとした見通しもなく、来年3月末で「青少年会館の設置条例廃止」というようなことをぶち上げるからだと思うと、腹立たしくてしょうがありません。

あの方針、シンポジウム当日に来た人にはいろんな根拠を挙げて、「これを導入したら大阪市の青少年施策だけでなく、社会教育・生涯学習施策その他の領域まで、大混乱に陥る」という話をしました。それにどうして、大阪市の上層部や市議会が気づかないのか(実際に現場で仕事をしていたり、市役所内で実務を担当している職員は気づいている)。私には不思議でなりません。その詳しい話は、また後日、書きますね。


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シンポジウムの開催です。

2006-11-12 15:46:24 | 新たな検討課題

明日の夜、下記のようなシンポジウムが開催されます。大阪市の青少年会館の存続問題に関心のある人々、特に「これはおかしい!」と思っている人は、ぜひ参加してください。また、私も、このシンポジウムでは「基調提案」で、冒頭で話をする予定です。

<大阪市の今後の青少年施策について共に考えるシンポジウムー子どもたちの居場所のこれからをめぐってー>

日時:2006年11月13日(月) 18時45分から。

参加費無料、定員120名(当日先着順)。

場所:弁天町市民学習センター(JR大阪環状線・弁天町駅前、オーク二番街7階)。

主催:大阪市の今後の青少年施策について共に考える市民の会。

ちなみに、この会のチラシには「ぼくらは、どこに行けばいいんだろう・・・」と書いています。まさにこの思いが、今、この市民の会に集まっているおとなたちも、それから、各青少年会館に集まっている子どもたちも、同じ思いだと思うんですよね。そのことについて、大阪市の上層部や市議会はどう考えているんでしょうかね?

また、「今後の青少年施策」についても、本当に今の大阪市当局からは何か見通しのある案は出ていないわけで、この市民の会に集まっている面々で考えていくしかないのではないかと思います。また、10月に出た市長方針案も、青少年会館の部分については「あんたら、考えてるの?」というしかない、現場の実態を理解していないプランでしかないですしね。

そして、これまで何度もこのブログで書いてきましたが、大阪市長以下上層部が子どもを含む青少年会館の利用者や地域住民の前に出て、これから青少年施策をどうしたいのか、きちんと語る、説明するという作業はぜんぜんやってませんよね。

はっきりいって、安全地帯にいてマスコミの取材くらいはうけるのかもしれませんし、どこかの週刊誌ではほえまくってるのかもしれませんが、直接、これらの人々とやりとりすることからは、市政上層部は「逃げまくってる」としか言いようのない状態です。これでは、青少年施策を担当する市職員も、「あしたから、どうすりゃいいの?」という気分でしょう。

ほんと、あらためて考えても、この大阪市の市政上層部の方針、「むちゃくちゃやなぁ」というしかありません。しかし、子どもや若者の成長は、そんな「むちゃくちゃ」な市政上層部の動きを待ってはくれません。早急に、私たちなりに何かアクションを起こして、「むちゃくちゃな」市政上層部の動きに対抗しながら、現実に子ども・若者のニーズにこたえていくとりくみをしていかざるをえませんね。


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そろそろ「自立」しましょうか?

2006-11-10 11:31:00 | 新たな検討課題

昨日だったか今日だったか、新聞報道によると、大阪市議会は大阪府の行う「サミット誘致」への協力を決めたとか。私とはずいぶん意見や立場がちがいますが、あの市政改革推進会議の外部委員ですら、一時期「やめとけ」といっていたことですよ。でも、「安上がりのサミットにする」とかの条件つきであっても、大阪市議会は決めたんですよね。

今、大阪市は地下鉄や市バスなどの「民営化」も含めて、財政再建を主たる目的としての行財政改革を行っているんですよね。また、青少年会館の存続も含めた「」施策の見直しも、従来の市職員の待遇を「厚遇」とした上での見直しも、ある意味その財政再建を主目的とした行財政改革の一環とも考えられるわけですよね。

にもかかわらず、なぜ今、「サミット誘致」なんですか。「サミット誘致に使う金があれば、青少年会館の存続や、新たな青少年支援施策の実施に使えよ」と言いたくなります。また、こんな調子だと、大阪市役所もそうですが、市議会に対しても、「いったい誰のほうを向いて市政運営を考えているのか?」と言いたくなってしまいます。

いつまで「見栄えのいい都市づくり」「マスメディアに注目されるようなまちづくり」をやっているんですか。財政的に見てそんなことをする余裕はないと、市政改革推進会議の外部委員も言っているわけですし、かつて「オリンピック招致」で失敗したんですよね、大阪市は。住民生活の側から見ている私も、財政再建の側から見ている市政改革推進会議の外部委員も、結論としてはおそらく似たようなもので、「そんなことしてる場合じゃないだろ!」というところでしょうか。

この調子だと、そもそも他都市も名乗りをあげている以上、サミット誘致も成功するかどうかあやしいですし、財政再建も中途半端に終わるのではないでしょうか。その上、今まで青少年会館の存続問題も含め、住民の福祉や教育などに関する諸施策をいじくりまわして、ぐちゃぐちゃにして、住民生活を混乱に陥れた結果だけが残ってしまう。(これだと、私とは立場は異なりますが、まだ財政再建のために一貫してモノを言ってる人々のほうが、「信頼できる」ように見えます。)

そして、その失敗と混乱のツケが、子ども・若者やお年寄り、女性、「障害」を持つ人々など、市内の各地域に根ざして生活している人々にまわされるでしょうし、その失敗の尻拭いをさせるような仕事が、大阪市の行政の末端職員と、市内各地域で自発的に活動しているNPO団体などにまわされてくるのでしょう。

そろそろ、今の大阪市の市政運営にかかわる主だった人々(そこには市政上層部も、市議会のどの会派も入ります)には、住民側から、あるいはNPO側から、市行政の末端職員側から、「見切り」をつける時期なのかもしれません。

もう、この市政運営にかかわる主だった人たちの動向にふりまわされるようなことではなくて、住民とNPO・市行政の末端職員とで手を取りあって、研究者や専門家なども交えて知恵を出し合い、今、ありあわせの社会資源を活用しながら、「地域に根ざした教育・福祉など」にいっしょに取り組んで、市内各地域で私たちなりに「自立」しましょうか。そして、「これ以上、余計なことをしてくれるな!」「私らのコミュニティは私らでつくる!」と、声をあげていくことのできる態勢を整えていくことにしましょうか。


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『組織行動の「まずい!!」学』から

2006-11-02 09:52:57 | 新たな検討課題

このところ、大阪市立青少年会館の存続問題から端を発して、今の大阪市の行財政改革の動向を追いかけるような作業を続けている。また、経営学や法学、行政学など、行財政改革の手法などに関連する文献、特に新書本レベルのものをよく読むようになったことは、前にも書いたとおりである。そして、このところ、読んだ本の内容をこのブログで紹介することも増えてきた。そこで、新カテゴリとして「本の内容紹介」というものをつくり、今後は大阪市の行財政改革や青少年会館の存続問題に関連させながら、本の内容について書き綴っていこうと思う。

さて、今回読んだ本は樋口晴彦『組織行動の「まずい!!」学 -どうして失敗が繰り返されるのか』(祥伝社新書)である。ちなみに、著者はいわゆる「危機管理」論が専門のようである。

今回この本を読んで面白かったのは、まず、「アウトソーシング」に伴うリスクもありうること、外注先に委託元はそのリスクまでおしつけることができないということ(p.104)。それから、経費削減によって一番犠牲にされやすいのが「安全性」であったり、企業などの安全管理部門であること(p.106)。まずは、このあたりだろうか。経費削減という観点から、何事も「官から民へ」という「アウトソーシング」を多用する形で行財政改革が進められているのなら、ここはチェックすべきポイントだろう。

そういえば、同書にはこういう文章があった。

「近年、企業経営のレベルで成果主義的な発想が広まり、前年よりもいかに業績を上げるかという短期的な側面ばかりが強調される傾向にある。そして、前述したように、財務諸表の体裁を整えるのには、安全関係のコストを切り詰めるのが早道だ。そのような誘惑に堪えて安全水準を維持するだけの見識を関係者が持ち合わせているかどうか、まさにそれこそが安全文化と呼ぶべきものだろう。」(p.115)

また、「成果主義」の導入がかえって問題を引き起こすケースの存在。例えば、社員が決して受容できないような高度な目標を一方的に割り振る「目標押し付け症」や、目標が用意に達成できるようにあえて低めに設定する「目標下方設定症」(p.120~121)などである。このへんも、面白かった。今、行財政改革にも「成果主義」を導入しようとしている人々がいるが、それって、どこまで実効性があるのかどうか。こういう人の発言をてがかりにして、もう一度、考え直してもいいかもしれない。

このほか、専門家は特定分野の知見に偏っていて新しい着想が思い浮かばない傾向にあるということ(p.174~175)。また、専門家の研究がどんどん細分化されていくことによって、その専門性の隙間のような部分で問題がおきやすくなっていること(p.182)。第三者機関や外部機関による監視・チェック体制も、監視・チェックの実効性をあげるためには、その第三者機関や外部機関自体にチェックが必要になるケースもあること(p.199)。こういう記述もあった。この点は、案外見落としがちな話なので、忘れないようにしたい。

最後に、この本からの大事な指摘として、次の2点を引用しておきたい。

「近年、規制緩和の大義名分のもとに、これまで行政機関が行ってきた規制措置を撤廃したり、行政の役割を民間に開放したりする動きが進められてきた。たしかに、役所があれこれ口出しすることが、社会経済の活力を殺いできた側面があることは否めない。しかし、観念的な「役人性悪・民間性善説」に偏するのではなく、社会の中で行政が本当に果たすべき機能は何なのかを問い直す機会を、この事件は提示しているように思われる。」(p.203。文中の「この事件」とは、マンションの耐震強度偽装事件のこと。)

「総務や企画部門では、その業務の性質上、目に見える形で「成果」を示すことが難しい。そこで、ひたすら文書を作ることに精を出す。たくさんペーパーを作ってファイルを机の上に積み上げれば、何か大仕事をやり遂げた気分になれるし、現場から報告書をあれこれ提出させれば優越感にも浸れるというわけだ。/つまり、組織内で文書類が必要以上に増加するのは、本来は現場を支える立場であるはずの総務・企画部門が、逆に現場に対して支配的な傾向を強めている証左である。文書が分厚いほどよいという文系的価値観、いわば「『紙』様信仰」を現場に押し付けているのだ。もしもあなたの会社で、業績が下降しているのに文書ファイルの冊数が年々増えているとしたら、「まずい!!」と感じて早めに手を打つべきだろう。」(p.42~43。原文は斜線部で段落変更)

この2つの引用文からわかるように、私が思うに、今の大阪市の市政改革はこの「紙を増やす」方向で動いているように思うし、「役人性悪・民間性善説」にたった改革がすすんでいるようにも思われる。そのことに伴うマイナスも多々あるということが、この本から指摘されているのではないか。

私はこのごろ思うのだが、ある問題をきっかけにして、例えば行政の組織運営や施策の問題点の改善のために導入される手法が、かえって事態をややこしくしたり、余計に今まで以上に行政組織や施策の問題点を拡大してしまうということもあるのではないのだろうか。あるいは、「下手に改革することよりも、な~んもしなかったほうがまだマシ」という場合もあるのではなかろうか。だから、私は「改革屋」であることを、「あんまり、自慢しないほうがいいよ」といいたくなってしまう。


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いろんな観点から考えられるのかも?

2006-10-31 17:29:49 | 新たな検討課題

このところ、青少年会館の存続問題だけにとどまらず、今の大阪市の市政改革のあり方を考えるために、新書本サイズのものばかりですが、経営学関係の本を読むことが増えました。そのなかの一つ、三品和広『経営戦略を問いなおす』(ちくま新書)を読んだときに、「ハッ」とさせられた点がいくつかありました。「そうだ、市政改革に企業的な経営の視点を導入するといっても、その経営の視点はいろいろありうるのではないか?」ということに気づかされたのです。以下、同書から思いつくままに、面白かった点を挙げてみましょう。

まず、経営戦略の「コンテクスト依存性」(p.53)という点、これがまず面白かった。つまり、「経済や社会の状況、技術やインフラ、人口構成や法体系、そういう外部要因」(p.53)に囲まれて存在する以上、企業はこのような外部要因(これがコンテクスト)にさまざまな制約を受ける、ということ。だから、ある企業でうまくいった手法が、そのコンテクストの異なる別の企業で通用するかどうかはわからない、ということになりますね。これを市政運営にスライドさせれば、「他の政令指定都市でうまくいった改革手法を大阪市にもってきたからといって、本当にうまくいくかどうか?」ということになりますね。

それから、経営戦略は「アナリシス(分析)の発想」(p.60)とは相容れない、ということ。これも面白かった。というのも、著者の主張を私なりにまとめると、経営にかかわる個別の要素をどう統合して方針を提示するかが「経営戦略」であり、予算や決算の分析という視点とは異なるからだ、ということですね。となると、財政上の諸問題を解決するために大阪市の予算・決算関係の書類を見ることは一定必要でしょうが、問題は「それを見て、どういう方針を決定するのか?」という次元にある、ということになりますね。

また、経営戦略がどこにあるかといえば、「経営者の頭の中です。組織や文書に戦略が宿るということなど、ありえません」(p.132)とか、「大企業ともなれば、どこにも『経営企画』を名乗る部署があります。そこが立派な資料を作成して、戦略の全社的な共有を図ります。(中略)これらを、戦略と勘違いしてはいけません。そこにあるのは、戦略の入り口にある分析だけです」(p.132)という著者のコメントも、なかなか面白かった。これを読んだら、「市政改革マニュフェスト」や各種の帳票づくりに一生懸命励んでいる大阪市職員は、どう思うでしょうか? この本の著者の論理からすると、書類ばかり増えても、改革がうまくいくとは限らない、その書類を読んで市長以下の上層部がどういう方針を打ち出すかが大事だ、ということになりますよね。

さらには、この本の著者は、経営戦略について、「ある時点で誰かに『つくる』という作業を委託すれば、それは走る列車から途中下車するに等しいため、どんなアウトプットも『作文』に終わることを避けられません。タマが飛んでくるところでしか、戦略はできないのです」(p.135)ともいいますね。となれば、大阪市長は批判や非難の声が矢のように飛んでくるところでしか、市政の経営戦略は練られないはずで、それを外部委員に頼んでいるようじゃダメだわ、ということにもなりかねませんよね。

ついでに、この本の著者は、経営戦略は「世界観」や「人間観」「歴史観」などの「観」にもとづくもので、その土台が「教養」と「経験」ということも言います。となってくると、市長以下の市政の上層部が、どういう「教養」と「経験」にもとづいて、今の大阪市政の状況をみて、どんな方針を立てるかが大事だ、ということになりますね。

そして、この本の著者は、「最近は、リエンジニアリングだの、アウトソースだの、ビジネス・モデルだの、テクニカルな手法の流行が目立ちます。(中略)その程度の手法や仕組みや仕掛けで、会社が本当に変わると思いますか。変わるはずなどないでしょう」(p.211)ということもいいますね。また、「創業の理念」とか「社員の気風」といった、企業で働く人々の持つ「知的精神文化遺産」(p.212)に注目することの大事さも説いています。となってくると、実は「今の大阪市政の改革においても、最も大事にすべきなのは市職員の間で蓄積されている各種のノウハウだ」という見方だってできなくもないですよね。

これまでもどこかでいったかもしれませんが、基本的に「企業経営と市政運営は別物」と考えてきたのが、私の立場です。ただそれでも、「企業経営の論理を大阪市の市政運営に導入する」という形で今の市政改革を推進するのであれば、その「企業経営の論理だって、実はひとつではなく、いろんな筋道があるのではないか」と言いたくなりますね。そして、この本の著者のいうような「経営戦略」に対する考え方であれば、市政運営に多少なりとも反映できる部分はあるように感じましたね。


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どっちもどっち?

2006-10-29 00:46:08 | 新たな検討課題

「市民は、市議会や県議会の議員発言を監視しよう。議事録はHPで公開される。不当な言いがかり、嫌がらせ、言葉の暴力などを見つけたらすぐにプレスに指摘、そして時期を見計らって訴訟と落選運動をする。」

これは、大阪市の市政改革本部で、今は外部委員として中心的な役割を担っているある人のブログに出ていた言葉です。これはもちろん、個人的なコメントとして書いているのだろうと思います。

でも、たとえ外部委員であるとはいえ、市政改革本部のメンバーから「市議会の議員発言を監視する」とか、「落選運動をする」という話が出るというのは、聞き捨てならないですねぇ。そんなこと、軽々しく言っていいのでしょうか? 市議会とこの人、ケンカしたいのでしょうかね?

このところ、青少年会館関連の内容について、市議会議事録も過去にさかのぼって検索してみていますが、少なくとも「監視」まではいいとしても、「落選運動」までいう気は私にはないですよ。

そこで、これを聞いた市会議員のみなさんは、どのように考えられるのでしょうか? ぜひ、市議のみなさんから、この市政改革本部の外部委員の方に対して、いろんな意見を述べられたらいいと思いますよ。次の市議会で、ぜひとも追及していただけるといいですね、この発言の主と、この発言の主を呼んできた市役所上層部の見解を。

ちなみに、この市政改革本部の外部委員、ご自分のブログで以前、「労組、そして一部の団体」に対して、「今までこの二者は多くの職員にとってKGBや秘密警察のような存在だった」と書いていました。これも、かなりひどい発言ですよね。いったい、どういう事実に基づいてそういっているのか、労組や「一部の団体」の方から、この方に問い合わせてもいいかもしれませんね。

ちなみに、この件について、「大阪市当局はこの方と同じ認識に立っているのか?」と「市民の声」から極秘で質問をさせていただいたところ、市役所の総務局から、あくまでもこの外部委員の方の「個人的な見解であると認識している」との文書回答を得ています。だからこの方、大阪市役所の関係者や労組、一部「団体」に対して、市役所ですら「あれはあの人の個人的見解」と断らざるをえないようなことを、インターネット上で発言している、と私は理解しています。

だから、市会議員の議会発言も問題かもしれませんが、「個人的見解」と断った上での市政改革本部の外部委員のインターネット上等での発言も「かなり問題」があるのではないでしょうかね。私なら、「どっちに対しても監視が必要」といいますが。


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「市政上層部・企画管理部門・外部委員の連合体」への監視を

2006-10-14 09:40:30 | 新たな検討課題

それから、この間の「市民の声」をつかった活動と、マスコミの伝える情報などから総合して見えてきたのは、「市政上層部・企画管理部門・外部委員の連合体こそ、今は大阪市の行政権力の中枢に位置していて、このあり方こそ問題だ」ということです。

私がこの1ヶ月半ほど、「市民の声」を使って青少年会館「廃止」方針問題をウォッチングしてきた限りでいえば、大阪市役所及び大阪市教委の職員などは、次のように層が分れているように見えます。

(1)市長・助役・局長級などの市政上層部、経営企画室、総務局、市政改革本部など。以後、これらを「市政上層部と企画管理部門」と呼びます。これに、「市政上層部と企画管理部門」が呼んできた学者や弁護士などの「外部委員」を含めてもいいでしょう。したがって、「市政上層部と企画管理部門と外部委員の連合体」と呼ぶ場合もあります。

(2)市民局、健康福祉局などの市長部局の本庁職員。これは以後「市長部局の本庁職員」と呼びます。

(3)市教委の本庁職員。市長部局と市教委は一応、法令上お互いに独立していますので、分けておきます。また、これはこのまま、「市教委の本庁職員」と呼びます。なお、以下の文中では、(2)(3)をあわせて単に「本庁職員」と呼ぶことがあります。

(4)青少年会館などの現場職員。これはこのまま、「現場職員」と呼びます。また、特に「青少年会館の」という風に、施設を限定する場合もあります。

それで、今、私の見る限り、「市政上層部と企画管理部門」が、職員厚遇問題・飛鳥会事件などへの市民の風当たりを利用しながら、マスコミを使って自らを「改革派」として位置づけ(自称「改革屋」という学者もブレーンにして、ですが)、「市長部局の本庁職員」「市教委の本庁職員」「現場職員」を「抵抗勢力」のように位置づけ、力づくで自らの考える「改革」の中身を、「」施策見なおしというのを入り口にしながら、これら「抵抗勢力」に押し付けようとしているように見えます。

その「改革」の中身は、表面的には<「」施策見なおし>で市民の支持を集めようとしていますが、実質的には「青少年会館の現場職員」とその施設等の「リストラ」でしょう。つまり、「市政上層部と企画管理部門」は、いま、大阪市の社会教育・生涯学習部門の「解体」を狙っているように見えます。

また、「市政上層部と企画管理部門」は、同様に市長部局の持つ現場についても、例えば老人福祉センターなどのように民間委託をすすめたり、加配保育士を廃止したりするなど、いわゆる「現場職員」の「リストラ」を考えているように見えます。

そして、はっきりいえば、市の社会教育・生涯学習部門の「解体」や、各種福祉施設の民間委託、保育部門での人員削減などによって不利益をこうむるのは、単に「」地区の住民だけでなく、実はほかの市民にとってもそうなのですが。なにしろ、これらの施設や行政サービスを利用しているのは、実際には「」地区の住民だけでく、ほかの市民層も含まれているのですから。

そんな状況のなかで、「現場職員」と「市教委の本庁職員」「市長部局の本庁職員」が連携して、市民世論を味方につけて反撃ができるといいのですが。実際、「実際の各施設利用者や市民の利益を考えたら、こんな改革、やりたくなんかない!」と思っている本庁職員は、市教委にも、市長部局にもいることかと思います。

しかし、「市政上層部と企画管理部門」は、自らの打ち出す「改革」方針を有無を言わさず実行するために、「市教委の本庁職員」や「市長部局の本庁職員」に対して、地方公務員法上の「上司の命に従う義務」をふりかざす(=これが「市政上層部と企画管理部門」のいう「コンプライアンス論」の本質でしょう)。そして、「市教委の本庁職員」や「市長部局の本庁職員」に、自らの打ち出す「改革」方針に沿った具体的な施策を検討させ、実際に各現場に下ろすように迫る。

その結果、「市政上層部と企画管理部門」は、自分が直接、利用者や市民からの苦情・不満、あるいは「現場職員」などからの批判に直面することなく、そういう痛い目にあうようなことはすべて「本庁職員」におしつけて、自分たちの意図する「改革」案を実施することが可能になる。

しかも、「市政上層部と企画管理部門」は、いま、例えば「職員厚遇問題」などを通じて「市政を監視する」という意識を持ち始めた一部「市民」の目を別の形で利用したり、あるいは「外部委員によるチェック」を導入して、「本庁職員」の仕事を自分たちの思う方向に誘導しようとしているわけです。

この結果、実際の大阪市政はどんな風に変わるか。簡単に言えば、「市政上層部と企画管理部門、外部委員の連合体」が、マスメディアと一部の市民の声をバックに、大阪市の行政権力を掌握する構図ができる、ということです。

とすれば、今後の大阪市政の動向を本当に「市民」の立場から「監視」しようとすれば、実は「本庁職員」や「現場職員」の動きをウォッチングしていてはダメなのであって、実は「市政上層部と企画管理部門、外部委員の連合体」こそ、細かくウォッチングして、「これじゃだめだ」とか「あんたらがおかしい」と声を発していかねばならない、ということになります。

しかも、「市政上層部と企画管理部門、外部委員の連合体」は、ほかの本庁職員・現場職員の仕事のように「現場」を抱え、「予算」を持っているわけではありませんから、例えば「公金の不正支出を細かくチェックする」というような手法で「市民」が「監視」するという手法にはなじみません(むしろ、こういう手法こそ、「市政上層部と企画管理部門、外部委員の連合体」が、本庁職員・現場職員の「市民」による監視として、最も待ち望んでいることです)。

むしろ、チェックすべきは「言葉」です。すなわち「市政上層部と企画管理部門、外部委員の連合体」が、例えば公文書や論文・著作で、マスコミ発表で、市役所などのホームページ・ブログ上などで、どういう言葉を使って、どういう論理で、どんな施策を進めようと考えているのか。そのウラにどんな意図が隠されているのか、などなど。これを「市民」の側から的確に見抜いて、批判のメッセージを発信すること。それが今後の「市民」の立場からの「監視」に必要なことのように思われます。


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