13日の夜、例によって二人で宿題を終えたときに、のんびり娘が
私に対する色々な気持ちを話し出しました。
のんびり娘は、自分にされた事(主にマイナス感情を呼び起こすものですが・・)を「忘れない」子ですので、こうしてまるきり関係ないときに
「この間、ママが怒ったけどあれは私は悪くなかったんだ(客観的にはそうではない)・・・」的なことを、クドクド言い募る事はこれまでも良くありましたが、
その伝え方にしても、彼女の理解の仕方にしても
「まだまだ、狭い。わかってない。これをもう一段成長させるのにはどんな作戦で行ったらいいのか・・。」
と考えさせられたり、場合によってはあまりの身勝手さ(本人はそう気付いていない)と
頑固なわからんチンにイライラさせられたりしていました。
それが、この日の彼女の話し方は、ずいぶんと落ち着いていて、
私に伝わっているかどうか、ちゃんと考えながら話している事がわかる話し方で、
こちらの気持ちにも彼女なりに配慮しているのがわかって、
うまくいえないんですけど、
「この子、もう大丈夫だ。」
って、そんな風に私に思わせてくれる何かが漂っていました。
もちろんね、まだまだ知らなきゃいけないこと、
わからなきゃいけない事はいっぱいあるんですよ。
でも、そうした事を身につけさせるために
親の私が、なだめたりすかしたり脅したり、
そっちの方向にコントロールしようとするような必要はもうないなって。
あとは、この子が自分で育っていくなって。
それは、そのときの「言葉」だけじゃなくて、話している彼女の「雰囲気」とか、
春休みからこっちの彼女の行動の仕方とか、そういうもの全て含めてのことだったと思うんですが、とにかくふいにそんな風に感じたんです。
もちろん、データとして世の中の事、人の気持ちの事、
これからだって教えては行くけれど、
勉強ももちろん見ていくけれど、
人としての柱の部分に私が手を出す事はもうないなって、
そう思って、彼女にもその私の気持ちを伝えました。
学習面、時間の面、生活スキルの面、
卒業できずに二人三脚する部分はまだまだたっぷりありますけど、
のんびり娘、ある面では鬼母から卒業です。
「でもね、時間に関してはまだまだだからね。それは出来るまで口煩く言うよ。」
とも言いましたけどね。まぁ、この面は本人も自覚してますので
「うん。そこはきつく言ってもいいよ。怒ってもいいよ。」
と、納得するのんびり娘なのでした。
私に対する色々な気持ちを話し出しました。
のんびり娘は、自分にされた事(主にマイナス感情を呼び起こすものですが・・)を「忘れない」子ですので、こうしてまるきり関係ないときに
「この間、ママが怒ったけどあれは私は悪くなかったんだ(客観的にはそうではない)・・・」的なことを、クドクド言い募る事はこれまでも良くありましたが、
その伝え方にしても、彼女の理解の仕方にしても
「まだまだ、狭い。わかってない。これをもう一段成長させるのにはどんな作戦で行ったらいいのか・・。」
と考えさせられたり、場合によってはあまりの身勝手さ(本人はそう気付いていない)と
頑固なわからんチンにイライラさせられたりしていました。
それが、この日の彼女の話し方は、ずいぶんと落ち着いていて、
私に伝わっているかどうか、ちゃんと考えながら話している事がわかる話し方で、
こちらの気持ちにも彼女なりに配慮しているのがわかって、
うまくいえないんですけど、
「この子、もう大丈夫だ。」
って、そんな風に私に思わせてくれる何かが漂っていました。
もちろんね、まだまだ知らなきゃいけないこと、
わからなきゃいけない事はいっぱいあるんですよ。
でも、そうした事を身につけさせるために
親の私が、なだめたりすかしたり脅したり、
そっちの方向にコントロールしようとするような必要はもうないなって。
あとは、この子が自分で育っていくなって。
それは、そのときの「言葉」だけじゃなくて、話している彼女の「雰囲気」とか、
春休みからこっちの彼女の行動の仕方とか、そういうもの全て含めてのことだったと思うんですが、とにかくふいにそんな風に感じたんです。
もちろん、データとして世の中の事、人の気持ちの事、
これからだって教えては行くけれど、
勉強ももちろん見ていくけれど、
人としての柱の部分に私が手を出す事はもうないなって、
そう思って、彼女にもその私の気持ちを伝えました。
学習面、時間の面、生活スキルの面、
卒業できずに二人三脚する部分はまだまだたっぷりありますけど、
のんびり娘、ある面では鬼母から卒業です。
「でもね、時間に関してはまだまだだからね。それは出来るまで口煩く言うよ。」
とも言いましたけどね。まぁ、この面は本人も自覚してますので
「うん。そこはきつく言ってもいいよ。怒ってもいいよ。」
と、納得するのんびり娘なのでした。
娘さんの卒業のお話し
うんうんとうなずきながら
読ませていただきました。
私も同じように
「もう大丈夫だ」と思えた日を
迎えました。
確かに細かく言ったら
まだまだ不充分な部分はあるけれど
ひとりでも十分がんばれることの
経験の積み重ねが
本人を変えていった様に思います。
今では、すっかり
本人にお任せで
後ろから見守る体制になりました。
それがまた「信頼してくれている」と
本人の自覚を生んだようにも思います。
娘さんが落ち着いて気持ちを話してくれたこと
とてもとても成長を感じました。
こんな日が来るという事を、不覚にも私想像していませんでした。
ピロピロ君とチルチルさんの「後から見守る」関係を知ってはいても、私とのんびり娘に置き換えて考えてはいなかったんです。どこかで、(うちは無理だ)と・・。
学習面はともかく、ピロピロ君は性格がとても安定しているでしょ。お友達も多い。
うちののんびり娘は結構ネガティブで、それでいて頑固で、友達を作ったり、世の中を渡っていくには障害になりそうな面を持っていますから、
「そこをクリアさせるまでは・・」
という思いが私の中に強くあったんです。
それがね、なんでだかこの日は
「卒業だな」って思えちゃいました。
今も、のんびり娘はやっぱりネガティブ頑固ちゃんですけど、それでもそれはもう私が「クリアさせる」ものではなくなった。彼女が消化していくものになったんだという感じです。
こんな日が来るんですね。