白秋ながや文庫

日々の徒然。

「人間の関係」五木寛之:著を読んで思うこと

2007年12月01日 | インポート

9月30日は石原慎太郎氏、五木寛之氏のまるっきり同年同月日の誕生日だったと思う?

75歳。かたやAB型、かたやB型、両氏とも長兄の立場。北と南の生まれの違い。

比較はいろいろあるが・・・。

この本の中で、思ったことは私の故郷と同じ場所の話もでてくる。父親の言葉に大川市への就職の進路の一説です。愛読者の立場で稚拙な妄想ではあるが、父上は幼き寛之氏の性格を知りえたうえでの言葉の投げかけではなかったろうか?

38度線を一家で命からがらで生き戻ってきた。

我子の生命力と聡明さとふつふつたる一本気な、我子ながらの丹田力を信じて、地元の就職先を心と裏腹に投げかけたであろうと思える、これまた聡明な親父心でしょう。それは九州人特有の気質と聖職者(教師)の明確な我子の性格を読んだ上の親心だったであろう。

なぜならもし大学に絶対進めと父親が言えば、聡明でやさしくかつ丹田の座った。寛之少年は九大か熊大をめざして勉強しただろう。そうなると官僚めざしてとか違った道があったであろう。

手に職を・・・の投げかけは38度線を越えた少年の中に刻まれた負荷と不条理の諸行無常には手堅く安定した物の見方のあり方はありえないとフラクタルな生命力の丹田力の煩悩に火がついたのだろう?明確に。

それを見越した上の親心の言葉。なぜならば、福岡の南部(筑後地区)で両親が教師の家庭は模範であり憧れであり、尊敬に値する家庭環境であるからである。私は戦後生まれですが、高度成長期が義務教育時代の「3丁目の夕日」世代の記憶でさえ、先生げの息子さん娘さんで経済的な状態より、坊さんの家とは違った尊敬の念があった。

例えば亡くなった「長崎は今日も雨だった」の内山田ひろしとクールファィブの内山田さんも地元柳川では内山田先生の息子さんげな。とムード歌謡を歌っている方も、やっぱ品のあるねえ。農村、漁村の大人たちは尊敬していた。

白秋、オノヨーコの実家とかも有名だが。「妻の日の愛のかたみに」という映画にもなった実話もやはり柳川の教師夫婦の物語である。「愛と死をみつめて」の大島みち子さんの手記からの映画とはスチエーションは若干違うが同じ感動があった。

・・・話しがそれたが、五木寛之氏は両親(礼節、品格、教養)からびっしり躾されていたに違いない。敗戦の大きなうねりの中にあっても。そう思うとあまり家庭の事とか兄弟の事とか謙虚にかかれるが、関わりある愛すべき人たちは五木氏のその後の青春の門には母親に近しい品、理解、聡明さの方と縁が必然的無意識で縁があったに違いない。又、氏ご自身も内なる品格もサムライの丹田力はほどよくゆらぎの中庸を感じさせる。強さゆえの無意識の葛藤。やさしさゆえの謙虚さは、飲み込んでしまえば、日本に留まっていなかったはずである。やもすると、とぎすまされた、天性ゆえに休筆も自己矛盾の無意識がゆらぐバランスであろう。

私自身、ある時期からの作品の内容の安定感に文体、語彙選びについても期待どうりである。・・・かめばかむほど味がでる。というけど、まさにさらっと斜め読みして、ある日、本屋で買ってじっくり読み返してみると(勝手に読む側の状態)で行間以上の力強く、やさしく、自然体で高揚できたり、ふりかえる時をあたえてくれる。

・・・ときには、いや、まてよ。物の見方のこつのような。ハッとして得をしたような包容感。これが実社会の関係の刹那てきな瞬間にどう丹田力をゆらぎを持って接して応用できるかはうねりの中で今を生きるもの達への問題提起の課題だろうが。この部分「大河の一滴」の中ですでに・・・槽庚の水が濁る時だったか?(誤字などあったらご容赦の程)・・・すでにヒントが隠されていただろう?と思います。・・・今回の「人間の関係」にはそぎ落とされた、ますますのゆらぎの語彙がちりばめられている。多くの読む側へのゆらぎを熟知した優しい魔法である。それはうねりの中で翻弄する無意識を・・・かつて五木少年の聡明さと丹田力に投げかけた父の品格の言葉のリフレインにも似た。父性であり、無意識に刻まれた母親の母性の無限なる愛情のフィードバックであろう。理屈抜きに1回は読破すると無意識に語りかける言葉の一冊である。と私は思った。