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四国自転車の旅計画③ 昔の記憶

2009-04-17 | 自転車

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自転車旅行計画を考えていると、昔のことを思い出した。

そのときの自転車は、当然特別なものではなく、通学に使う自転車でした。

幸い(?)高校は岡の上になぜかあったので、みんな健脚でした。

まず、健康で体力があった。

初めての自転車での旅と言える旅は、たしか淡路島一周でした。

高校一年のちょうどこの時期、新しく知り合った友人と

「ゴールデンウィーク何する?ひまやなぁ」

から、だったような。

ちょうど、月がかわるとお小遣いが入るし、、、、(気軽な身分でした)。

このときも気まぐれ。

そして、気の合う友人に声をかけて、結局行くのは、私ともやまちゃんの二人だった。

やまちゃんは、ボーイスカウト経験者で、当時も顔が効くとのことで、テントを手配してくれた。

また、野営生活の経験者でした。

そのときのテントは、布地のポール2本(スチールの丈夫な重いやつ)の三角のテントです。

重いし、一人での設営は難しいのもでした。

寝袋は、やまちゃんは当然もっていた。私は、たまたま父のお古があった(奇跡であり、なんであるか知らなかった。後で聞くと父は、若い頃山登りをしていたようだ)。

「テントと寝袋があったら、どこでもいけるぞー」(若かったです)

<持ち物分担>

やまちゃんはテントと自分の荷物を!

そして、コンパスと地図を持ってきた。さすがボーイスカウト!。

(地図なんて、島を回るだけやし、迷わんからいらんと思っていたが、迷わないが、今の位置と行く先の距離が把握できる。この時地図の役割を知った。)

地図ってすごいぞ!

地図は必須!

私は寝袋と自分の荷物とメガ好き坊主であったので、パンク修理セットをはじめ、トラブル対応の小物メンテ道具などなど。そして、中学校の恩師の影響で自転車の遠乗りを覚えた経験を持って行った。

そして、それぞれ通学用のベージュのカッパで雨対策を万全にした。

雨対策

当時は明石大橋は無くフェリーだった。

はじめ、自動車用のフェリー(卵焼き屋に近いほう)とおもっていたが、

「自転車はあっちの方が早いよ」

と言われ、隣の小さな人と自転車専用(?)の船で渡った。

自転車と共に海を渡るのは、なんとなも気分が良かった。

そのときの計画では、フェリー代と飯代だけを考えた(結局2000円も使わなかったような)

初日の昼は、自宅から各自おにぎりを作って持ってきたような記憶が、、、。

大体、一日に80~100kmを目安に考え、一泊の旅の計画であった(今は60~80kmかなぁ)。

計画どおり、進む体力はあったが、渦潮を眺めすぎ、予定のキャンプ場に着いたのは、日が落ちていたました。

ライトは重要

そこで、とりあえずはじめにテント設営。来た時間も遅いので、キャンプ場といっても端っこ!

このとき、懐中電灯はあったが、片手がふさがりテント設営にてこずった!

設営を終えると。

周りはすっかり、夕食タイムを終えていた。

そこらじゅうで、焼肉のかおり

そして、おなかをすかせた学生二人は、缶詰とパンを食ようとしていると。

すると、隅の方で、せっせ暗闇の中ペグを打つ音を響かせてテントを立てている学生を見つけて、近くの家族の方が、

「よかったら作りすぎたから」

と「焼きそば」をくれた。

人はみんな親切である

そして、自転車で来たことを知ると、もっとサービスを頂いた。

これで、パンは朝ごはんになった。とてもうれしかった。

そんな感じで、無事淡路島一周を計画通り一泊の旅を楽しんだ。

この時、宿泊という手段を体験し、世界観が変わった。

カメラはいるぞ

最後に写真を撮れたら良かったと思った。当時、カメラは持っていなし、家族も持ち出しには、反対されたような、、、。

今は、携帯電話でもカメラがありますね!すごいことです。

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