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H18年 10月5日

日増しに秋の深まりを感じる季節となりました。
ブログの更新が遅れ、楽しみにしていた皆様、申し訳ありません。
実は、ご承知の方も多いと思いますが、先月26日(火)に父(前院長)が亡くなりました。
29日(金)、30日(土)が、通夜、告別式となり、とてもブログどころではありませんでした。
しかも10月2日(月)からは診療も始まり、今も香典の返礼や葬儀後の必要諸手続き、さらには49日法要のもろもろの手配など、非常にバタバタとしています。 正直、各種手続きがこんなに大変だとは思ってもいませんでした・・・。 でも忙しさを理由にしていたら、いつまでもアップできそうにありません。  ・・・そんなわけで今回は、父について少し綴ってみようと思います。

父は北海道生まれの北海道育ち。 だからというわけではないですが、いつもスケールの大きな考えをする人物でした。 子供心にも父の考えには計り知れないものがあるな、と感じていました。 この栃木に住んだのは、歯科大学を卒業後、たまたま日立栃木病院の開設にあたり、歯科医を募集しているということで採用され、そのままこの大平の地に家を建てました。 他人の面倒見も良かったと思います。 人を信じるととことん信じ、信じた人間には事業融資の保証人にも何度か成っていたと思います。 またブラックジョークが得意(?)大好きで、我が家で就寝前の父の挨拶はいつも「おやすみ」ではなく、「それでは今から永遠の眠りにつく。俺は辞世の句を考えるから、お前らは戒名を考えておいてくれ。」 ・・・そんな感じでした。 言われる家族ももう慣れたもので、「それではどうぞ安らかに・・・。合掌」てな感じでした。  また大酒飲みで、晩酌(ビール、ウイスキー)は毎晩のこと、自分の部屋にホームバーを作ったほどです。 「オレが酒を飲めなくなったときは、もう終わりだな・・・」  元気なうちはそんなことを言っていました。

そんな父が病気で酒を飲めなくなって、約1年。 9月26日の昼1時過ぎ、ちょうど私も診療の昼休み中でしたが、母、私、弟と家族3人見守る中、自宅寝室にて永眠いたしました。 実は昨年末、独協医科大学にひと月入院しておりました。 ふらふらして歩行も満足にできないような状態であったため、その時点で家族は、あぶないかもしれないと覚悟したのですが、おかげさまで持ち直し、退院後、一時は近所の方と家の近くを散歩できるまでに回復しました。 その後、今年春くらいまでは何とか元気でいたのですが、夏を過ぎ9月に入るとまた以前と同じような状態になり、今度は以前よりひどく、体は随分とやせ衰えていきました。 家族は何度も入院を勧めたのですが、本人は死期を悟っていたのでしょうか、かたくなに病院行きを拒み、ついに26日、静かに息をひきとりました。 享年70歳でした。 人生80年といわれる今にあっては、いささか短い気もいたします。 しかし、父は天寿を全うしたものと思います。 というのも、亡くなる一週間前、外の空気を吸いにいきたいというので、診療後、夜8時過ぎから20分くらい父とふたり大平町内をぐるっとドライブしたのですが、その折、父は私にはっきり言いました。  「どうやら、自分の終わりの時が近づいてきたようだ。 それは自分でよーく分かる。 おしまいにあたり、我が人生かえりみれば、北海道からひとりでてきて、縁もゆかりも無いこの栃木の地で0からスタートし、まず自分自身が歯医者をまっとうできた事、さらに息子2人を立派に歯医者に育て上げられたこと、もうこれで十分だ、自分でも納得できる人生だった。 まあお前ら家族にも色々迷惑かけたかもしれないが、これも縁だからしょうがないよな。」 ・・・こう申しておりました。

今にして思えば、病院行きをかたくなに拒んだ理由は、人間本来自然のまま、病院でチューブをつけられたりすることなく、ありのままに自分は逝きたいと、いうことだったように思います。
望みどおり(?)父の最期は病院のベッドではなく自宅寝室で、特に苦しむこともなく、家族に見守られながらスーッと逝った感じでした。
父の葬儀に、お忙しい中ご会葬下さった皆さま、まことにありがとうございました。
また、来院されて治療前、お悔やみを述べてくださる患者様、本当にありがとうございます。


曇りなき 心の月を先だてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く(伊達正宗)・・・清野 栄治より
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